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VOL.22【 自分のことは、わからない 】 --- どうして「売れない」のだろう?---

よくある話「自分の意見」には、なんとなく「こだわりたい」のが人間の性。一度自分が「こうだ」と思う。そう発言する。そうなると、もう引っ込みがつかない。
 
「そうではないのでは?」などと否定のツッコミなどが入ると、なかば「意地」とも言える感覚で「いいや、絶対にこうだ」と言い張ることになってしまう。

むかしから「自分のことは、わからない」というコトワザもある。「自分の子ども」は、誰がなんと言おうと可愛い。これを「親バカ」と言ったりもする。
 
実は「商品」にも「自分の子ども」のように盲目的に「親バカ」になってしまうことがよく起こる。商品を自分が仕入れて売る。商品を自分が作る。こういう人は盲目的になりがちだ。
 
商品は「作る人」がいて「仕入れて売る人」がいる。決して「買う人」が作ったり売ったりということはない。結果、親バカと同じように盲目的になりやすい。
 
「私が作ったのだから、悪いハズがない」「私が、これは良い商品で、売れるに違いないと感じてお金を払って仕入れたのだ。悪いハズがなかろう」・・・
 
たいていの人が、こういう感覚でいる。これは、作った立場、仕入れて売る立場の人が「売る側の立場的感覚を捨てるトレーニング」をしていないからだ。
 
作った立場、仕入れをして売る立場を捨てるというのは、言葉にするとカンタンそうに聞こえるかもしれないが、かなり難しいことだと言えそうだ。
 
そもそも、自分が作った商品、自分が売れると見越して仕入れた商品を批判されるのは楽しい話ではない。もし、否定されようものなら弁解したくなる。
 
「この商品の良さが、どうしてわからない?」と、逆にモンクさえ言いたくなる。しかし、こうなるのは、まさに「親バカ的感覚」としか言いようがないのだ。
 
子どもである娘を嫁に出したことがある人はピンとくると思うが、嫁に出した娘のデキが悪ければ、嫁に出した先に不満を持たれることになる。
 
だから、事前に「どんなところに嫁入りしても良いように、他人の忠告に耳を傾け、自分の子をしっかりと育てておかなければならない。」
 
さらに、これが「子どもである娘」を嫁に出すのではなく「商品」という話になると「親バカ」では済まされない話になってしまう。
 
なにせ「お代金」をいただいて、買っていただくわけだ。その商品が、お代金以上の働きをしなければ、相手様に迷惑をかけることになってしまう。
 
「自分のことは、わからない」しかし「他人のことは、よくわかる」という言葉もある。これもまた、重要な「真理」であると言える。
 
他人のことは冷静に見ることができる。他人のことは、第三者の話を参考にして客観的に、俯瞰的に見て判断することができる
 
だから「他人のことは、よくわかる」という話になる。ところが、人間だれしも自分のことになると、この話が、一気に一変してしまう。
 
「自分のことは、自分が一番よくわかっている」とか「他人には私の気持ちはわからない」とか言い出し、好き勝手なことをしたがる
 
ビジネスの世界で、こういう「態度」をとるとユーザーが許さない。ユーザーは表立っては批判しないが「買わない」という無言の抵抗で批判するようになる。
 
ビジネスの世界で行きていくのであれば「自分のことほど見えていない」ということを、強く反復しながら自覚していく必要が出てくる。
 
うまく進まない時には「自分の何かがおかしい」「何か、自分が間違っている」と、しっかりと声に出して言い聞かせる。そうすると、そう思えるようになる。
 
こういうことを続けているうちに、他人が何かとアドバイスや忠告をしてくださることが、右から左に流れずに、しっかりと「聞こえてくる」ようになる
 
「自分は正しい。自分の考えは間違っていない」という「反射」をしているうちは、アドバイスや忠告をしようとする人さえ出てこない。
 
自分の方から「うまくいかないのだけれど、どこを間違えているのか教えて欲しい」と、たずねるようになると「それならば、実は・・・」と教えてもらえるようになる。
 
自分の欠点は「そのままの状態」では、いつまでも見えてこない自分の方から「見に行く」「聞きにいく」「取りに行く」ようにすれば見えてくるものだ。
 


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