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「飲みやすい」という表現について問う。

「飲みやすい」をポジティブな表現として使っている人たちがいかに多いことだろうか。
テレビ番組を見ていても、とても多く使われている。
当店に来店されたお客さんもよく使われている。
だが本当にそれでよいのだろうか?

確かに、昔のボクもその一人だったのだから、その表現を使っている人に対して、それでよいのですか?と言える立場では無いようにも思うのだが、でも問いたいのだ。

「飲みやすい」と「キレイ(美しい)」は、本来は似ても似つかないものだからだ。

要は、「飲みやすい」と「美しい」を脳が混同してしまっていることが原因であるのだと考えている。
それは、感覚の曖昧さから生じている問題であると思っている。

なぜそれほどまでに、言葉えらびに引っ掛かってしまうのか?
それは、
テイスティングを学んでいると、言葉を選び発することの大切さに気づけるようになるからなのだ。

自身の感覚で感じているその状態を、どのような言葉を使うことが一番しっくりくるのかを考え、そしてその状態が一番しっくり当てはまる言葉を選び発することが、とても大切なことなのだと思えるようになるからだ。

そのような感覚が身に付くようになると、「飲みやすい」と「美しい」は全く意味の異なる言葉であることを理解するようになる。

そして、
「飲みやすい」は、チープであり、
「美しい」は最上級に値するからである。
まさに雲泥の差という状態をその言葉は示していることになるのだ。

表現とは、言葉を選ぶことである。
その言葉とは、ある状態を示している。
その状態を理解するものは感覚である。
ゆえに、感覚が鈍っていると、状態を判断することが曖昧になり、似たような状態を混同してしまったりする。

学びとは、言葉と感覚とを一致させ、繋げるための役割である。

だから問いたい。
あなたが使っている「飲みやすい」という表現は、本当に「飲みやすい」という言葉選びが当てはまっているのだろうか?

本当は「美しい」の勘違いなのではないのだろうか?
それとも、本当に「飲みやすい」のだろうか?

そんなことは、どうでもいいことなのかもしれない。
しかし、その状態を感じている人にとってそれは大切なことなのです。




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