万年筆を買った話|向田邦子「縦の会」を写本して
万年筆を買った。
日本製で、ペン先の素材はよくしなりなめらかな書き味が特徴の21金である。
筆圧が強い私でも扱いやすく、気に入っている。
文章の書き方を学ぶため、好みのエッセイを1日1本写本している。
400字詰めの原稿用紙に写すのだが、量産型のボールペンではしっくりこない。
筆記具や用紙によって文章の気配が変わると気づいたのは最近のこと。
せっかくの名文なのに、味も素っ気もない筆記具で写しては台無しである。
——よし、万年筆を買おう。
なんでも形から入りたがるのが、私の悪い癖である。
向田邦子さんのエッセイが好きだ。中でも「縦の会」という作品が印象に残っている。
向田さんは、万年筆に「本妻」「二号」「三号」と名付けて愛用していたそうで、その入手方法が変わっているのだ。
大きな、やわらかい文字を書く人で、使い込んで使い込んでもうそろそろ捨てようかというほど太くなった万年筆を所有している人を見つけると、恫喝、泣き落としといった手段を用いて掠奪する。
でも色仕掛けは使わない、というエピソードが向田さんらしい。
字には人柄が表れる。書き癖が移りやすい万年筆なら、持ち主の人格が宿ったとしても不思議ではない。
人様から譲り受けた万年筆で文を書くのは、胸を借りるようで頼もしく、同時にエロティックな気配がする。
自前の万年筆が育ったら、誰かに感想を聞いてみたい気もするが、癖が強くて書きにくいことこの上ないだろう。
気まずいのでよしておくことにする。
迎え入れた万年筆の話に戻る。
買い求めたのは奈良県の百貨店にある、筆記具専門店である。
上等な筆記具に不慣れな私は、「自分はライターを生業としていて、原稿用紙に文章を書く万年筆を探している」とお店の方に持ちかけた。
職業をわざわざ伝える必要があったのかと、己の自意識過剰ぶりに呆れる。
そんな私の心のため息はどこ吹く風。お店の方は慣れた風で、
「原稿用紙ということは縦書きですね」
と、国産メーカーの万年筆を提案してくれた。
日本語の「とめ、はね、はらい」が美しく書けるという万年筆の試し書きをする段になって、困ったことになった。
何を書けばいいのかわからないのである。
悪筆の私は何を思ったか、目の前に置かれた便箋に自分の苗字を書き、消した。
ふと、向田さんがパリの万年筆専門店で自分の名前を書きかけ、あわてて消したというエピソードを思い出した。
稀代の悪筆なので、日本の恥になってはと恐れた、とあった。
勝手がわからないなりに向田さんと同じ行動を取った自分は、案外好い線を行っているのでは、と思ったのはここだけの話だ。
それから「あいうえお」だの「修行」だの「らぁめん」だのと書き連ねていると、万年筆が手に馴染んできた。
うっかり名前を書きかけてしまったこともある。
責任を取らねばならないような気になり、他には目もくれず、手の内にある「彼女」に決めた。
2万2千円だった。
ここにきて、失敗に気づいた。
私は向田さんの「人様から掠奪する万年筆」に憧れていたのである。
それなのに、「本妻」を自分で買い求めてしまったのだ。
大きな、やわらかい字を書くあなた。今度、私に恫喝する機会をください。
そして使い込んで使い込んでもうそろそろ捨てようかという万年筆を、掠奪させてくださらないでしょうか。
その時の試し書きは、「どこにどうしておじゃろうやら」または「てんてれつくてれつくてん」にしよう。
わかる人にはわかる。
そんな密かな楽しみが、万年筆の魅力だと思う。
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