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近世百物語・第四十九夜「夢で過去の人に問う」

 われわれ播磨陰陽師は、夢の中で様々な術を使います。これらは現実の世界で知りたいことを夢を使ってサポートする技法です。多くの場合、過去に存在した人で、知識を蓄えている人をターゲットとします。そして、夢の術を使って、その人物に接触し、必要な情報を得るのです。
 以前、古い祭文で〈太安万侶祭文〉と呼ばれる祭文を百日唱えて、太安おおの万侶やすまろと接触したことがありました。霊は夢の中にいるので夢の中で、太安万侶の霊が漂う場所を見つけ出し接触したのです。
 どのような霊も同じですが、うまく接触出来ると、七日間祭文を唱え、ひとつだけ簡単な質問を許されます。
 私は、この霊に、
「すべて仮名で書かれた文章が、正しい物事を伝えきれるのか?」
 と言うようなことを質問しました。
 その祭文を唱え続けて、太安万侶の霊から、
「口からいずる言の葉はすべて仮名なり。漢国あやぐにの文字を含まず」
 と、答えを得ました。
 そうです、言葉は、どちらにしても仮名ばかりのようなものです。漢字で発音する言葉はありません。
 その時の百日はあくまでも目安で、本当に百日であることもあれば、二百日でも一年唱えても駄目な時もあります。また、数日でも良い時もあり、どのくらい唱えるべきかどうかについては分かりません。ただ、ひたすら唱えてみて答えを得るだけです。
 百日唱えるとかなり命を消耗します。ただ、百日行うだけで、百日分の人生を失うことになります。それ以上に祭文を唱えると言うことは、自分の命や霊力を激しく消耗してしまうものです。しかし、命と引き換えに質問するのが嫌なら、〈運命〉と呼ぶ財産で支払わされることになります。こちらは、もっと嫌なことだと思います。未来に発動する怖ろしい不幸を背負うことになるのですから……。
 いずれにしろ、それでしか答えを得る方法がない以上、命がけで問うしかありません。ただし、命がけの問いには必ず答えがあるものです。生きている以上、誰でも、日々、死に向かってつき進んでいるのです。
 毎日の行いが命がけなのですから、
——真剣に聞くのもまた良かれ。
 と、思うのです。

 ある日の朝、夢の中に一無軒《いちむけん》道治翁みちはるおうが出て来ました。この翁は、時々、夢に現れる人物です。彼は、江戸時代の大阪に実在しました。
 久しぶりに出てきた翁は、いつもと同じように、古語のしかも浪速言葉で、つまらない駄洒落を言いながら夢の中に現れました。
 翁は、
難波丸なにわまる網目あみめと言いし書を記しおいたによって、それを読み食べやん」
 と言いました。
 そして、
「その書は、当時の難波を丸で囲い、網目の如く、おりたる衆の名を含ませり」
 と言っていました。
 翁の言葉は難波古語で、しかも、紀州弁がまじっているので、とても分りづらいですが、要約すると、
「難波丸網目と言う本の中に、播磨陰陽師の血筋の者の名を含ませて、記載しておいたので、それを読むように……」
 と、言うものでした。この『難波丸網目』は、はじめて聞く本でした。
——どう調べようかな?
 と思っていたら、
——机の上なる書の内に一部あり。
 と、言っていたのを思い出し、
——まさかね?
 と思いながら机の上を見ました。
 すると、パソコンの前に、古書店で買ったばかりの『大阪年中行事資料』と言う本がありました。
——これか? これのことかな?
 と、思い、おそるおそる中を開いてみると、そこに『難波丸網目』の簡単な解説のようなものが書いてありました。
 解説によると『難波丸網目』は、当時の大名から職人にいたるまでのあらゆる階層の人々の、名前、住所、どんな人なのかについて書かれたものだそうで、八十ページもあるようです。
 それよりは、翁の『難波鑑なにわかがみ』と『葦分船あしわけぶね』が読みたいと思いながら、阿倍野の歯医者へ定期検診に行きました。
 その帰りに図書館の前を通ったので、そのまま入って行くと、たくさんの古そうな本がありました。
 さて、 
——こんなにいっぱいあるのだから、ひとつくらいは関連したものがあるだろう。
 とは思いましたが、ありすぎて目眩めまいがしそうでした。
 大阪資料のコーナーへ行って、心の中で、
——翁、どこですか?
 と聞きながら、適当に手をのばして一冊の本を手に取りました。
 すると、その本の表紙に〈浪速なにわ叢書そうしょ・第十二巻〉と書いてありました。二十冊近くある赤い表紙の本でしたので、いぶかしげに中を開くと、そこに『葦分船』と書いてありました。その本のその巻に、読みたかった『葦分船』があり、その次の章に『難波鑑』もありました。
 いつもは『大阪年中行事資料』に部分的に掲載されているものを読んでいましたが、ここに全文があったのです。そして、そのページの前の項に、翁の直筆の手書きら原稿で前書きが掲載されていました。
 それを左手で触りながら、心の中で、
——ありがとうございます。
 と思うと、翁の笑い顔が浮かんできました。
 次回から、
——いつでもその本が読める。
 と思うと、少し幸福な気がします。このふたつの本は、江戸時代の大阪の色々な神社や遺跡などの由緒や噂を集めて書いたものです。
 さて、また、『難波丸網目』を探すことになると思いますが、この本に播磨陰陽師に伝わる暗号が記載されているので、夢の中でその中の何人かと接触し、失われた秘伝を引き出すことが出来るようです。
 一無軒道治翁は、『大阪年中行事資料』に出会った時も現れて、
「夢の中でその本を読むように……」
 と、告げていった人です。
 この本は、かなり古い印刷で、文字の多くがかすれていて全部を読むことは出来ませんが、必要な部分のみ抜粋して使っていました。
——もし、夢でまた見なければ『難波丸網目』とある書の本当の意味を知ることはなかったな。
 と思うと、いつものことではありますが、なかなか不思議な体験だなと思いました。

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