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自分はきっと、書くひとになる


本日の記事にて、noteを書き始めて連続100日目。
だからちょっと、自分にやさしい記事を書こうかと思います。


トップ写真は、ペンネームのハンコ印影。
2作目『世界の端から、歩き出す』(ポプラ文庫ピュアフル)と3作目『真夜中のすべての光 上下』(講談社タイガ)の出版の際、サイン本を作成する時にサインの横に押しました。


微妙な字だなと思われたそこのあなた、当たりです。
何故なら彫ったのは、ど素人の自分、わたし自身だから。
しかも中三、14歳の時に彫ったものだから。



中学の美術の時間に、「ハンコを彫ろう」という授業があったんですよ。

印鑑って、別にプロが彫ったものでなくても有効なのですね。
素人が彫ったものでも、サイズとか彫り方などの条件さえ満たしていれば、実印として使えるのだそうです。
中学三年生という、義務教育を終えてこれからは自分で選択した世界に進んでいくにあたり、この先一生、自分が使う自分の印を、自分で彫ってみましょう、と。
結婚したら苗字が変わる場合があるが、下の名前でつくれば大丈夫。
そういうコンセプトの授業でした。

で、中三の、それも終わり頃の授業だったので、成績にはもう無関係。さぼらずに彫ればよくて、提出する必要もナシ。


出さなくていいのか。
なら、自分はこれを彫ろう。
そう決めました。



何故と聞かれても判らない。
でも、当時から「自分は必ず、ものを書く人間になる」と思ってた。

「なりたい」ではなく、「必ずそうなる」と、夢や決意ではなく当然のこととして認識していた。「1年後には1歳年をとっている」のと同じくらいの感覚で、頭からそう思っていました。

何をどうやっていても、いつか必ず、自分はもの書きになっている。
迷いも不安も一切なく、当たり前のように思っていました。


だから彫った。
「その時は、これをサインの横に押そう」と。


卒業して就職してからも、その気持ちにゆらぎはありませんでした。
どういうことをやっていたって、自分は絶対、いつかものを書くひとになっているから。

あれこれ応募して落ちたりもしましたが、全くそこに疑いは持ちませんでした。
たとえ何歳になっても、絶対に自分が書いたものはこの世に出る。
そしてその時、サインを求められたらこのハンコを押す。



ずぼらでルーズで整理整頓ができなくて、もの覚えが悪いから本を読んでも映画を見ても全然頭に残らなくって(でもミステリ好きなのである意味おとく)、いい加減で自己管理ができなくて、ものは失くすし置き忘れるし、方向音痴で朝に弱くて飽きっぽくって、行き当たりばったりで失敗ばかり、だめなとこだらけな生き物だけど、自分のこの才能だけは一度も疑ったことがなかった。

その「才能」には、「自分は書ける」ということだけではなく、「自分は書いていられる」という意味も含まれています。
人生の中で何年か、書かなかった時期がなかった訳ではないけれど、その時にも何故か不思議と、「いつかものを書く人間に自分はなっている」ことに疑いは持ちませんでした。
放っておいてもいつか自分は勝手にそこに戻る、と判っていたように思います。


たとえどんな場所にいてどんなことになっても、自分は書ける。
隕石が落ちてこの世に自分しかいなくなっても、自分は書ける。
目が見えなくなっても口がきけなくなっても耳が聞こえなくなっても、自分は書ける。
そこは絶対にゆらがない。
それは自分が自分に選んだギフトだから。


人生で初めてのサイン本をつくって、べたべたとインクをつけて、ぐいぐいと押す。
ああ、14歳だったあの時、「いつか必ず自分はこれを押す」と思った、それを今本当に、自分は押している。


すごいことだな。
あんなに迷いなく思っていたことを、こんなに年月が経って本当に実行している。
なかなかちょっと、他にないことじゃないのかな。
少しはこれ、自慢してもいいことなんじゃないのかな。
14歳で「自分が書くものはいつか必ず本になる、だからその時の為にこれを彫る」と決めた自分を、ちょっとは誇りに思っていいんじゃないのかな。


だからこの先も、この下手くそなハンコをずっと使います。



※ おまけ ※
ちなみにこれ、結構大きいんですよ。
高さは約7.5cm、印面は2.5cmの正方形です。
と数字で言っても大きさ掴み辛いでしょうから、比較対象に文庫本を置いて写真を撮ってみました。

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なので、そこそこずっしり重い。
そういやこの石って何だろう、と初めて思い調べてみましたところ、どうやら「巴林石(ばりんせきorぱりんせき)」らしく見えます。

確かに、ど素人の自分達にも彫りやすかったな。
あれはいい授業でした。今もやっているかしら。

   

   


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