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わたしとコーヒー|連載「記憶を食む」第15回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。
第15回は、いくつかの思い出とともに、著者にとっての「思い出」「記憶」を自ら紐解いていく。

 三十年以上生きていると、忘れていることがたくさんある。記憶力には自信のあるほうだが、それでも、何年も忘れていたようなことを、いまでも突然思い出す。記憶とは不思議なもので、思い出すたびに少しずつ美しくなるものもあれば、悲しい思い出が醸成し呪物のようにどす黒くなるものもあり、その人の心の状態によって変化することがある。
 長い間忘れていたことを突然思い出すと、狂おしい気持ちになる。頭のなかで突風が吹いたような、満潮の海が荒れるような、スノードームをひっくり返したような、そんな風に全身の細胞が泡立つのを感じる。頭で覚えていないようなことでも、匂いや音で急に記憶の蓋がこじ開けられることもある。忘れて、思い出して、また忘れて、そんなふうにあと何十年も自分の内面と向き合っていくことになるのだ。

 冬場、暖かくした部屋にコーヒーの香りが漂っていると、受験のときの記憶が蘇る。高校受験も大学受験も、家庭教師をお願いして週に三回くらい授業をしてもらった。高校受験のときは五十歳くらいの女性で、大学受験のときは大学生のお兄さんだった。中一からずっと理数系の成績が壊滅的だったわたしは、一対一でゆっくり解説してもらってやっと、少しずつ理解し始めたのだった。中三のときも高三のときも同様に、一回の授業は二時間半くらいで、日没の早い冬ではいつも暗い時間から授業が始まった。自室の机に椅子を並べ、ひたすら問題を解いて解説を聞き、テストをして……シャーペンを走らせる音と、体勢を変えたときに椅子が鳴る音、マル付けのペンの音が静かな部屋に響いた。途中で母がコーヒーを淹れて、部屋に入ってくる。いつもシュークリームとかケーキとか、甘いものも差し入れてくれた。それを食べて十分くらい休憩して、またひたすら勉強する。それは中三のときも高三のときも、同じ風景だった。先生が帰ったあと自室に戻ると、暖かい部屋にコーヒーの香りが充満している。受験勉強と、先生との二人きりの時間の緊張から解き放たれてやっと、ベッドに倒れ込む。そしてうたた寝して、起きたらコンタクトレンズがカピカピに乾いていて……そういう細かいことまで思い出して、コーヒーの香りをかぐと、あのときに引き戻されたような不思議な気分になる。

 コーヒーの香りはもうひとつの記憶を呼び覚ます。高校生のときに近所のケーキ屋でバイトを始めた。家から徒歩三分くらいのところで、それまでにも何度かケーキを買ったことがあり、バイトに応募してみた。町の小さなケーキ屋さん、といった風情の店で、シェフと補佐のパティシエ、パートとバイトの数人で働いていた。わたしは大体遅番で入っていたので、十六時頃からシフトに入って主にレジと接客を担当していた。その頃はあんまり意識していなかったけれど、ケーキ屋に来るお客さんは大体みんな機嫌がよく、嫌な思いをほとんどしなかった。自分にとって、ケーキを食べることはやや非日常だったが、毎週のように来て買って帰る人もいて、そのとき顔に出てしまっていたのか、「毎週来ちゃってさ、食いしん坊でしょ?」と笑っていたのをよく覚えている。コンビニスイーツというものが流行りだした時代で、放課後に学校近くのコンビニでロールケーキを買っていた自分からすれば、毎週ケーキ屋でケーキを買うその人が、すごく豊かに見えた。そのときすでに、そういう人生がうらやましかった。

 レジや接客をしていないときは、お店で焼いたクッキーを袋詰めしたり、ケーキにフィルムを巻く手伝いをしたり、バイトにしては楽しい業務が多かった。いま思えば、高校生の頃の自分なんて常識もなく知らないことだらけで、失礼なことを言ってしまったり、迷惑をかけたりしたことのほうが多かったはずだった。それでも一緒に働いていた人たちはみんな優しく、たいして怒られることもなかったように思う。

