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【対談】烏丸ストロークロックの道草 第2回 能楽に学ぶ表現者の身体と精神 (能楽師・宇髙竜成氏×阪本麻紀)《後編》

京都の劇団・烏丸ストロークロックが、創作・上演とは異なる視座で、メンバーと劇団の「今」を発信していく「烏丸ストロークロックの道草」。その2回目は、劇団の中核をなす俳優・阪本麻紀が師と仰ぐ、能楽師・宇髙竜成さんをゲストに迎えました。流儀の長い伝統を継承しつつ、能楽と新たな観客との出会いを多角的に模索する姿勢は、現代演劇に身を置く人間にとっても学ぶところの多いもの。揺るぎない精神と洒脱な感性を兼ね備え、能の未来を見据えて行動する実践者とのお喋りは、聞くだけでエネルギーをもらえるように感じます。(取材・文 大堀久美子)
《前編》新たな発語を模索し、「謡」と出会う
"烏丸ストロークロックの道草"について

《後編》俳優であり続けるために立ち止まる勇気

敷居を下げながら神秘性を保つ両義の知恵

宇髙 これは私の個人的見解なんですが、お客様には面や装束、役者などだけでなく、それらを使って奥にあるお能の「物語」を観ていただきたいと思っているんです。なので、自分の会で配布した栞など、敷居を下げる工夫と同時に、お能の聖性や神秘性を損ねないための配慮も必要じゃないか、と。だから先程の、面をつけた視界が体感できる栞を配布する一方で、チラシの表に舞台写真は使わない、というルールにしているんです。これから観ていただく舞台を、一場面と言えど切り取って先に提示してしまうのは想像の膨らみを狭めてしまいますよね? だからイラストなどを使い、その会で舞う曲の、見せたい物語のイメージを描くようにしています。

阪本 宇髙さんにとってご自身の会を開くということは、舞台上で作品を舞う・表現するだけでなく、お客様へとお能を届けるための内と外、あらゆる方向から目を配り、できる限りたくさんの入り口をつくることでもあるんですね。

宇髙 そう受け取っていただけたら嬉しいのですが。

阪本 しかも、それに並行して同じ作品を時を隔てて繰り返し演じることで、能楽師は自分の内面や肉体の変化にも深く眼差しを注ぎ続ける、その実践も行っている。現代演劇の場合、長期のツアーで同じ作品を数十回演じるというようなことはあっても、自分の企画などでない限りは、一つの作品と向き合い続ける機会はなかなかありません。

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・画像 第五回 竜成の会『道成寺』(2019年)チラシ
道成寺(どうじょうじ) 
初めて演じる役者にとっては登竜門にあたる「披キ」の大
曲。紀伊の国(現在の和歌山県)の道成寺では、鐘を新た
につって鐘供養を行おうとしている。女人禁制のその場に
白拍子が現れ、鐘を拝ませてくれるようにと頼み……。前半
には「乱拍子」「急之舞」「鐘入り」と様々な見所があり、
後半では蛇体となった女性と、寺の住僧とのバトルが繰り
広げられる。

・画像 第四回 竜成の会『谷行』(2018年)チラシ
谷行(たにこう)
修業中の脱落者を谷底に捨てるという、修験道の厳しい掟が
「谷行」。幼いながら山伏の弟子である松若は、病身の母の
説得も顧みず、その平癒を願って葛城山で修業する師に同行
するが、慣れない旅のため病に倒れる。師と他の山伏たちは、
泣く泣く松若を谷行にするが、悔いが募り、法力で蘇生させ
ようと祈り始めて……。

繰返しの中に生じる「よくないもの」

阪本 公演回数が多いと逆に「工夫しよう」などという、私にとってよくない意識が芝居に差し込まれることになり、以前二か月30回ほどの長い公演に出演させていただいた時は、後半、勝手に台詞が口をついて出てしまい、次に何をやればいいかわかってしまうようになってホトホト困りました。いろいろ試した結果、衣裳をつけて本番直前まで眠り、舞台監督さんに5分前に起こしてもらって何も考えずいきなり舞台に出る、という手段を講じたのですが(笑)。

宇髙 そこまで台詞も芝居も深く入ってしまうのは、阪本さんの才能じゃないですか? 羨ましい気がしますけれど(笑)。

阪本 いえいえ! 私にとってそれはよくない状態で、相手の言葉や演技をその場で受け、生まれたものを返し続けたいんです。でもお能の場合、どの作品も宇髙さんの中に全て入った状態ですよね?

