見出し画像

読書記録『焼き芋とドーナツ 日米シスターフッド交流秘史』

こんにちは、神崎翼です。
今日の読書はこちら。

『焼き芋とドーナツ 日米シスターフッド交流秘史』
(2023.9/湯澤規子著/KADOKAWA)

「わたしの」人生をどう生きるか。
それがいつの時代も問題だった――。

本著 表表紙側そで部分より引用

◎女性労働者は工場の堀の内側に囲われていた
◎集会と焼き芋は喜びとささやかな抵抗
◎日本でもアメリカの女性運動を同時代的に参照し、実践していた
◎ローウェルの工場の窓には新聞の切り抜きが貼られ、それは窓の宝石と呼ばれていた
◎アメリカン・パッチワークキルトは生きる尊厳を表現するメディア
◎男女はほとんど平等になっていた西武開拓地
ドーナツは主食のようにみなされていた

女性労働者は一方的な弱者ではなく、実は「わたしの」人生を強かに拡張していた。ではなぜ、「わたし」という主語で語る術を私たちは失ってきたのだろうか?

本著 表表紙側そで部分より引用

女性の生き方や主体性のあり方、それが日本とアメリカではどのように変遷してきたのか。獲得され、失われていったのか。労働でも生活でも区分しきれない、日常茶飯の世界に目を凝らして、声なき「わたし」の声、ライフヒストリーを日本とアメリカを対照しながらまとめた本です。

タイトルにもなった焼き芋とドーナツを含め、本著では食べ物を基軸に「わたし」の声を探っています。例えば「月とクリームパン――近代の夜明けと新しき女たち」「キルトと蜂蜜――針と糸で発言する女性たち」といった具合に。クリームパンの章ではクリームパンの元祖こと、新宿中村屋の創業者の一人・相馬黒光について。蜂蜜の章ではいかにアメリカン・パッチワークがただの趣味ではなく、生きる尊厳を表現するメディア・女性史であったかを、開拓史にスポットを当ててまとめています。ちなみにここにおける蜂蜜は食べ物ではなく、キルト作品そのものを指します。

一枚の布を囲んで集まる女性たちの様子が、まるで巣を作る蜜蜂(ビー)をイメージさせるということで、パッチワークキルトづくりのコミュニティは「キルティング・ビー」と呼ばれる。そこから生み出される作品と、紡ぎだされるメッセージは、さながら芳醇な「蜂蜜」といったところだろうか。

P.242 第二部 アメリカの女性たち 第七章「キルトと蜂蜜――針と糸で発言する女性たち」より引用

「わたしは」と主語で語ること。つまりそれは主体を持って語ることです。主体というのは物事の中心、自覚や意志を持つもののことであり、つまるところ「わたしは」という主語で語るというのは、一人の人間として、人格のある一個人として語るということです。男性なら当たり前の権利だけれども、現代社会においてすら、女性には「わたし」として語る権利が実のところないのは、女性の方なら大なり小なり実感として持っているのではないでしょうか。

一九五七年、社会に求められる女性としての役割を脱ぎ捨てた生身の人間となって話し合い、新しい時代をひらいていこうというメッセージを体現する小さな雑誌が誕生した。森崎たちによって刊行された、『無名通信』という女性交流誌である。創刊号の表紙には次のようにある。
  わたしたちは女にかぶされれている呼び名を返上します。
  無名にかえりたいのです。なぜなら
  わたしたちはさまざまな名で呼ばれています。母・妻・主婦・夫人・娘・処女……。

P.334 エピローグ――「わたしたち」を生きる

タイトルだけ読むと日米の歴史本だと思われるかもしれませんが、現代の労働問題、女性差別の問題、女性が自立し、どのように生きるべきかを考えさせてくれる本となっています。特に第二章のアメリカの女性たちの生き方は、「私もこうして自立して生きることが可能なんだ」「こういう人生を生きてもいいんだ」と考えるきっかけにもなりました。

 いつの時代も女性たちは、「わたしの人生」をいかに生きるか、生きることができるのかという問題と向き合ってきた。そして、今も向き合い続けている。それゆえに、ルイーザ・メイ・オールコットの人生、つまり彼女の「マイライフ」、そして「自分自身の物語を生きよう」というメッセージは、今なおその意味を失ってはいないのである。

P.200 第五章 野ぶとうとペン――女性作家の誕生 より引用

「仕事」とは自立や学びの喜びをもたらし、人生選択の幅を広げ、信仰に支えられ、そして人間同士、女性同士の分かち合いや連帯を生み出すものである、という考え方である。

P.195 第五章 野ぶとうとペン――女性作家の誕生 より引用

十九世紀末に大学教育を受けた全女性のうち、アメリカではほぼ半数が結婚しなかったといわれている。女性たちは教職、保育など、当時拡充しつつあった職業に参入していった。つまり、経済的に自立した女性が誕生し、新しいライフスタイルが展開し始めたのである。

P.261 第二部 アメリカの女性たち 第七章「キルトと蜂蜜――針と糸で発言する女性たち」より引用

焼き芋とドーナツ。今でも「わたし」たちは甘いものを栄養や癒しとして大いに活用し、労働に向き合っています。当時の女性たちがそれぞれの国で、それぞれの食べ物を基軸に日々を歩んできたか。「わたし」の歩みをぜひ読んでみて、これからの人生の糧の一つとしてほしいです。

 タイトルに掲げた「焼き芋」と「ドーナツ」はいずれも、近代の産業革命期を生きた女性たちの胃袋を満たし、その甘さで彼女たちの日々に慰めと健やかさを与えた点では共通している。しかし、よく目を凝らしてみれば、「焼き芋」が求められた日本の事情と「ドーナツ」が求められたアメリカ合衆国の事情は、歴史的経緯や社旗構造そのものの違いを反映して、大きく異なっていた。

P.329 エピローグ――「わたしたち」を生きる

それでは今日はこの辺で。
次の記事でお会いしましょう。

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,671件

よろしければサポート宜しくお願い致します。サポート代は書籍など創作のための活動費に使わせて頂きます。