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「沖縄に対する怒り」


「何をやってもダメ」

沖縄にいてそう思い知らされることが多かった。
若い時の事。今思うと、自分もだらしなかったし、学生時代のトラブルで耳横に銃を向けられたり裁判の話で脅されたりして、立ち直ろうにも時間がかかりすぎてた。

それが就職活動にも響いてた。
親しい人に相談しようとしたが無駄だった。学生時代に人に頼りすぎたこともあって。話のずれで孤立した。楽しくしようとして、無理しすぎたかもしれない。

同時に立ち直りかけてても、沖縄の同調的な縦社会の価値観、理不尽さには心おられることも多かった。

仕事探す過程でもそれは感じた。
沖縄ほにやと言うよさこい踊りの団体にいた時にもそれはより強く感じた。
この団体は踊りの与え主の団体と踊りを賛美し、違和感あった。
「異文化礼賛」、「個性の尊重」という癖に、その個性、異文化を出すと封殺してきた。

本当はこの活動通して、立て直したいと思いもあった。今となっては無駄だった。純粋そうな顔したのが女性に多かったと思う。まっすぐすぎて面食らった。仲良しごっこをして、踊りを賛美しないとならなかったのだろう。
共感的に見える女たちにしか見えなかった。中には人を哀れむ態度取って、無関心に避ける人もいた。

沖縄のオヤジ共

沖縄のオヤジたちは飲んだくれが多いイメージだった。それはいいが、知識的な話には関心ない人が多かった。ある人でもあう人に出くわしたことがなかった。

馬が合わないためか、「お前の言う事は無駄、意味がない」と言う事を何人かに言われたことがあった。沖縄ほにやでも、同じ事を言われた。
人間関係の分析の話、抽象的な話などで。今思うと、当然なことでも悔しかった。もっとひどいのは、考え方が合わないだけで、すぐに排除してくる人が一人いた。この人は沖縄でも相手にされてないと思う。

タヒな発想

この当時の記憶を思い出すと、書いて分析する。
しないと変になる。そのほか後悔して、絶望する。理解者はほぼいなかった。拘り過ぎて仕事つきにくかったのも事実。
同時に、仕事する過程で自分の書いてきたものが否定されかねないと思って、警戒してた。残るのは沖縄に対する怒りだ。

言っても「お前の勘違いだ」としか言われないだろう。又は逆切れされてくるか。うまく行かなくなると、その時代に意識が戻ってしまう。そしてタヒな事がでてくる。

沖縄は共感性を煽るくせに、排他的だ。
家族的な集まりの中で、幸せをアピールする事しかない。煽られたこともある。沖縄は沖縄戦の事もあり、どこか「被害者の誇り」を振り回している。沖縄の歴史は素晴らしいと言う一方でそれがある。
基地反対とかいう癖に具体的な政治的駆け引きもない。マスコミは被害者の誇りを振り回す。

純粋まっすぐな若い子はそれに無自覚だと思う。
「沖縄の為に」とはいうが、沖縄戦での体験話から出る話、「被害者の誇り」に遭遇しても忌避するか、無自覚に踏襲していくかしかしない。それ以外の事がない。

もしわかってしまうと、上から飼い殺しにされるから、知らないふりしているのかもしれない。

どちらにしても、私には「沖縄に対する怒り」がある事には変わりない。

サヨクはそれを天皇制のせいで、お前は被害者というのだろう。ふざけるなと言いたい。すり替えてるだけ。私は沖縄の慣習の理不尽さに対しての不満がある。だから、言っているだけだ。

その経験した事(理不尽さ)は沖縄に戻す。突きつける。
沖縄に帰す。だから主張している。


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