幸せになるには何が必要か
「結婚、」
「出産、」
「家を建てて、」
「家族団らん。」
「友達がいて、自分が作った家族がいて、綺麗な家と、笑顔の家族」
幸せの定義はだいたいこの辺にあると思う。
なんだか常に人と比べてるから、誰かの結婚のお知らせに、心がざわざわする。
結婚してない者同士、「焦るよね」って話に花を咲かせてる。
自分の今の生活を声高らかに幸せと呼びたくても、「幸せ」と呼ばれる大体の道筋は変わらずにずっと何年もそこにある。
「結婚は?」と問われるたびに、自信を失う。
その問いに秘められてる相手の気持ちをなんとなく察するから。
「もうそろそろ結婚だよね」
「そんなに付き合ってるなら結婚だよね」
「もちろん結婚だよね」
「そのあとは子供も考えるだろうから、仕事はどうするのかな」
いろんな想いがたくさん伝わるような気がして、どう答えたら一番その場が丸く収まるのかわからない。
人としてうまく生きていくために、常に誰かと付き合い続けなくちゃいけない。
職場の人でも、家族でも、たった1人の友人でも。
誰かと付き合うたびに、自分の考えとの違いに気付かされて、心臓がキュッとするような、そんな気持ちになる。
私はこの生活が好きです。
いつもそうやって自信を持って言えないのはなぜだろうか。
今の彼と結婚するかはわかりません。
子供は心も体も負担が大きいので産まないと思います。
今の仕事をずっと続けるかわかりません。
だって、夢が、あるので。
そう、自信を持って言えないのはなぜだろう。
外れた考えを持った自分を認められないのはなぜだろう。
反対意見を言うとしんと静まりかえるあの場が怖くて仕方ないからだろうか。
道筋を外れて歩くことの心地の悪さをもう何度か味わっているからだろうか。
大人になるってこういうことだと、思ってるからだろうか。
自分の意見は押し潰して、「年相応の」常識人でいたいからだろうか。
なにが正解かは誰にもわからないですよねと、そうやって声を出して言えないのは、私が私を守りたいからだろう。
誤魔化して笑うことすら、社会人としてのマナーに思ってしまうからだろうな。
美味しいご飯、ゆっくり眠る布団、太陽の昇る昼間と、穏やかな夜。
これ以上は何も要らないと、実は私はそう思っているんだけれど。
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