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市民ケーンと大統領選挙

 私は数年前から、町山智浩の映画解説をラジオでよく聞く。TBSラジオの番組「たまむすび」の火曜日、15:00から約30分、一つ又は時に二つの映画の解説を行う。大変面白くはあるが、最近トランプを揶揄する映画を取り上げることが多かったと思う。
 これ自体、ここで文句言う立場でないが、最近作られるハリウッドの作品は、どうもトランプ元大統領を批判する立場の作品が多いらしい。逆に言うと、批判しないと映画の予算は下りなかったということか? 又はハリウッドの映画の予算を配分する側の会社がそのようにしているのだろうか?

 そう思うと映画「市民ケーン」の話を思い出す。この作品は1941年に後悔された。内容は、金持ちに養子に出された少年が養父に反発する形で後を継いで、新聞社の社長となり、いくつもの新聞会社を買収、2つのラジオ局を所有し、領土の件でスペインとの戦争を煽ったり、大統領選に口出ししたり、売れないオペラ歌手を自分の妻にして、実力に見合わないのに大きな舞台に出させて、自社の新聞社で絶賛記事を書かせたり、知事選挙に立候補してスキャンダルで失脚したりと。最後は謎の言葉を残して、寂しく死んでいった。この映画にはモデルがいて。メディア王ランドルフハーストがモデル。この人物は当時ハリウッドを支配していて、自分に文句のある人を干している。「市民ケーン」の監督に風刺されたことに怒り、上映を妨害したと言う。

 今はハリウッドにはハーストのような人はいない。しかし、GAFA(google,amazon,FACEBOOK,appleの頭文字をとった略称)がいる。ハリウッドがトランプに批判的なのは、ハリウッドの多くの映画がGAFAのネットメディアで数多く配信されていて、ハーストに逆らうと干された時のように、配信が停止されて収入に大きな影響が及ぼされるからなのかもしれない。

 事実、FACCEBOOKを作ったマークザッカーバーグの話は「ソーシャルネットワーク」として映画化されている。昔見ても覚えてないが、この映画は現代の市民ケーンと言われている。
 映画の内容は忘れたが、現実のザッカーバーグと比較して「市民ケーン」のケーンは映画の初めのドキュメンタリーの部分で大統領選挙に口出しした。ザッカーバーグは今回の大統領選挙の不正を訴えていたトランプ元大統領の運営しているFACEBOOKのページの利用を停止して、口出しをした。この事実が共通していると思う。

 ITは新しいメディアになった。そして映画などの動画をも配信できるようになった。場所によってはお金も贅沢に使える。今までの映画会社と比べれば。しかし映画会社がなくなっても、ネットが新しいメディアとなるだけだ。「市民ケーン」のモデルにもなったハーストのような経営者が出てきて、気に入らない俳優や映画関係者を干すことは昔と変わらない、色あせていく所と色鮮やかな所の温度差が存在しているだけで、それ以外は何も変わらない。
 ITメディアのネット空間に国境がないのならば、支配者はグローバルに流行りを作れるし、ネットの流通によりトレンドを作ることもできる。これを自由になれると言うならば、ネットの仕組みを作る人間はネットワークの自由を享受する過程でさらに自由を欲していく事になるだろう。

 ITのさきがけにはヒッピーが多いと聞く。ヒッピーで東洋思想ヲタクでヨガの修行者もどきが。彼らがストイックなのもいいが、自由を求めるあまり修行者になるのでなく、やがて、成功した億万長者ほど中国の皇帝のような支配者にあこがれていくのだろう。
 東洋思想に被れるアメリカ人をうさん臭いとみるのもその為か? 
彼らが東洋思想にはまっても、素がクリスチャンなので、聖人のような振る舞いをして神の恩寵を得るカリスマになるので、東洋人にはなれないだろう。われわれ日本人が西洋文化を取り入れても西洋人になれないように。できるのは、文化の受容のみになるだろう。

 

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