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日常背景、

写真機を片手に街を闊歩する、その感覚が日常へと戻って来た。

私とカメラの関係はきっと希薄で、写真に取り憑かれても無いし、無性に撮りたくなる衝動なども無い。

何か撮らなきゃ行けないという使命感が、その“何か”を撮ってる動機そのものだった気がする。

日常に写真が戻って来てからは、毎度写真機を持ち歩く。軽いリハビリの様なものか、デザインに惚れて衝動買いして正解だったと思い込んでいる。

数ヶ月前、惰性で写真をやってる様で投げやりな自分の写真が嫌いになった。その時期から比べたら幾分マシになっただろう。

元来、メカ好きで機械式のカメラにフィルムを通して好きな物を撮る、写真の出来なんかより断然に使用感を得るのが好きだった。

写真を続けて、写真自体や作品の構成なんかに趣向が写り枚数を重ねられるデジタルカメラを好んで使う様になっていく。

しかし今の自分が求めるのは、使ってて楽しいカメラだ。作品はそうして出来上がる物だと何となく思った。

楽しいカメラで楽しく撮る。もちろん作品は大事だ。しかしそれよりも僕に根付くカメラ好きとして駆り立てられる物を使わなければならない。

枚数が限られる事は、デジタルネイティブになった僕の思考を一度リセットしてくれるんじゃ無いかと思う。

何より5、60年代のカメラを操る感覚は何物にも変えられない。

大事な一枚とは何か、撮る意味ではなく必要性を私と自分の写真に問いたいのだ。

失った数ヶ月とこれからの人生。
もう一回だけでも、私の中で再浮上、そしてブームを作れるか。

再び作品を作る気持ちが戻って来た気がする。

メカシャッターにするの忘れた。

少しでも良くなったら嬉しいな。そんな事を思いながらこれからも変化を求めながら写真を撮り続ける。

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