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【万葉集】仙覚校訂本の主要伝本

『万葉集』の本文は全て漢字(万葉仮名)で書かれていますね。実は平安時代には、もうこの文字はほとんどの人が読めなくなっていました。

オリジナルの漢字だけでは歌が楽しめない。そこで、『万葉集』の写本には、必ず読み仮名(くんと呼ぶ)が書かれるようになりました。
『万葉集』の伝本系譜には、このが大きく関わっています。

漢字に訓を付す作業は、梨壺の五人の時代から行われていましたが、すべての字に訓が付けられたのは、仙覚せんがくの時です。

仙覚は鎌倉時代の天台僧で、万葉集の研究者。数種類存在していた訓の候補を統一し、読み方不明だったものには新しく訓を付け、本文を整理しました。
仙覚が校訂した『万葉集』のテキストを「仙覚校訂本」といいます。

全ての歌に訓が付いて、『万葉集』が読めるようになったというのは文学史的にも大進歩。これ以降の写本は、ほとんどが仙覚校訂本を基盤にしています。

今回は仙覚校訂本の主要な伝本をピックアップし、知っておくべき特徴をまとめました。


【注意】伝本の名の後に〈 〉で示したのはよく使われる略号。『校本万葉集』(佐佐木信綱, 全18冊+別3冊, 岩波書店, 1994.)より。


右にいくほど、新しい。

① 寛元本

寛元元年(1243)、鎌倉幕府4代将軍九条頼経が、和歌の師匠だった源親行に『万葉集』の校訂を命じます。
これに仙覚も参加し、仕事を引き継ぎます。源親行が持っていた『万葉集』写本を底本に、複数の他本と校合する作業です。

4年後の寛元五年(1247)に、写本3本と校合された、第一次校訂本が完成します。この系統が「寛元本」です。

無論原本は残っていませんが、カタカナ傍訓(漢字にカタカナのルビ)で、底本の親行本もそうだったと考えられています。

仙覚は読み方の不明だった152首に、独自に訓を付けました。仙覚による新しい訓を「新点」といいます。
寛元本には、漢字の右に古・次点、左に新点の訓(朱の場合もあり)が書かれています。

【注意】伝本の名の後に〈 〉で示したのはよく使われる略号。『校本万葉集』(佐佐木信綱, 全18冊+別3冊, 岩波書店, 1994.)より。

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神宮文庫本〈宮〉

  • 20巻揃/【題詞】低/カタカナ傍訓

  • 天文15年(1546)かそれ以前の成立

  • 巻4, 5, 6 以外の17巻は後の細井本の親本

  • 傍訓は右に古・次点、左に新点のはずだがそうではない巻もあって、校本万葉集に”純粋ならざる伝本”と言われている

  • 長歌訓は全て朱

  • 文永十年本〈中院本〉の禁裏御本と共通する点あり

  • 全巻にわたる後人の朱・墨の書入れに注意

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細井本〈細〉

  • 巻4,5,6 とそれ以外で性格が異なる

  • 20巻揃/全て【題詞】低

■巻4,5,6
・大体は漢字の次行にカタカナ別提訓
・足利時代末の写
・巻4は途中まで。途中から別の本の巻3が始まる

■それ以外の巻
・漢字の右にカタカナ傍訓
・江戸時代初期の写/神宮文庫本の写し
・各巻別筆による


② 文永三年本

寛元本の完成後、建長五年(1253)に、仙覚は新点を付けた152首と万葉仮名を解説した奏覧状を後嵯峨院に提出します。

これを機に、後嵯峨院とその皇子・鎌倉幕府6代将軍の宗尊親王から支援を受け、新しく3本の写本を校合に追加。そして完成したのが「文永本」です。

文永二年(1265)、三年、九年と何度か校訂が行われたようですが、伝本として残っているのは「文永三年本系統」です。

文永本の大きな特徴は2つ。

  1. 寛元本は題詞が歌よりも低く書かれていたが、文永本は歌よりも題詞が高く書かれている。これは仙覚が「題詞が高い書き方のほうが古態に近い」と文永本から改めたから。

  2. 仙覚以前の古点・次点は黒、新しく付けた訓は朱(寛元本の時点で全歌に訓が付いているので題詞の読みに多い)、仙覚が改めた訓は青、と3色を使い分ける。

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西本願寺本〈西〉

  • 20巻揃/【題詞】高/カタカナ傍訓

  • 鎌倉時代の写(完本では最古写本)

  • 巻12以外の19冊が同系統。巻12は【題詞】低、書写年代も用紙も異なる

  • 古・次点は黒、新点は赤、仙覚が改めた訓は青で書かれる

  • 本来の青字は色あせて今は黄色に見える

  • 後人が上から黒・朱で書きなぞっている部分あり

西本願寺本
万葉集 : 西本願寺本|国立国会図書館デジタルコレクション


③ 文永十年本

文永三年(1266)本系統の中には、文永十年の奥書を持つ伝本が多数あります。
つまり「これは文永十年に写された本を、さらに写した本ですよ」という奥書を持っている伝本群です。これらを「文永十年本系統」といいます。