 わたしが働いていたのは大体短時間なので、休憩時間というものは特になかったけれど、その店では夕方五時頃になるといつも「お茶の時間」が設けられていた。使い古したやかんでお湯を沸かし(真夏でも同じだった)、バイトがコーヒーかお茶を淹れて、前日のケーキが残っていればそれを食べるという時間だった。とはいえ営業時間内なので、入り口のほうをたまに見ながら、作業台を囲んで立ったままお茶をするというスタイルである。この文章を書いているうちに当時の、入り口の自動ドアが開く音まで思い出してきた。古い建物なので自動ドアの取り付けが悪く、スムーズに開かずに少しガガッと詰まるのだ。シェフのコーヒーには砂糖を三杯、牛乳をちょっぴり。お客さんが来なければ二十分ほどお茶をして、途中で忙しくなれば、そのままなし崩し的に接客に戻る。こどもの日やクリスマス付近の繁忙期にはお茶の時間は取れないが、わたしはその時間が好きだった。ケーキの端っこをつつきながら熱いコーヒーやお茶を飲んで、学校であったことやそれぞれの家族のことを話す不思議なひとときだった。主婦のパートもいれば学生のバイトもいるので、最近女子高生のあいだで何が流行ってるの?というポップな話題もあれば、実は離婚しようと思っていて届を取り寄せた、という高校生には重すぎる話題まで飛び交った。みんな色々あるんですね、なんて言い合いながらもお茶をすすっていたあの頃から十五年以上経ち、その後どうなったのかな、と気になったままでいる。

 高校三年間はそこで働き、卒業と同時に辞めた。同い年のバイトの子とは普段も遊ぶほど仲良くなって、バレンタインには一緒に出掛けて、シェフにあげるチョコレートを買った。大学に受かったときはパティシエさんがお祝いにとケーキをご馳走してくれた。そんな思い出のケーキ屋も、三年前くらいになくなった。閉店する日にわたしはたまたま実家にいて、最後に行こうかとも考えたけれど、外から覗いたときに全然知らない店員さんしかおらず、なんとなく行かなかった。厨房のほうにはシェフがいたのかもしれないけれど、結局勇気が出ずに会えなかった。

 働いていた頃のある年の瀬、小さな子どもを抱っこしたお母さんがホールケーキを注文して、「クリスマスのは、さすがにもう無いですよね」と聞いてきた。「クリスマスにこの子が熱出しちゃって、ケーキを食べられなかったから買いに来たんですけど……」と言う。抱っこされている子どもは三歳くらいだったか、すでに泣きそうな顔をしている。確かその日は二十七日で、「クリスマス用のケーキは全部二十五日までだったんです」と答え、一応厨房のシェフに聞いてみた。するとシェフは棚をごそごそと探って、砂糖菓子のサンタクロースを出して、ホールケーキにのせてその子に見せてあげた。花が咲いたようにわあーっと笑ったその光景を間近で見て、真冬なのに顔が熱くなった。何気なくて一瞬で、間違いなく美しかった。

  こんな一瞬の出来事を、誰に話すわけでもなかった些細な記憶を、ふと思い出す。思い出すということは忘れてなくて、自分の頭の引き出しにとっておいたんだと思う。生きている間何年も覚えているような大きな出来事も、何十年越しに思い出した出来事も、自分の心を照らすたましいの欠片として、等しく光っている。話したことも話さなかったことも全部本当で、全部確かなことだった。わたしはこんなふうにずっと、自分の欠片を探し続けるのだと思う。

僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)など。自費出版の日記集も作っている。

連載「記憶を食む」は今回で最終回です。
お読みくださり、本当にありがとうございます。

そして本連載は書き下ろしを加えて書籍化いたします‼

2024年11月刊行を目指しています。お楽しみにお待ち頂けたらたら幸いです。それではまたお会いしましょう。

過去記事は以下のマガジンにまとめています。


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