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💠コラム的な : 最悪の事態を想定しておけば恐いものなんてない

これまで拘留中に読んだ本や新聞記事の中で印象に残っているものはいくつもあるが、その中に次のふたつがある。ひとつめは、

📖戦後、シベリア抑留で重労働を強いられた人たちの中で、何とか帰りたいと思っていた者はみんな死んでいったという。期待を持っていただけに絶望感が深かったという。一方、もう帰ることはあきらめたという、思いを断ち切った人だけが、その日その日を生き延びて帰ることができたという(P.73)。C.W.ニコルによると、南極で何日もテントの中に閉じ込められたとき、辛抱強く最後まで自分を失わずに耐え抜けた人はどういう人かというと、それは
「生活の形を持っている人だ」という。
そういう所なので、毎日ひげを剃る必要はないのだが、それでも、わずかな水溜まりの水でひげを剃り、毎日きちんと着替えて、顔を合わせると「おはようございます」とあいさつをする。そういう形を身につけている人は最後まで精神的に参らない、そういう状況に耐えていける、という。気分のままに生活していると、行き詰まったときはどうしようもなくなる、ということ。

📖『大河の一滴/五木 寛之』(幻冬舎)より
(🔗️📖P.21『2022.8.22~』)

なるほどなと思い、これは拘留生活を無事に乗り切るために役立つなと思っていた。その後、新聞で 📖新版『夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル[著]、池田香代子訳』(みすず書房)を紹介する記事に遭遇する。

📰ユダヤ人の精神科医フランクルはナチスの強制収容所で考えた。
心の支え、希望を持つことが生き残るための唯一の道であると。
1944年、収容所でクリスマスに解放されるとのうわさが広がった。だが、その日が来ても何も起こらない。食糧事情が悪くなったわけでもないのに、人々は急に力尽き、新年を迎えるまでに多数が亡くなったという。

📰2022.11.30 読売新聞 朝刊
📖新版『夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル[著]、池田香代子訳』(みすず書房)を紹介する記事より
(🔗️📖P.43『2022.8.22~』)


ひとつめの話では、あきらめることによって生き延び、ふたつめの話では、希望を持つことによって生きていけると解く。相反するふたつの話。

さて、どちらが正しいのか?

個人的には、現在まさに拘留中で(いろんなことを書いてきたけれども)基本的にはつらい立場で、より共感を覚えたのはひとつめの話。で、よく考えてみると、このふたつの話にはあるひとつの共通点がある。それは、

絶望を感じると人間は弱くなる(場合によっては死んでしまう)

ということ。そして、このふたつの話には、

絶望に至らないようにするために、あきらめるか、希望を持ち続けるか、

という違いがあると思う。さらに思うのは、

絶望に至らないためにあきらめるという考え方は東洋的で奥深い考え方のように思えるし、絶望に至らないために希望を持つというのは西洋的で攻撃的(あるいはポジティブ?)な考え方のように思える。

つまりそういう違いはあるが、根本的なテーマとしては、

絶望せずに困難な状況を乗り切るためにはどうすべきか

ということである。さらによくよく考えてみると、

絶望的な状況に陥ったときには、希望を持っていた人は死んでいき、あきらめていた人は何とか生き延びることができた、

という大きな違いがあることに気づく。

今回私は長期的に拘束、拘留されるという状況に陥る中(もちろん自業自得であることは言うまでもなくわかっているつもりである)、最初のころ(9月ごろ)考えたのは、最長拘留日数はどうなるかということ。留置場で知り合った人間、📌(注)クソ弁護士から聞いた話などを元に試算して出てきたのが、

98日(懲役)+80日(罰金2)+100日(罰金1)=278日=9ヵ月+8日=2023.8.9出所(🔗️📖P38 『2022.8.22~』)

で、まずこれを

最長拘留 = 最悪の事態と想定し、腹をくくった。

そうして1日1日を凌ぎながら(シベリア抑留の話を参考に)、部屋を強制撤去から守るため様々な策を練り実行に移すが思うような結果は得られず、やがて部屋が強制撤去され、何もかも失うという最悪の事態を想定せざるを得なくなった(労役が執行された1月中盤から後半にかけての頃がそうだった)。すると、あきらめの境地に達することができ(📖『うたかたの/永井路子』(文春文庫)の主人公の気持ちもほんの少し理解しかけ。。。)、同時に、

沖縄で生活保護を受ける

という愉快な案までが浮上するに至った。

「最善を尽くしたのであれば、もうその後はできることなどなく、その後の運命(結果)はすでに決まっているようなもの」

だと考えるに至った。今回の自分の経験から言えることは、

「最悪の事態を想定して腹をくくっていれば怖いものなんて何もない」

ということ。

先に触れたふたつの話とも関連してくると思う(3/4、🔗️📖P8『2023.3.8~』)。


📌(注)🙏不適切な表現と承知しておりますが、獄中メモをできる限り無編集で公開するという基本方針の元、当時の心境をできる限りダイレクトに伝えるため、あえてそのままにしております。



リンク元コンテンツ 🔗📖「執行猶予がもらえるかどうか

リンク元コンテンツ 🔗📖「必死の思いで手紙を書いてここまでお願いしているのだから、せめて返信ぐらいあってもいいのではないだろうか?


✏️寒さが峠を越し、夜、作業をしていても手が冷たくならないのがうれぴー🤗(2023.3.4)。

✏️明日を怖がってる余裕なんてない(2023.3.5)。

✏️法務大臣宛ての苦情の願せんを頼んだせいか、隣の外人への正担のヒステリーが治まったような。。。効果があったのかも😏(2023.3.7)。と思ったが、単なる気のせいだった😁(2023.3.8)。

✏️居室内の鏡がいきなし撤去される。あとで正担に訊いたところ、労役の人の部屋には鏡は提供しない(懲役のみ)とのこと。なーんやそれ、全く意味不明(2023.3.7)。

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