宇髙 阪本さんのいう“よくない状態”になり得ないように、お能はつくってあるのだと思います。台本は650年前に既にできているもので、稽古も前もってしますし、もっと長いスパンで言うならば、能楽師は舞や謡などインプットは20代までに一通り終えてしまうんです。でも装束や面をつけるのは本番の日だけなので、稽古とは違う、急に視界が遮られた負荷のかかった状態で本番の舞台に立たなければならない。結果、表現の鮮度が保たれるのではないでしょうか。稽古と本番の状態は常に違う。それは、何十回と同じ作品に臨んでも変わらないところ。私たちは面をつけた瞬間に目覚めるようなもので、そこは阪本さんが本番直前に目覚める感覚に近いのではないでしょうか。

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・写真 烏丸ストロークロック『まほろばの景2020』
(2020年)

650年以上続く壮大な伝言ゲーム

宇髙 それに、能楽師にはウォーミングアップも発声練習もありません。

阪本 本番当日も、ですか?

宇髙 ええ、家でシャワーを浴びながら自分の声を確かめる程度に出すくらいで。先に言ったようにインプットは既に終わっているので、それをより良い状態で出せるように、日々身体や精神をコントロールし、高め続けることがすなわち「能楽師として生きる」ということだと思っています。
 お能には、カチッとしたメソッドがあるように外からは見えるかも知れませんが、実はそんなものはないんです。稽古では師匠や先輩から「違う、そうじゃない」という指摘しかなく、具体的にどうすれば良いか手取り足取り教えてもらえるのは子役の頃だけ。皆で集まるリハーサルが一回はありますが、それ以外はどんな曲でも自分一人で稽古をするしかないんです。師匠に見てもらうにも、自分なりにつくっていかなければ、その場で「帰れ」と言われる。
 能楽師の生活は、例えるなら毎日が古くから伝わる祭りの中にあり、「え? え?」と言いながら先輩や師匠に必死に合わせる本番の中で技術や自分なりの表現が培われていく。さらには自分のその経験を、後輩にも同じように伝えていくわけで、流儀というコミュニティ全体で、そのメソッドをキープしているとも言えます。でもそのメソッドについて個々にインタビューしたら、全員が違うことを言う、そんな壮大な伝言ゲームが650年以上続いている。それがお能なんです。

立ち止まり、見つめ直す

阪本 歴史ごとお能を背負い、生きることと能楽師であることが限りなく近い宇髙さんに言うのはおこがましいと思うのですが、私自身は演劇をやればやるほど「これでいいのか?」という疑問が募り、客観的に、距離を持って演劇と自分を見つめ直す期間を取らなければと最近強く思うようになっていて。なので実は、2020年度の一年間は劇団をお休みさせてもらうことにしたんです。

宇髙 おぉ、それは凄い。

阪本 ずっと言い続けてやっと実現したんですが、どこかで足を止め、自分がこの先どうなっていくかちゃんと考えないと、予定ばかりどんどん決まってしまう。メンバーの協力があって実現したことなんですが、自分がどう俳優を続けていくのか見直したくて。

宇髙 素晴らしいことですよ、私もそういう期間が取れたらなぁ……。年齢的なこともありますが、だんだん流儀内の責任を負う立場になり、自分の好きなことだけをやり続けられなくなっている。今、フランスのアーティストとコラボレーションをしていて、来週から渡仏の予定なんですが、「(私が)いない間に仕事を取り回すのがどれだけ大変か」と、既に釘を刺されています(笑)。

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・写真 宇髙氏の謡の稽古の様子(2019年9月)

後に続く人たちのことを考える

宇髙 でも阪本さんのその決断は、劇団での活動を休止するだけで、俳優・表現者としてはよりキツい状態に自分を追い込むことになるのでは?

