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死ぬ前に結婚式をしたいと泣いたあの人

ウェディングドレスが着たいとその人は言った。


彼女は病気で身体中の筋肉が衰え、今は寝たきりである。人工呼吸器という空気を送ってくれる機械を気管を切開し喉につけているから、声は出ないし口と鼻を塞いでも苦しいということがない。

心臓の動きが悪いから身体中が浮腫み、1ヶ月に5キロのペースで体重が増えている。


彼女は私の仕事の担当だ。簡単に言えば彼女の生活を支える仕事をしている。

今日、ひょんなことから彼女が夢を語り出した。ホワイトボードマーカーを握る力は弱く、腕を左右に動かす筋肉もほとんどない。

ホワイトボードに書いた文字と、彼女の懸命な口パクを我々が読んで、どうにか、彼女の死ぬまでの夢は「ウェディングドレスを着て結婚式がしたい」ということだと知れた。



私は泣いてるのを隠そうと、しきりに後ろを振り向いたり、咳き込んでるフリをしてみたりした。

彼女の義理の母も目に涙を溜めていて、居合わせた看護師も私の先輩も目をうるうるさせながら彼女のホワイトボードに書く文字を懸命に目で追った。


みんな笑っていた。いつ死んでもおかしくない人に対して、夢を語ったくらいでしんみりした空気を漂わせるわけにはいかないと必死だった。

私たちはすぐ叶えられる。ウェディングドレスだって何度でも毎日でも着れる。結婚式だって挙げられる。


だけど彼女は、四肢を曲げた状態でいると激痛で耐えられないらしい。だから車椅子にも座って乗れない。誰かが運ぶにしろ、誰も絶対怪我しないようにというのは難しいし何かあった時の責任の所在もいちいちはっきりさせなければならない。

そもそも、浮腫みで重くなった自分の体を誰かに扱わせることに対して彼女は消極的だ。重いのも承知、仕事だから必ずやり遂げるという思いで我々がその場にいるのも知っているだろうに、彼女はそれでも、申し訳ないとたまに伝えてくる。

彼女の思いも、実現までの道のりも、知っているからこそ、私は涙が止まらず、必ず成功してほしいと切に願った。



彼女はその話をしている最中泣いた。

涙は我々が拭いた。

強気な看護師も彼女の涙を見て少しずつ震えた声になり、次第に誰かの鼻をすする声が部屋のところどころから聞こえてきた。


死んでしまいそうなときって、どんな気持ち?

死んでしまいそうなときに結婚式がしたいって思えるってどれほど強い思いなんだろう?

私が今すぐ美味しいケーキを食べたいと願うのとは、熱量が明らかに違うというのが誰にでもわかるだろう。


私たちの普通。

彼女の普通。


ズレがあるだけでこんなにも苦しくなるとは思わなかった。


彼女の夢を叶えたい。責任とか会社とかお世辞建前世間、そういうの全部取っ払って、彼女の笑顔が見たい。

そう強く思ったのは今日が初めてだった。

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