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人生の中での労働時間は何時間?

私たちは、人生の中でどれぐらいの時間を労働に費やすのだろう?


皆さんは、そんなことを考えたことがあるだろうか?


一般的な日本人男性の労働時間を、ざっくりとであるが計算してみよう。


大学を卒業し、23歳になる年から65歳になるまでの約43年間。


1年間で週休2日や有給休暇などを消費すれば、多くて250日は働く。


1日の労働時間を8時間と考え、全てを掛け算していく。


43年間×250日×8時間=86000時間となる。


ちなみに、生涯年収と言われている2億円をその時間で割れば、1時間当たりの時給は2325円。


まぁ、悪くわない感じもする。




人は、いつ死を迎えて、人生がいつ終わってしまうのか?


それは誰にもわからない。


しかし、もしも死んでしまった後で、『自分の人生を振り返る』というようなことができるとした時、私は『日本人男性の一般的な労働時間』を上回って労働しているのは嫌だ。と、思うタイプだ。


これはもちろん、「労働」=「苦行」という定義で考えた場合の話なので、「労働」=「愉しみ」である人にとっては当てはまらないだろう。


私自身も、「労働」=「苦行」では無かったので、それには当てはまらないタイプの人間の一人なのかも知れないが、それでも、『人生』という限られた時間のなかで、『自由』といわれる時間を増やしたいという思いの方が強いタイプなので、そのような思考になるわけだ。


その上で、実際にこれまでの自分自身の人生の中で、既にどれぐらいの時間を「労働」に当ててきたか?を計算してみた。


高校を卒業して19歳で働き始めた。サロンワークの時間は、基本的に一日10時間ぐらい。

それに、朝晩のレッスンや掃除という業務もあったので、プラス2時間を足せば、1日で12時間ぐらいが当たり前だった。


当時の美容師業界には、『週休2日』の様な制度は殆どなかったので、1ヶ月の労働日数は25日ぐらい。


25日×12ヶ月で年間で、年間の労働日数は300日。


300日×12時間=3600時間。


これをアシスタント期間の5年間に当てはめると、アシスタント期間だけで、ざっと18000時間。


それからスタイリストになり、少しは楽になるかと思っていたら、今度はさらにセミナーを行う様になったり、撮影に出向く様になったので、労働時間はアシスタントの頃と殆ど変わらず。


むしろ、立場も上がっていき、会社全体のことも考えなくてはならなくなったので、その時間は増えたぐらいだった。


24歳から30歳ぐらいまでの7年間を計上すると、300日×7年間×12時間=25200時間。


これで、先の5年間を足すと、合計43200時間。


それから、東京へ進出した31歳になり、さらに32歳からはシンガポールへも飛ぶ様になった。そして、ロンドン、香港、上海にも通い出した。


美容師の労働環境は、どんどんと良くなっており、週休2日や、有給休暇制度も整備されたが、私自身の労働条件は変わることはなかった。


そして、そのまま45歳までの15年間。


300日×15年間×12時間=54000時間。


全てを合計すると、46歳にして、ざっくりと10万時間近くを「労働」に充てている事になった。





私は現在、46歳でセミリタイヤをして、ゆっくりとした時間を過ごしているが、周りの友人や先輩からは、「早すぎる。」とよく言われる。


「早すぎる、、、。」「まだ働けるでしょ?」「もっと働きなさい。」



ううう、、、。


私の人生は、私の人生だ。


一般的な『定年』の年齢を基準にして考えないでほしい。






その昔、夏休みの宿題をたった1日で終わらせてしまう強者がいた。

残りの全ての夏休みを「遊び」に当てる為に、30日分以上の夏休みの宿題をあっという間に終わらせる強者だ。


皆さんは、その強者に対して、「周りの友達は、まだ宿題を終えていない。お前は1日で30日分の宿題が出来るんだから、周りの友達の30倍以上の宿題をやりなさい。」と言えるだろうか?


また、42.195kmのフルマラソンを2時間で走る走者に対して、「周りの人は皆んなまだ走っているんだから、もう一回、フルマラソンを走りなさい。」と言えるだろうか?



毎日ちょっとづつ宿題をやりながら、ゆっくりとしたペースで夏休みの日々を楽しむやつもいるし、ジョギングの様なペースで5時間かけて体力を消耗せずにフルマラソンを楽しく走る人もいる。



それぞれの時間の使い方、価値観は、誰にも否定しようがないし、本人が幸せだと思えれば、どの方法も正解となるわけだ。



先に書いた通り、私は現在46歳ではあるが、既に10万時間近くを「労働」に当ててきた。


日本人男性の一般的な労働時間を既に裕に超えているわけだ。


言い換えれば、それだけ自分の『自由な時間』を削ってきたわけだ。

家族の時間も削ったし、遊ぶために睡眠の時間も削った。


もう、いいだろう。


私は十分働いた。


『65歳が定年』という様な風潮は誰が決めたんだ?

寿命から換算したのか?なんとなく働けそうな体力があるからなのか?

そんな誰が決めたかわからない、暗黙のルールみたいなものに従う必要はない。


皆さんも、これまでの自分自身の人生の時間のうち、すでにどれだけの時間を『労働』に当ててきたのか?を計算してみてはどうだろう?


意外と面白いですよ。


あとは、「お金」の問題があると思うので、それは別の機会に書き留めるとする。

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