阪本 そう、かも知れないですね。今まで同様に続けていくこともできますから。

宇髙 攻めますね(笑)。

阪本 いえ、そんな。ただ、例えばここまで役者をやり続けていると、後輩からいろんな相談を受ける機会も増えて、皆が悩み苦しんでいるのに具体的に提示できるものを私は持っていないと痛感したんです。興行や経済的な成功については、私から有益なアドバイスはしようがないけれど、役者でいることについて、後に続く人たちを多少なりとも励ませる言葉や視点は持てるようになりたいと思って。

宇髙 そういう精神状態だと、それこそ職業や生業とは違う次元で表現している神楽などが、より純粋に見えてきたりしませんか?

阪本 見えますし、強く憧れます。でも宇髙さんにとってのお能は、それこそ神楽と同様の存在ではないのですか?

宇髙 そこは(神楽とは)隔たりがあると思います。自分にとっては生活を支えるための、職業としての側面がお能にはありますから。しかも、お能に対する自分の中での理想が高いので、日々ギャップに苦しむんですよね(笑)。武士は食わねど高楊枝ではないけれど、もちろん舞台上には潔い想いの部分だけを乗せたいのですが。

稽古の謡本

・写真 阪本が稽古で使っている謡本

70代の先輩方が見せるカッコよさに学ぶ

宇髙 今70代くらいの先輩方を見ていると、お能に関することはもちろん、日常生活での暑い寒い、空腹だとか、そういう自分が苦しいと感じていること全般を律して見せないようにしていて、それがすごくカッコいいんです。今日舞台をご一緒した方も、年齢的には後期高齢者ですが舞台上でジャンプされていた。必ずしも跳ばなくても良い場面だったのに。それを実現するためには、すごく我慢したり耐えているものがあるはずなのに、そこは絶対に見せない。自分もいつか、その境地に辿り着くためには努力の方向性をだいぶ修正しないといけないでしょうね。

阪本 そんなことはありませんよ!

宇髙 もしくは自分が70代になる頃には、若手がウワーというほど育って「あんな老いぼれいらないよ」と放り出され、あとは好きなことを好きなだけやるという理想もありますが(笑)。

阪本 70代になった、どちらの宇髙さんも見たい気がします(笑)。
 私が謡を習い始めて以降の劇団作品は、神楽を前面に出したものが続き、お稽古で学んだ「重力に拮抗して声を出す」「描かれている季節ごとに声の出し方を変える」というようなこと、目の前の相手にだけでなく、接する自然に向かって声を発するような表現を、舞台上で実践する機会はまだないんです。学ぶべきことはまだまだ多いけれど、いつかはそれらを演劇に活かす機会をつくりたくて。

宇髙 それが実現し、お客様が感じてくれたという手応えがあったら、阪本さん「ッシャー!!」となりますよ(笑)。

阪本 ですね(笑)。そんな具体的に伝わらなくてもいいけれど、観る方の感じることが増えたらいいな、と。なので先の長いご指導を、今後とも宜しくお願い申し上げます。

宇髙 今日しっかり話す機会をいただいて改めて思ったのですが、阪本さんの中には、現代演劇の俳優として既にメソッドと呼ぶべきものがあると思うんです。そうでなければできない、演技や表現に対する試行錯誤を既にしていらっしゃる。それを言語化するための機会、たとえば他の俳優に教えるなどという経験も、この先してみると良いのかも知れませんね。もちろん、お稽古は私で宜しければ引き続き是非。明日はまさに稽古の日ですし。

阪本 しかも本当に久々のお稽古なんですよ、緊張する!

宇髙 むしろそのまま、何にも備えない状態で来てください。

取材・文 大堀久美子


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1999年設立。京都を拠点に各地で演劇活動を行う。作品のモチーフとなる地域での取材やフィールドワークから短編を重ね、数年かけて長編へと昇華させていく創作が評価される。http:www.karasuma69.org/

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