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目を病んだときの父のにおい

 エッセイ連載の第15回目です。
(連載は「何を見ても何かを思い出す」というマガジンにまとめてあります)

紙の本を読めなくなった

 小学館から7つの形態で本が刊行されるという記事を目にした。

 とても素晴らしいと思った。
 というのも、私はかつて目を病んで、紙の本を読めなくなったことがあったからだ。

 あれには驚いた。
 本を開いたら、まるで文字が読めなかった。
 活字のかなり大きな本でも無理だった。
 家の中にはたくさんの本があるのに、みんな読めなくなったのかと思うと、茫然としてしまった。
 自分の家の中にたくさんあるものが、急に自分には使えなくなる。そういう経験は、初めてだった。

電子書籍は文字を大きくできる

 そのとき、電子書籍と朗読にとても助けられた。
 電子書籍は、文字のサイズをすごく大きくできる。紙の本ではありえないほどに。
 それで、なんとか読むことができた。助かったと思った。
 普通の人は、「こんな大きくして読むやついるのかよ」と思うだろうが、いるのである。

ネットの朗読のありがたさ

 朗読も、ネット上にけっこうあって、これもとてもありがたかった。一般の方が趣味やボランティアで朗読してアップしておられるのだ。
 このときに聴いた、えぷろんという方の、夏目漱石の『吾輩は猫である』の朗読は、なんとも滋味あふれ、どれほどなぐさめられたかしれない。

電子書籍化と無償朗読の著作権フリー

 なので、私は自分の本に関しては、できるだけ電子書籍も出してもらえよう、いつもお願いしている。
 また、無償朗読(趣味やボランティアで朗読してネットにアップするなど)に関しては、著作権フリーにしている(使用料等は必要なく、勝手に朗読してかまわないということ)。
 オーディオブックにもしたいのだが、これはオーディオブックの会社のほうから声をかけてもらわないと、自分でできることではないので、まだ1冊しかオーディオブックになっていない。

宅配を受け取るのがつらい人もいる

 私が二十歳から十三年間、入院と自宅療養をくり返していたときには、まだ電子書籍はなかった。
 もしあったら、どんなによかったかと思う。
 入院していて本がほしくなったら、人に頼んで買ってきてもらうしかなかった。
 自宅療養のときはネット書店で買って宅配してもらっていたが、これもきつかった。
 というのも、玄関まで受け取りに出なければいけない。私の場合、立ち上がるとトイレに行きたくなる状態だったので、急にチャイムが鳴って玄関に呼び出されるのは困るのだ。
 冬だとさらにきつくて、冷たいドアノブにさわると、その冷たさが全身に走って、たちまちトイレに行きたくなる。
 玄関の外に置いてくれないかと頼んだこともあるのだが、当時はどうしてもハンコがいるといって、受け付けてもらえなかった。
 今や、ハンコなしで玄関に置いてくれるようになったので、とても嬉しいし、だったらもっと早くやってほしかったとも思ってしまうが。

父のにおい

 目を病んだとき、不思議な体験をした。
 大学病院に行って、検査のための目薬を入れて、待合室で待っていた。その目薬を入れると、ますます目が見えなくなる。目の前は真っ白で、何も見えなかった。
 そのとき、となりに誰かすわったような、すわらないような、そんなあいまいな気配があった。
 そして、父のにおいがした。

 父はずいぶん以前に亡くなっている。
 べつにくさい人だったわけではないので、父ににおいがあると思ったこともなかったのだが、そのとき、となりにすわったらしき人のにおいを、父のにおいだと感じた。
 とても懐かしかった。
 年配の男性はこういうにおいがするのだろうか。でも、これまで感じたことがなかった。目を病んで、鼻が敏感になったのか? などといろいろ考えたが、それよりなにより、懐かしかった。
 そして、この偶然をとてもありがたく感じた。
 目を病んで不安なときに、しかも目の前が真っ白でこれから検査というときに、父のにおいに包まれると、不安や心配がやわらいで、なんだか安心できた。
 目が見えないと、いっそう孤独を感じるのだが、そういうひとりぼっちな気持ちも、少しやわらいだ。
 父は私が難病になったとき、とても悲しんでいた。だから、もし父がまだ生きていて、本当にとなりにすわっていたら、その難病のための薬の副作用で目まで病んだとなると、さらに悲しんだかもしれない。
 でも、そのときとなりにいるのは、いわば父のにおいだけだ。私が誰かのにおいを勝手にそう感じているだけだ。だから、心配させることはない。安心して、懐かしさだけにひたることができた。
 となりの人が立ち上がった気配はなかったのだが、いつの間にか、父のにおいはしなくなっていた。
 それでも、私は落ち着いた気持ちで検査を受けることができた。

 その後、父のにおいに出会ったことはない。電車とかで、年配の男性が近くにいたことは数えきれないほどあったはずだが、同じにおいに出会ったことはない。
 目がまた見えるようになったからなのか。あれは幻臭だったのか。それとも、たまたまあのときだけ、よく似たにおいの人がとなりにすわったのか。
 それにしても、においって、うまく思い出せない。父のにおいがどのようなものだったか、思い出そうとしても思い出せないのだ。それをかげば、すぐにそうだとわかるのに。




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