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#15 【宰相への道】戦術循環史観論

原爆は、昭和20年だったから意味があった。
アメリカに続いてソヴィエト連邦が核を保有したことで、抑止力たる核の存在意義は若干動揺し、その後も、様々な国が核を保有し始め、抑止力たる核の存在意義は、現在、崩壊している。

1.アメリカだけが核を持っていた時、ベルリン封鎖に際してベルリン大空輸が行われたが、ソ連は軍事介入をすることは無かった、と言うより、できなかった。
2.アメリカに続きソ連が核を持った時、朝鮮戦争が起こり、それを中国は援助した。中国に核を落とす計画が持ち上がった際、新たに核を持ったソ連と協力関係を築いていた中国の事情が考慮され、それは中止された。
3.しかし、多くの国が核を保有し始めると、核保有国と協力関係を築いていたとしても、他国から攻撃を受けるようになった。

この三段階のプロセスを経て、現在は、核兵器には、もはや戦争抑止する力が無いことが分かる。
多くの国が核を持つことによって、つまり、一周まわって、通常兵器を用いての戦争に戻るわけだ。

これを、「戦術循環史観」と名付ける。


以下の事例も、これに該当する。
現在のウクライナ干渉戦争において、防空設備が進歩しすぎたために、航空機による攻撃を行うことが困難であり、第一次世界大戦のような歩兵と砲兵による戦闘が行われている。
冒頭で述べた核の抑止力低下の話と違うのは規模だけであり、構造はほとんど変わらない。
もっと古い時代を考えれば、こうだ。
騎兵が火砲の発達によって廃れ、ヘリコプターが歩兵装備の発達によって廃れつつある。
これらのような、技術の進歩による戦闘レヴェルのダウングレイド、そしてしばらくしてから新たな技術が生まれ、戦闘レヴェルがアップグレイドされる、戦術とはこの繰り返しであると眺めることが、私の唱える戦術循環史観である。
令和6年6月20日現在、私以外にこの学説を唱えている者はいない。
ジャンケンで、チョキはグーに勝つことは無いが、チョキでもグーに勝てるようにしようと技術開発に精を出す人間の性が、こうして戦術を循環させているのかもしれない。


ーーここからは本編と関係ありませんーー
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