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当たり前の日々

就活や仕事、学校がだるいとか、あの人とうまくいかないとか。そういうことってあくまでも、健康な体があってこそなんだなと最近になって初めて知った。

というのも、昨日職場で2度目の過呼吸を起こしてしまい、自分の不甲斐なさとかそういうものを身に染みて感じているからだ。


昔から眩しいものが苦手だった。直射日光の下で気分が悪くなったり、誤って蛍光灯を見つめてしまいふらふらするなんてことは日常茶飯事だった。昨日も、そんな生活の一端だと思っていた。客に食べ物を提供したあと、ふと顔を上げてみたら太陽光が窓の枠に反射して私の目にダイレクトに飛び込んできた。

「いたい」

思わずそう思った。ふらつきながらキッチンのほうへ戻ったあと、吐き気やめまいが止まらず、まさか。と思った。「また過呼吸を起こしてしまう」そんな不安が頭をよぎり、うまく言葉が出てこなくなり、とにかく必死で涙を堪えていた。

5分ほどしたあと、キッチンから皿と皿が激しくぶつかる甲高い音が聞こえて、耳が一瞬聞こえなくなった。そういえば肩に力が入っている。もしかして私手が震えてる?それよりも吐き気のほうがすごいかも。

あ、まずい。

気づいたら裏口から外に出ていて、ゴミ箱に手をかけ泣きながら必死に息をしていた。「またやってしまった」。そんな焦りと不安で胸が圧迫されて余計に苦しい。手に力が入らない、動かなくなっていく。違う、これ、痺れてる。


そんなこんなで、私はまたやらかしてしまった。今月3度目の仕事早退。職場で2度目の過呼吸。心配そうに言葉をかけられても、その言葉に裏があるように思えてならない。自分の存在が迷惑になっていることが一番辛い。

「もう、限界だ」

自分で理解した。もうだめだ。これ以上ここに居られない。そう理解した途端、涙が止まらなくなった。


これからどうなるかなと考えてみたときに、仕事とか、生活とか、様々なことがうまくいかないことが予想された。

元々、行けない場所は多かったし(美容室やコンビニ、有人レジのスーパー)、生活に支障はないかと思えたが、大好きな電車に乗るのが少し怖いと思えてしまった。

もし、電車内で過呼吸になってしまったら?

じゃあ電車もだめ。美容室、コンビニ、スーパー、電車。あとは平気か?いや、車も少し怖いな。「怖い怖いって言ってばっかりで、実は平気なんじゃないの?」いやでも、また過呼吸が起きたら。「たまたまだよ。」でも今週2度目だよ。「なら仕事辞めれば。」でもお金はどうするの。「でもでも言ってばっかり。言い訳?」

自分の中の天使と悪魔的な存在が交互に出てきて何か言い合う。

何事も答えには裏があると知ったのは昨日だった。普通に大人になるって難しいと知ったのも昨日だった。一人で生きていくってそう簡単ではないというのも知った。結婚出産、車買ったり家買ったり、誰かと喧嘩したり引越ししたり、旅行行ったり。それも全部、意外と難しいんだなと知る。

その根底には全て、健康な自分というものが必要だった。知らなかった。ずっと、割と健康に生きてきたから知らなかった。

五体満足で生まれた。耳も聞こえた、目も見えた、言葉も話せた。髪は少し硬くて眉毛は濃い。靴のサイズは大きめで身長も高め。胸も他の子と同じくらいの時期に膨らみ始めて、色んな人を好きになったり嫌いになったりした。

好きなときに外へ出たし学校にも通った。好きな食べ物を好きなだけ食べてきたし、好きな場所にも出かけた。


私すごく、幸せに生きてきた。いわゆる普通の幸せというものを手にしてきた。その中でも不満は多くて、生きるのは辛いと思うことがあったけれど、だけど、それでも、私、健康に生きてきたんだなあ。



昨日は沈むように眠った。泣いたあとの目は、赤くて熱い。

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