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沖縄 学生時代 個別の整理

沖縄時代に関わった事の仕組み

1暖簾分けされたよさこい踊り団体

踊りによる自己陶酔。共感、賛美による。
のれん元の踊り団体に対して、そうだった。

踊りに陶酔しないと、「信じてない」とされて、ズレると他に行けと言われる(当然なのだろう)。
踊りをマンセーしないと、人と扱われないのかもしれない。共感的な縄張り意識が強い。踊りに対してソフトな意味で服従的だったのかも。
踊りを賛美するためか、知識、学に対しては関心なかった。
キレイ事が建前として多かった。知っている女性がきれいごとに見えること言って、人を哀れんでた。

2大学時代のあるサークル

OBになった部長に対して、部員は陶酔、賛美してた。ある種の誇大妄想になりやすい(敵に対してのストレスに対し)。
知識、学に対しては関心なかった→目の前でかなり否定された記憶がある。
仲間意識強いためか、イベント参加に対して服従的な側面がある。
仲間内で認められると認められるらしい(見えないランク付ける)。
群れて、じゃれやすい。
部室の件で学生部を敵対して、悪乗りしてる部分あった。


3学生時代にトラブったある人間

自己カルト的な存在で、自分の暴力性によって、やったことがばれることを恐れていた。情報が流れることを恐れていて、ばらした人間を脅す。その意味でのカルト宗教体質ある。

人間不信強く、何かあると人のせいにする。嘘をつく。嘘から論理を作る。
自分の思い通りにしようとしてくる。合理的に。
人を追い詰める、ストーカー体質あった(因縁つけたことに対して)。

筋肉マッチョを誇示して、相手に見せびらかしてた。
トラブった相手に対して、解決できないと裁判の手段を出して脅す体質があり、やたらと誠意を要求してくる。示談の話で準備しようにも、準備させないところあり。脅迫体質にて、人をいたぶる。穏やかそうに見えていたが、粗暴。暴力でしか人に誠意を求めれない。精神に何かしらの問題あって、薬飲んでた。理解を求めていたが、どこか二重人格な所があった。
アメとムチの使い方が上手い。法律を持ち出して、論理的に自分の都合のいい解釈をする。本土の人間だった。


1と2の共通点

ある対象、人、物のカリスマ、ブランド性に対し、自己陶酔しやすい。賛美しやすい。
知識、学に対しては無関心。
興味がないので「他に行け」又は「そんなもの必要ない」という人がいた。
自己中心さは強かった。両者とも。

3と、1と2の共通点

乏しい。共通しているならば、おそらく自尊心の無さにある。
1と3は敵を作る体質がある。ムカつく対象に対して。1の場合は個人で、陰湿な手段を過剰に作る。2は悪乗りになりやすい。

時代性

記憶を振り返ると、陰湿な背景が見えてくる。
ムカつく人間に対して、「あいつ追い詰めようぜ」という陰湿さがあり、言う人たちにとっては悪乗りで、どこかジョークのようなものだった。
又はムカつくことあると、後で根に持って電話で言ってきたりするのもいた。

1の場合、ズレに対して、強く注意してくるのがいて、抑圧的だった。
些細なことでも。陰湿さがきれいごとによって言われていた節あるのかもしれない。仲間意識を言ってくる事があったが、人を否定しているうえでそう言ってくる。

2の場合、人の価値観否定して。批判した事あるが。それでも仲間だと言ってくる。自分の事を心配していると。(多分ごく一部の人間だろう)
仲間と言われても、上辺だけのものになる可能性があり、上辺のみの仲間意識になると思っている。仲良しごっこを演じるための仲間意識と思っている。(強く言うと、反発しない。黙る)
踊りの件でダメ出しはして尊大にしている割には。批判すると黙り込む。
踊りのダメ出しする側は、人に踊りのダメ出しされたのを見たことがない。
ダメ出し以外にどこが良かったか、言えばよかったと思う。

3の場合トラウマに等しい。
北米にいた為か、「人生の敗北者」を言葉にしてた。口癖。
合理的に言ってくるが自分の利益のために言ってくる。
そして、気に食わなくなると、中傷してくる傾向がある。他の人にその意識を向けているのを見てた。陰湿だった。

沖縄

沖縄は「癒し」の島として言われるが、、観光の為の言葉に過ぎない。
観光客にサービスして、お金を落としていってもらえればいいのだから。
優しい顔して、やさしい言葉を使う。身内にしか優しくない。部族主義体質強い。
「癒し」とは言うが、ソテツの毒を食べに来たようなものだ。
ソテツは毒があり直には食べれない。その為に、解毒して食べないとならない。沖縄で無意識にソテツを食わされて煮え湯を飲まされることになる。

身内体質なのか、相談で利用されることが多かった。
逆に頼ろうとしても、袖にされて、避けられた。都合よくつかわれるのみだった。その為か私は仲間意識という物は建前としか思わない。
仲間意識の為の仲良しごっこをするか、仲のいい振りをするための仲間意識であるか、の経験しかない。人間関係での徒弟制度に等しい。

沖縄は人の個性を潰すことが美徳だ。
封殺されて、抽象的な物ほど発言させない。

仲間だと言われても、どこかで笑顔で受け流して、袖にして流さないとならなかった。仲間だと言う割に、頼ると痛いので。

仲間意識を誇張して言うのは沖縄しかない。
仲間ならば、仲間仲間と主張するのだろうか?
その時点で違和感しかない。沖縄は負け犬の巣窟だ。

ほにや?高知の価値の踊り何てうんざりだ!

関係ないが、沖縄来て、仲良くなった人間にカード盗まれて、お金を取られた経験も思い出す。悔しかった。半年間だけ良くて、その後は地獄だった。
沖縄のグスク巡りはしてた。

しかし、台湾は楽しかった。言葉の壁はあれども。



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