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学生時代のサークル

学生時代のサークル

自動関連のサークルで、車で島を動くものだった。
最初は楽しかった。

学園祭の話からやりにくくなった。
そこからトラブル。2000年の10月の事。
この話は下記の日記にある。

沖縄での 大学時代の話|dragoniata|note

断片で書く

部長だった人は。所有権の強い人だった。
遠回しで体育会系なところがあり、自分の言う事は聞かないとならないという所があった。それもおかしな注文で。

それ以上に、面白みがない人だった。
元借金取りとは言うが、話を聞いていると借金取りの仕事で借りた人に脅しをかけるようなところがあり、強引に自分の論理を作る所あった。

その後部員の何人かは、部長が卒業後、その人をカリスマのごとく崇拝しだした。この現象は沖縄ほにやにも似ている所がある。
カリスマ的な人を崇拝してはいないが、毎年高知で作られるほにやのよさこい踊りに陶酔している所があり、ほにやの団体と踊りに対する崇拝と賛美、陶酔性が主だった。

今思うと沖縄の文化にカリスマ的な人や物を崇拝して、自己陶酔する文化がある。それも主観性の度合いがあまりにも濃すぎるレベルで。向こうの人はそれを自覚しているかどうか怪しい。

地元の大学の人間がそれを学問で把握して、言わねばならないと思う。いたかどうかもわからない。

話を戻す。この部長をカリスマ的な為か、楽なことしか考えてなかったところある。学問に対する関心より、人を精神的に追い詰めるための学問にしか関心がなかった。この人の場合、借金取りの立場で、貸した金を元に利子を数倍にして、吹っ掛けて、返さない人間に言うのだろう。これは魔術的なものに見える。

この行動性が元になって、論議をするところがあった。当時の大学の学生部との議論でマウントとるために、追い詰めるために心理学がいると言っていた。

だが、熱しやすく、さめやすい所もあった。
やっていることが飽きると「もうやめた」と言い出す。
この人の卒業、サークルで、メルマガ作るために沖縄本島内の隠れ観光スポットの取材をして皆でまとまって言っていた。

しかし分担していなかった。
集団で動いていて、よくわからなかった。
これも沖縄の文化なのかもしれない。みんなで動くことを沖縄は無意識に主張して、それを仲間意識と言っている。

この人はカリスマ的ではあったが、単独で動く概念には希薄な部分があった。やめたと言い出した後に一人でやっていて、自衛隊の人間とも組んで取材していたようだが、具体的なことはわからない。

以上振り返る事で、仲間意識と人か物かのカリスマの崇拝、自己陶酔の話がでた。

沖縄の人は沖縄の慣習性について明確に言わない。

他に年長者の物言いで圧をかける文化もある。
又は優等生的な気質の女性が上からモノ言うのもいた。そういう人が先生か公務員になると嫌だ。なぜならば上から理論しか吹っ掛けないし、寛容さがあるかどうかもわからないからだ。

沖縄も承認欲求が本土に対してある。しかし自身の主体性があまりに未熟だ。こういった文化が明確にならない限り、沖縄は何も変わらないだろう。
クソなだけになる。だから「発展しない」と揶揄されるのだろう。
どうでもいいがね。わからんしな。



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