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子供だった時の夢。

私がまだ小学生だった時に描いた父の油絵。
画家になりたいと親にせがんで買ってもらった油絵の道具。誰も教えてくれなくて1人で本を読みながら描き始めて、毎日絵を描くのが日課になった。
何作品あるんだろうと実家の倉庫を見ながら自分の描いてきた作品の山に驚く。カビてしまって飾ることはできない作品も多くて残念だけど、処分する前に自分の描いた作品を眺める。
この頃の自分は夢に溢れていた、なりたいとかやりたいが溢れたいて、いつも空想ばかりしていた。田舎の何もない生活だったから余計に夢を見ることができたのかもしれない。ものに溢れ情報に溢れた今とは違って、一つのことだけに向き合うことができていた。それは本当に良かったと思う。

何もない自然の中でいつも夢を見ていた。
そこには自然しかなくて、自分の可能性だけを信じて過ごしていた幼少期。
誰にも流されることなく自分のやりたいを叶えていた。ずっと夢見ていた頃が懐かしい。画家という夢を叶えたけど、まだまだ未熟でもっともっと自分を磨いていきたい。そう思っている。画家に終わりはなくて、この悩ましさまでもが画家であることの証なのかもしれないと思い始めた。
若い頃は傲慢で自分は特別なんだと思った。でも、もっと頭のいい人はいて運も実力もある人はこの世にたくさんいる。努力を努力だとも思わないで簡単にできてしまうそんな強靭な精神力を持った人がいる。
私は簡単に挫折をしてしまう、そして自暴自棄になって他力本願で、誰かのせいにしていた。無理をするとすぐ疲れて男の肩にもたれたいと思ってしまう自分がいた。でも、自由だった。その自由さの中でいい加減な生活の中で生み出せた作品はたくさんある。夢見ることは悪いことじゃない、できるかできなか、やるかやれるかは自分次第で、自分の力量にかかっている。

きっとできてしまう人は努力しているなんて思ってもいないんだろう。だって出来てしまうんだから。

学生時代に描いた人物画

絵を本格的に習えるようになってデッサンがとにかく好きだった私は芸大を受けたいと思っていたけど、方向転換して映画監督になるためにアメリカに渡った。絵を捨てたわけではなくてもっと表現の自由を求めて映像という世界に飛び込んだ。でも自分の力不足で中途半端になってしまった。
もっと表現したい。今でもそう思う。

デッサンのように薄い線濃い線の重なりで奥行きがでたり重量感が出たりと
デッサンというものはとても奥が深いように思う。
もっともっと自分らしい表現見つけてそれに出来ないという蓋をするのではなく可能性を探ってみたいと思えるようになった。
まだ人生折り返しただけだから、体力のあるうちに自分の可能性をもっと広げたいと自分の子供の頃に描いた絵を見てそういう思いが込み上がってきた。まだまだやり遂げたいことはある。それに向けて自分がコツコツと進んでいくだけ。あとは自分次第。

よろしかったらサポートを是非お願いいたします。アートによって人々の感性が開花し、アートって楽しいなぁと思ってもらえる様な活動に専念していきたいです。