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沖縄ほにや サークルでの仲間意識

定義

  1. ①仲間において共有できないものがあるなら他に行け。

  2. ②やめると言った時に縄張り意識を発動。又は手の平返すように仲間意識を強調する。

  3. ③そのサークルのテーマは「個性の尊重」、「異文化礼賛」だった。踊り団体。同時に高知の踊り団体の暖簾もらった。

①は共感性からの排除→そこからの「やめる事への決意」。
②の仲間意識の確認の要求又は縄張り意識の発動が起きる。サークルの中心には、裏切り行為に見られていく。前提にある①の共有からのズレに対する警告から矛盾する。

そもそも①の話が出た時点でサークルのモットーに対立する。③の「個性の尊重」、「異文化礼賛」に対して。

①と③が対立する。
対立して②の結果になった。
この仕組みからして、正しく見えるが、ここには所属する背景がかけている。踊り団体という所属が。

③のモットーが踊り団体そのもののテーマならば、「個性の尊重」、「異文化礼賛」は掟になる。掟というよりは踊り団体自身の特徴となり、入ってくる人間は踊り団体の特徴に適応しないとならなくなる。
それが当時わからなかった。分析するうちにわかった。

故に


踊り団体の「個性」は尊重されねばならない。
踊り団体の「異文化性」は礼賛されねばならない

ーとなる。

これらの事柄はこの団体の特徴と私は考えている。
この沖縄ほにやの「個性」、「異文化性」の空気に従い、適応することにより、暖簾元から入る踊りに自己陶酔して共感し、賛美することになる。
同調して種族的な縄張り意識を作るともいう。

この空気に対して反発は難しく、話のずれにさえ、反発する個性と見なし、否定されることになる。対立する個の強度にも左右するが、強度の度合いによっては、団体の仕組みに強いショックを与える事にもなる。

同調性により団体内で団体の不満は言えるかもしれないが、この踊り団体自体の仕組み、構造の把握はこの中にいる限り見えなかった。

見えなかった原因は毎年入ってくるよさこい踊りへの賛美、共感する度合いが高すぎたことと、自分がここで抽象的なことを考える事に対して自由がなく、些細なことで封殺されたことが大きい。自身に不用意なこともあったと思うが、水面下で否定的なのもいただろう。サブリーダーの封殺が瞬時に行われてたので。

リーダーとサブリーダーは創価の人間だったこともあり、創価的な価値観もつよかった。

やめれなかった

正直やめたかった。自分に合っていなかった。
辞めれなかったのは、女性の尻を追っかけて、空想したのもあるが、この団体にいる前に学生時代のサークルをやめる際に「やめたら、お前は潰される」、「やめれば、お前に友達出来ない」という脅しに近いことを言われて事が大きい。居心地は沖縄ほにやより悪いものだったが、野暮なのが多くて、メールマガジン書く企画でやりやすかった。沖縄ほにやは時間的にはやりやすかったが、言論の自由はなかった。前者は男のみ。後者は女が大半で男は少なかった。

どちらにしても、両者の共通点は男女の性別の有無に関係なく価値観に共感して、賛美と同調、自己陶酔をすることになる。
前者のサークルはカリスマ的なOBに対して賛美と陶酔、崇拝をしていた。
後者は毎年入ってきてた「よさこい踊り」に共感し同調と自己陶酔を女性たちを中心にしてしていた。

この現象は沖縄特有と思う。
今思い出しても、どうしてカリスマ的な人、物に共感、同調、自己陶酔して、時になぜ、誇大妄想なことを思い描くのか訳が分からない。

この特徴を自覚し、分析しない限り沖縄は変わらないような気がする。
わかるまで時間がかかった。早い段階で分かっていたり、誰かが言ってくれればよかったかもしれない。

もうどうしようもないが。





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