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『論語』注釈の歴史@中国

『論語』は、儒教の基本経典で、中国・春秋時代(500 B.C.頃)の学者・思想家だった孔子と、その弟子たちの言葉や問答をまとめた本です。
国語の教科書でもおなじみですね。

儒教について詳しく知りたいときは、こちらのサイトが分かりやすいです。
【儒教とは】その教え・朱子学との関係・日本での影響を解説|リベラルアーツガイド

日本人は昔から『論語』に馴染み深いですが、平安・鎌倉時代の人々が読んだ『論語』テキストはどのような本文だったのでしょうか?

今回は、中国における『論語』注釈の流れを追いつつ、参照すべきテキストをまとめました。



『古事記』の記録

『論語』がいつ日本にやって来たか。はっきりとは分かりませんが、8世紀ごろに書かれた『古事記』に、伝来の記録が書かれています。

『古事記 : 国宝真福寺本』中, 京都印書館, 1945. 国立国会図書館デジタルコレクションより部分

これによれば、百済(朝鮮)経由。
実は『論語』は、日本よりも先に朝鮮半島に伝わっていたんですね。ちなみにベトナムにも伝わっています(越南ベトナム本)。

『論語』の構成

各編の内容は以下の通り。

第一 :学而(がくじ)
第二 :為政(いせい)
第三 :八佾(はちいつ)
第四 :里仁(りじん)
第五 :公冶長(こうやちょう)
第六 :雍也(ようや)
第七 :述而(じゅつじ)
第八 :泰伯(たいはく)
第九 :子罕(しかん)
第十 :郷党(きょうとう)
第十一:先進(せんしん)
第十二:顔淵(がんえん)
第十三:子路(しろ)
第十四:憲問(けんもん)
第十五:衛霊公(えいれいこう)
第十六:季氏(きし)
第十七:陽貨(ようか)
第十八:微子(びし)
第十九:子張(しちょう)
第二十:堯曰(ぎょうえつ)

①「学而がくじ」、②「為政いせい」などカッコいい名前が付いていますが、この編名は、初めの文にある漢字を取っただけの便宜的なもの。

伝本は、2編分を1巻にまとめた、10巻10冊組のものが多くあります。

中国の人にとっても古典は難しかった

孔子とその弟子による、オリジナル版の『論語』が書かれたのが500 B.C.頃だとして、その後200年も経てば、その文章や語彙は「古文」の領域に入ってきます。

(時代を重ねても、中国の人なら漢字から大体の文意がとれるんじゃないの?)と思う人もいるかもしれませんね。

国語の教科書に載っていた、森鴎外の『舞姫』(1890年発表)や『高瀬舟』(1916年)などを思い出してください。
日本語で書かれているにも関わらず、注なしの読解は難しいですよね。しかもたった100年前です。

それと同じように、古代中国の人々も『論語』をいざ読もうとすると難しかったんですね。そこで、『論語』に語釈を付ける動きが起こりました。

魏・何晏『論語集解』

『論語』が古典として尊重されるようになるのは、漢時代(200 B.C.~220年頃)になってからでした。漢の武帝が、国教を儒教に定めたのがきっかけです。

孔子は儒教を体現する聖人(モデル)となり、その著書である『論語』が、詔勅や上奏文といった政治的な文章に引用されるようになりました。
そこで、すでに”古典”と化していた『論語』に、語釈が必要となったのです。

有名なのは、前漢の孔安国こうあんこく、後漢の鄭玄じょうげんという人が付けた注でした。
魏の時代になると、何晏かあんを代表とした学者たちが、このような優れた注を集めて取捨選択し、『論語集解しっかいを編纂しました。
「集解」は、多くの人の解釈を集めた本という意味です。

『論語』の古義(過去の時代の解釈)を知りたい場合には、まずこの『集解』を見ます。今のところ完本では最古の『論語』注釈書です。

完本のうち最も古いのは、正和4年(1315)写、東洋文庫蔵の「正和本」です。
正平一九年(1364)刊の「正平版論語」も、日本初の『論語』の印刷本として有名です。

『論語集解』
渡辺義浩『全譯論語集解』上下巻, 汲古書院, 2020.
(底本は公益財団法人東洋文庫蔵本。通称「正和本」)

論語集解 10巻 京都大学附属図書館蔵

大きい文字で書いてある部分が本文(経文)、その下に細字双行で書かれているのが注釈です。

何晏は『三国志』によると色白美男子で、麻薬の服用者だったらしいです。pixivにもいた…。

梁・皇侃『論語義疏』

こうして語釈が付けられた『論語』ですが、まだまだ文意を理解するには難しい。
言葉の意味はいいとして、本文は何が言いたいのか?という哲学的な解釈は、学者によって意見がバラバラでした。

そこで本文に付けられた注をさらに詳しく説明すべく、学者の論も踏まえたが作られました。は、注のさらに詳しい注、という意味です。

魏・何晏の『論語集解』の注を土台として、六朝時代の諸説(50家分くらい!)を集大成したのが、梁・皇侃おうがん『論語|《ぎそ》』です。

中国では散佚しましたが、日本には旧鈔本(中国から輸入した本の写し)が残っています。
江戸時代に根本遜志そんしという学者が足利学校蔵本を発見、これを校正して木版印刷したものが善本です。中国に逆輸入され、四庫全書に入っています。

『論語義疏』
懐徳堂記念会編『論語義疏』全10巻+校勘記, 1924. 国立国会図書館デジタルコレクションで公開
※校勘記とは、他本との異同をまとめて記した巻。○○本は「X」という字を「Y」に作る、という表記をする。(刊本だからか?)

『四庫全書』と関連叢書の調べ方|リサーチ・ナビ|国立国会図書館
https://rnavi.ndl.go.jp/jp/oldmaterials/theme-asia-130.html

宋・刑昺『論語正義』(『論語注疏』)

唐の時代には、『論語』は『孝経』とともに、科挙の科目として用いられるようになりました。
すると受験者は、出題者の言う”正解”を覚える必要が出てきます。国定の注釈書が求められたわけです。

『論語』の場合は、北宋時代(999年)に刑昺けいへいが編纂した『論語正義』(『論語注疏』)がそれでした。
皇侃の『義疏』をベースとして改定したものです。

「正義」は、経書に関する国定の注釈という意味です。『孝経正義』など、『○○正義』という書目は他にもあります。

これ以降『論語』を勉強する人は『正義』を参照するようになったので、『義疏』は読まれなくなりました(だから中国では散佚した)。

南宋・朱熹『論語集注』

宋以前は、儒教といえば五経(易経・詩経・書経・礼記らいき・春秋)を読め!という時代でした。

しかし南宋の朱熹(朱子)は、四書(大学・中庸・論語・孟子)も五経と並んで儒学の基本となる書だとし、『論語』は儒教の最も重要な経典となっていきます。
※朱熹が名前で、朱子は尊称。

朱熹は4つの書それぞれに注釈をつけました。『論語』の注釈書は『論語集註』です。

朱熹の『論語集注』は、新注と呼ばれます。これより前の注(何晏『集解』・刑昺『正義』など)は、古注です。

『論語集注』はその後も、元・明・清と時代を重ねる中で普及し、儒学の教本として読まれました。


今回は『論語』の注釈書についてまとめました。

参考文献
漢文(3)論語|10min.ボックス 古文・漢文|NHK for School
■ 高橋均『論語義疏の研究』 創文社, 2013.

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