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近世百物語・第六十六夜「旅館の怪」

 旅行が好きではありません。しかし、かなり頻繁に旅行しています。旅行先では、当然、ホテルや旅館などの宿泊施設に泊まることになります。そこでは様々な怪奇現象に遭遇します。出来る限り怪しげな場所は避けているつもりです。しかし、そう思っているだけで、やはり、霊的な物事がついてまわるのです。

 ある時、泊まったホテルでは、大きな足音がドンドンと床を踏み鳴らしていました。足音しか聞こえませんが、うるさくて眠れません。足音は外から聞こえました。私の部屋は一番端にあったので、
——廊下で踏み締めているのでなければ、外の非常階段のあたりから聞こえているのかも。
 そう思って廊下に出ると、やはり非常階段の方向から音が聞こえます。階段へ出るドアには鍵もかかっていないようです。思いきってドアを開けると、ふと、音が止みました。
 ドアから頭を出して、外をのぞくと、そこには誰もいません。ただ、足音がした理由が分かったような気がしました。非常階段に出ると、そこから見える景色は墓場だったのです。
 夜中の墓場は好きではありません。霊力を持つ者にとっては、うるさい連中がうろうろしているからです。その時は疲れていたので、祓いをして部屋に帰りました。
 もう、足音はありませんでした。時間を見ると真夜中の2時22分。良く出来た怪談話でもないのですが、この手の時計のゾロ目を見るのは良くある出来事のような気がします。

 またある時は、古い旅館にひとりで泊まっていると、夜中に布団の近くを走りまわる足音が聞こえました。時々、布団の端を踏んでいるようです。ちらっと、うす目を開けると、そこには子供が走っています。着物を着た子供が、何人か私の部屋で遊んでいたのです。
——夜中に何と言うことを……。
 と思って、上半身を起こして目を開けると、あたりはシンと静まりかえって、もう何もいません。
——これも、うるさい連中か……。
 と思い、そのまま祓ってしまいました。
 朝になると他の泊まり客が、
「夜中に人魂が旅館から逃げて行くのを見た」
 と言うような話をしていました。

 またある時は、旅館の二階の部屋で寝ていると、廊下を歩く足音がしました。入口の隙間から、歩く下半身だけが見えていました。下半身だけだったのです。上半身はありません。ひたすら歩く足だけが、そろりそろりと動いていました。下半身だけの連中は、様々な場所で見たことがあります。もちろん、上半身だけの連中も別な場所で見たことがあります。頭の半分は見たことがあります。しかし、左右のどちらか体半分のものは、未だ見たことはありません。チャンスがあれば見たいと思います。
 これらを祓うには標準的な〈祓詞はらえことば〉を使います。この祓詞については『不幸のすべて』第三十五話に全文を掲載しています。そちらを参考にしてください。

 またある時は、友人たちの泊まる部屋に出没したことがあります。夜中に勝手にシャワーが動き出して、お風呂場の床が濡れていたそうです。それも、長い髪の毛が散らばっていたと言います。もちろん、泊まっていた友人は短髪です。しかも、部屋に入って風呂場を見た時は何もなかったと言います。
 さすがに最近は私の部屋には現れません。すぐに祓ってしまうのがバレたのか、さもなくば悪霊の類に嫌われているのかも知れません。
 実際、私は、いわゆる〈悪霊きの人たち〉から嫌われています。低俗な〈野狐やこ憑き〉とか、狸のような卑猥ひわいな霊の憑いた人たちが、特に嫌うようです。人によっては、私の姿を見ただけで驚いて目をまるくし、ふるえ出すこともあります。
 本人は低俗な霊のことを、まるで天使か何かのように尊敬しています。だから、私の姿を見ると、
「狐でも憑いているんじゃないか?」
 と疑うのです。憑いているのは、そう言っている本人になのですが……。これは低級霊に騙されている現象です。しかたがないことですねぇ。しかし、低俗な霊を信じて不幸になる人たちを見るにつけ哀れでなりません。

 部屋に出没する霊現象は音の類が多いです。ドンドンとか、ガタガタとか、そう言ったうるさい音を立てて自己主張をするのです。これは一般に〈ラップ現象〉と呼ばれています。ラップ音楽と関係あるのかどうかについては知りません。とても、うるさい霊現象のひとつです。普通の人にはそれほどでもありませんが、われわれ生まれながらの霊能者は特に耳が良いので、かなりうるさく感じます。耳が良いと書きましたが、特別な周波数が聞こえているだけで、普通の音は普通に聞こえています。ただ、人に聞こえない種類の音が、時々、聞こえるだけです。

 そう言えば、映画『呪怨』の中の効果音は、霊現象の時に聞こえる音に似ていました。実際の音そのものではありませんが、あのような感じの音が聞こえます。何と表現するのか、カリカリ言う音です。
 この音を耳にすると、つい戦闘モードに入ってしまいます。
——さぁ、祓うぞ。
 と言う気分になってしまうのです。
 霊的な怖いものを映像などで目にすると、恐怖より先に祓うモードに入ります。現実でも戦闘モードに入るので、眼光が鋭くなってしまいます。何も音がした時ばかりではありません。怪しい気配がしただけで、つい戦闘モードに入るのです。そして、あらぬ方向を睨んでしまったりします。たまたまその方向に誰かいると、驚かしたり、あせらしたりしてしまいます。

 基本的な霊現象はトイレとかシャワーとか、水場で発生することが多いです。池や川の近くでも起こります。霊現象の発生には湿度が欠かせません。これについては『近世百物語』第三十五夜にも少し書いていますが、砂漠にはほとんど霊現象らしいものはありません。もしも砂漠に出る亡霊がいたとしたら見てみたいものです。ちなみに昼間に出る亡霊はいます。冬に出る連中もいます。真夏や丑三つ時に出ると言うのは、ただの思い込みです。
 いずれにしろ、これらは悪い波動を水分が記憶している現象でしかありません。そこに強い霊能力を持つ人が行くと、波動を増幅して現実の世界に亡霊の類を呼び込むのです。もちろん、ただの勘違いの場合も多いですが、多くの霊現象は誰かがその現象にエネルギーを与えているのです。そして、その人の幻覚が、まわりのすべての人の心を支配した時、一連の恐ろしい現象がはじまるのです。

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