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【短編小説】私と僕と夏休み、それから。(第1話/全12話)

「大っ嫌い」

時は5月後半のよく晴れた日の放課後、2回目の美化委員会の全体会議の帰り。場所はもうすぐ教室の目の前の廊下。
渡辺シオンは突然立ち止まり、同じクラスで同じ美化委員会に所属する女子生徒の中村キコに、そう言い放った。
それまで二人は無言で教室に向かっていた。いきなりの発言にキコは自分の左を歩いていたシオンの方を向く。すると、シオンはいつものニコニコとした表情をしていた。
いわゆる満面の笑みを浮かべながら、「大っ嫌い」と言ったのだ。

「…なにが?」
「中村さんが」
「……え!わたし!?」
「うん。大っ嫌いだ、中村キコさん」

突然のことで、キコは嫌な気持ちだの不快だのなんだのという感情より、驚きで目を見開いた。
なぜそんなことを言われたのか。
高校に入学して1か月ほどしか経っておらず、キコには見当がつかない。しかもいい笑顔で話すものだから、真意が全くつかめない。
「あの、ご、ごめんなさい、私、渡辺君に何か失礼な事したかな?そしたら教えて、今度から気を付ける」
「…別に何も」

シオンは聞こえるか聞こえないかの声と笑顔でそう言うと、教室に入りさっさとリュックを背負って帰っていった。
キコはしばらくの間、ぼーっと、廊下に立っていた。

帰り道でも、お風呂でも、夕飯の最中でも、さっきのことばかりがキコの頭に浮かんだ。
浮かびすぎて、母親が何度も「ご飯だよ」「お夕飯!」「焼肉!!」と呼び掛けても、反応しなかったほどだ。いつもなら、ご飯の「ご」で駆けつけるほど腹っぺらしのキコが。部屋にやってきた弟に肩を叩かれて、やっと気づいた。部屋に弟が入ってきたことも分からなかった。

(考えても仕方ない、明日も学校だから寝よう)とベッドに入ったが、目をつぶっても開けても、頭に浮かぶのはシオンのあの笑顔だ。笑顔で大嫌いとは何事なのだろうか。
キコとしては、シオンに嫌われても特に問題はないと思っている。これが女子ならいじめが発生しそうで怖いところだが、今現在の彼は、友人は一人、だいたい休み時間はその生徒とおとなしく話したりなんなりしているだけだ。性格も見た目も特別目立つわけじゃない、無害そのもの。

頭をこねくり回しても、何も心当たりはない。そもそも、出会ってまだ二か月ほど。そんなに接点はあっただろうか。
朝の挨拶は誰とでもしている。もちろんシオンにも。同じ委員会になったときに、自己紹介した。そのあとは1回目の委員会があって、委員の仕事として週に1回の学校全体のごみ置き場の掃除を何度か。その時に雑談、というより沈黙が苦手なキコが一方的に話すだけだが、今日の出来事や授業のこと、そんな程度で、シオンの気分を害すような話はしていない。
はずだが、彼は基本的にニコニコした顔をしていて、それが逆に、彼が何を感じているのか分からなくしていた。
それに去り際の一言。キコにはよくは聞き取れなかったが、別にとか、何もとか、そういうことを言っていたと思われる。

(何もないなら、なんで嫌いって言ったんだろう)
友人の悩みはよく聞くキコであるが、自分からはあまり語らない。
こんな時、例えば小学校時代からの友人の亜由美にでも、電話やチャットアプリで話ができたら、多少はもやもやが晴れるかもしれない。
それができないキコは、もやもやもやもやしながら、全く眠れずに朝を迎えた。

「おはよう、渡辺君」

本当に嫌われているのだとしたら、挨拶はするべきか否か。起床(眠ってはいないが)してから学校に着くまで考えていたキコだが、シオンの顔を見た瞬間、反射で「おはよう」が出た。
キコの心臓は異常に波打っていた。本当に嫌いなら返事はないだろう。

「おはよう中村さん」

いつも通りの、何を考えているかわからない笑みだったが、シオンはキコに挨拶を返してくれた。

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