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[連載小説] 「青春の外堀 -TOKYO1980」第七話<ジャーナリズム>

第七章『ジャーナリズムというもの』

スポーツ新聞部と言っても、ジャーナリズムだった。4年生の編集長は、スポーツがなぜかそんなに好きではなく、新聞を作りたい人だったから、ジャーナリスト気取りだった。「新聞をやっていると、好きな人に会える。それが特権だよ」みたいなことをよくいう人だった。「かしゆお」は多少人見知りだったので、それがそんなに魅力には感じなかった。僕らもだんだん、いろんな人にインタビューするようになっていったのだか、その先輩に「インタビューは、ただその人の話を聞きに行くんじゃない。言わせるんだよ」なんてよく言われた。要は、あらかじめ記事にしたいことや、言いたいことを決めて、それを相手に言わせるように持っていくんだと。そこが勝負なんだというわけだ。言質を取るというやつ。「え、そんなのおかしいだろ」とかしゆおは思った。口には出さなかったけど、顔には出ていたと思う。何か質問をして、その人が答えてくれたものを素直に書くんじゃないのか。そう思った。その先輩は、そういう言われたままを書いた記事を「そんなのは提灯記事だ」と言ってシニカルに笑った。でもそうすると、こういうことが起きる。インタビューの時は、にこやかに相槌を打って和気藹々にしていても、元々「こういう記事を書きたい」と決めていくから、その人が何かの拍子に(そう言わせるんだけど)、そう意味で言ったことではないことを、記事にする。よくプロのスポーツ選手とかで「言ってもいないことを書かれる」と言って、マスコミ嫌いの人になることがあるけど、大学の、それもスポーツ新聞なんてお気楽な世界でも似たようなことが行われていたのだ。このあたりは、今のマスコミでも言えることだと思う。テレビのワイドショーとかでも、ある種の「意図」を感じることがある。誰かが全体の趣旨と違うこと言うと、司会者がグイッと、元の意図に戻したり、あるいはその種の発言を無視したりする。そのなんか意図、あるいは演出みたいのがなんか「卑怯」な感じがして、マスコミとか、ジャーナリズムとかが何か性に合わないような気がしてきた。何か違うなと。一生かけて何をしたいかを見つけること、それが大学の4年間だと思っていた。

本当に好きな勉強は、子供の頃からずっと「歴史」だった。徳川幕府の15代にわたる将軍の系図を紙に書いたり、「マンガ日本の歴史」とかいうのも図書館で借りて、読んでいた。坂上田村麻呂とか。だから、子供の頃から僕を知っている友達は、「かしゆお」は社会科の先生になるのではないかとみんな思ったらしい。自分でも大学は文学部史学科に本当は行きたかった。毎日歴史の授業ばっかり受けるなんて楽しいじゃないか。でも、ちょいと調べて思ったのは、大学の歴史というのは「サイエンス」だから、史実をもとにする。要は文献をいろいろ読まなければいけない。それは歴史というより「古文」ではないか。「かしゆお」は「古文」が苦手だった。大人になってからは、和歌とか源氏物語とかにも興味が湧いてきたが、高校生の頃は「古文」は嫌だった。そして、史学科を出てなれそうな職業は先生だ。なぜか教師にはなりたくなかった。なぜだかわからない。学校が嫌いでもなかったし、勉強は好きな方だと思うが「先生」にはなりたくなかった。「熱中時代」や「金八先生」や「飛び出せ青春」とかTVでいっぱい見ていたけど、「人を教え導く」というのが、どうしても自分の柄ではないと思ったのだ(正義感とかがないのかもしれない)。

最初は法学部を目指した。でも法律とか政治とかに全く興味がない。経済学部を目指そうと思ったことは一度もない。経済とか経営とかは自分には合わないと思った。で、「歴史」も「地理」好き。要は社会科だ。社会科学という学問分野があって、「外堀大学」の社会学部は、社会科学を幅広く学べます。なんてことがどこかに書いてあったように思う。今は「人間なんとか学部」とか「コミュニケーションなんとか学部」とかいろいろあるようだが。そういう学問分野の垣根を超えた勉強が新しいのではないかと思ったのだ。大学入って受けた授業は、そういう志にあうものような気がちっともしなくて授業は出なかったが、自分が将来どうなりたいかは、最初から考えていたような気がする。漠然と思っていたのは「ネクタイをしなくてもいい仕事」だ。なんか普通のネクタイをしたサラリーマンにはなりたくないと思っていた。

小学校の頃、年に一回ぐらい将来なりたい仕事を書かされた。「かしゆお」は、最初「画家」と書いた(絵なんか書けないけど、自由な気がした)。別の年は「歯医者」(医者は難しそうだから、歯医者w)。別の年は「サラリーマン」(先生に、これはなんだと言われたので、「みんなサラリーマンになりますよね」とか答えたと思う。すごくかわいくない子供だ)。

この頃の学生は、4年生になるまで就職のことなんて、考えていなかったと思う。でも「かしゆお」は最初から、考えていた。そう意味では今の学生に近いのかとも思う。なんか「手に職」つけるのがいいなと思っていた。ネクタイしたくなかったから。「スポソト」で、ちょっとだけマスコミの世界に触れて、なんか違うと思い始めていたこの頃。「自分の目指すべきは新聞記者とか、編集者とかではないかもしれない」。そんなふうに思った。やりたいことはまだ見つからなかった。でも、まだ大学1年生だった。

(写真は、現在の外堀の冬の並木道)
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