文永十年本は、まず頼直本系統 と、寂印成俊本系統の2つに分けられます。

  1. 頼直本系統は、正安三年(1301)、治部じぶしょう頼直という人物による奥書を持つ。

  2. 寂印成俊本系統は、応長元年(1311)の桑門そうもん寂印じゃくいん、文和二年(1353)の権少僧都ごんのしょうそうず成俊じょうしゅんによるダブル奥書を持つ。※桑門=僧侶のこと

そして寂印成俊本系統のみ、以下の特徴でさらに2つの系統に分けられます。

  1. 大矢本系は、巻7の歌順に錯簡あり(1194~1207と1208~1222の丁が前後逆に綴じられた)。

  2. 中院なかのいん本系は、素然(=中院通勝)、中院通村による奥書あり。赭か紫で禁裏きんり御本ぎょほんとの校合を記す。

禁裏御本とは、室町時代の武家歌人今川範政が、文永本に「由阿ゆうあ三代相伝本」(これは寛元本)を校合した校訂本。(※由阿本も禁裏御本も、原本は現存しない)

禁裏御本には寛元本の訓が書き込まれていた、ということになり、禁裏御本と校合した中院系統本代赭書き入れには、文永本とは異なる寛元本の要素が出ている、ということになります。

寛元本には善本が存在しないので、これでなんとか寛元本が持っていたはずの訓を知ることが出来ないかと注目されています。

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頼直:陽明本〈陽〉

  • 陽明本っていっても京大蔵/温故堂本の親本

  • 『校本万葉集』増補から校合に入り、増補では〈近〉、新増補からは〈陽〉が用いられる。増補・新増補では底本の寛永版本との異同は取られず、温故堂本との異同がある場合のみ記載。底本との異同は正編の〈温〉を見る必要があるが、正直閲覧した方が早い

  • 20巻揃、巻10に落丁あり(巻10の152首が欠)/【題詞】高/カタカナ傍訓

  • 巻9の奥書に元亀二年(1571)の記述あり

  • 青訓あり/空欄にしているところもある

陽明本
万葉集 20巻|京都大学貴重資料デジタルアーカイブ

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頼直:温故堂本〈温〉

  • 20巻揃/【題詞】高/カタカナ傍訓

  • 室町末写/陽明本の写し

  • 巻6、巻10に落丁あり

  • 朱訓あり、青訓なし。他本の青訓部分を空白にしている時もある

  • 巻2は「オ」を使わず全て「ヲ」/巻20では「離」だけ草体

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寂印成俊(大矢本系):大矢本〈矢〉

  • 20巻揃/【題詞】高/カタカナ傍訓/墨界ぼくかいあり

  • 成立年不明。室町末期?

  • 朱訓・青訓あり。朱で次点を示す合点あり

  • あまり校異は取らず、後人による加筆もない

  • 巻7、羇旅作の歌順に錯簡あり

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寂印成俊(大矢本系):近衛本〈近〉

  • 『校本万葉集』新増補から校合に入った善本。底本の寛永版本との異同は取られず、大矢本と異同があった場合のみ載る。底本との異同は正編の〈矢〉を見ればOK

  • 20巻揃/【題詞】高/カタカナ傍訓/江戸初期写

  • 朱訓・青訓あり/薄い墨の書入は後人のもの

  • 巻7、羇旅作の歌順に錯簡あり

  • 巻1に禁裏御本特有の奥書、中院本共通の奥書もある(大矢本になし)

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寂印成俊(中院本系):京大本〈京〉

  • 20巻揃/【題詞】高/カタカナ傍訓/江戸初期写

  • 素然(=中院通勝)、中院通村による奥書があるので「中院本系」と呼ぶ

  • 黒は文永三年本系統の寂印成俊本本文、紺青は仙覚の訂正訓、朱は仙覚の新付訓、代赭は禁裏御本との校合書入

  • 巻1,2にある藍青の傍訓は、非仙覚本である紀州本との校合(紀州本は巻1~10が次点本系、11~20は新点本系)

京大本
[曼朱院本]萬葉集 20巻|京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
翻刻(巻1〜10)


調査のお供にお役立てください。

参考文献
■ 佐佐木信綱『校本万葉集』岩波書店, 1994.
■ 上野誠, 鉄野昌弘, 村田右富実『万葉集の基礎知識』角川選書, 2021.
■ 田中大士「万葉集京大本代赭書き入れの性格 —仙覚寛元本の原形態—
」『国語国文』81-08, 2012.08


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