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沖縄のキャンセルカルチャー


キャンセル

沖縄はキャンセルカルチャーを言ってきた。
日常では過去の恨み言には無関心なくせに、県単位になると基地問題、沖縄戦に対する平和教育で、恨みを言ってくる。

2019年の辺野古闘争でも、内地に恨み言を言って大手新聞に記事にされて、宣伝されていった。当時それを聞いてて、精神的にきつかった。
沖縄での不満を言う事は許されてなくて、沖縄県としての不満の実は本土に対して言う事は許されていた事に。

沖縄時代の知人にそれを言っても無関心だろう。
言えば、周囲に目をつけられて、因縁つけられて袋叩きにされるから。

思えば、沖縄が薩摩に支配された時に、一矢報いることを考えない事はしなかったのだろうか?
住んでて、平和教育は言い、恨みは言っていたが、薩摩にやり返す話は一つも聞いたことがなかった。薩摩に支配されて、一部の権力者が利益を肥やしていたのかもしれない。モンゴル帝国に支配されて税金取りになったロシアの諸侯のように。

平和教育と言っても実際は戦うことに対して抑圧する事しかしていない。
だから、平気で人を哀れむだけ哀れんで無関心なのが出てくる。

哀れむくらいなら、話くらい聞けと言いたいし、哀れんで無関心になるのならば、哀れむなと言いたい。

分断

沖縄の場合、お利口な人とやんちゃな人がいる。これは自分の偏見になるが、両者は分断している気がする。親戚関係の流れはあっても。
分断を意識したのは最近だが、学生時代振り返っても、サークルの知人たちは先生になる学生を下に見てた。その一方でカリスマ的な存在にあこがれてた。しまいには知的障碍者は自由だとか言ってあこがれている話もしてた。私には違和感だらけだった。

その一方で彼らは福祉的な物を下に見てた。
このサークルは変な意味でカリスマ的な人間に強いあこがれを持ち、意識高い系だった。自分たちは高いレベルを言ってた。同時に彼らは自分らより下だと無関心だった。そして、相手のミスには厳しい。時にスクラム組んで叩いてくることもあった。

振り返り

沖縄時代の事を振り返るにつれて、アメリカや日本、薩摩には恨みはありつつも、これらの文化を入れてきた。特にアメリカの文化は色濃く受けている。日常ではバラバラに装うが、団結するようになると、憎しみを外に向ける。沖縄県内の不満をガス抜きすることもあるのかもしれない。

振り返ると、沖縄の場合、過剰に仲間意識を誇張、主張したり、団体行動しすぎる傾向がある。団体行動を過剰に要求されて、そこから外れようとすると、裏切りに見なされる。仲間意識は必要でも、過剰に群れたり、団結することを言わなければ、住みよいのだろうと思った。

昔よりも沖縄の基地問題を意識しなくなり、距離は取れるようになったが、そこの問題に下手にとらわれると、罪悪感を一方的に持たされてしまう。
沖縄の人は善人で、内地の人間は悪と言う構図になってしまう。
先の大戦の過去があったことも大きいが、その話を過剰に利用している面がある。
ましてや、沖縄に住んでて理不尽な経験をしていると猶更に精神がおかしくなる。文句は言いすぎたのもあるが、基地問題になると沖縄側は善人として主張して、自分らを純粋な人のようにして扱ってくる。苦しい限りだった。


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