恒村冠輝

ポートレートを撮ってます。 2002年生まれ

恒村冠輝

ポートレートを撮ってます。 2002年生まれ

最近の記事

続きpart2

当時僕は17歳でその人は確か15、6だったと思う。違う高校だけど最寄りが同じ通信制でTwitterで知り合ってからは偶に名古屋駅周辺で写真を撮る関係だった。 上京後は疎遠になりつつはあるが、高校時代の写真はその人との物だと言っても過言では無い。 僕はその人の事が好きだった。 綺麗事じゃ無く男女の関係では無い、精神的に好きみたいな感覚だと思う。 付かず離れず、良い距離感でずっと見ていたい。そんな存在だ。 その人の交際相手を含め3人で遊んだり、自分の友人を足して3人で遊ん

    • 4年が経って、これからについて。

      愛知の実家に一カ月弱、居候状態だ。 戻るつもりはある、がしかし戻る気が湧かないし湧くまで戻るつもりは無い。 よく言う充電期間みたいな物だと思う。 “知人”とその“知人”誘われて入った会社が潰れた、ドタバタしてるうちに心の余裕が無くなり、そんな時に友人との関係のトラブルに飛び火して、もう手を付けられない負の連鎖だった。 余裕が無い時の行動は友人や家族など、自分を支えてくれてる人にとっては悩ませてしまうだろうし、傍迷惑な話だと思う。東京を自転車で抜け出して、故郷で休養をする事

      • 日常背景、

        写真機を片手に街を闊歩する、その感覚が日常へと戻って来た。 私とカメラの関係はきっと希薄で、写真に取り憑かれても無いし、無性に撮りたくなる衝動なども無い。 何か撮らなきゃ行けないという使命感が、その“何か”を撮ってる動機そのものだった気がする。 日常に写真が戻って来てからは、毎度写真機を持ち歩く。軽いリハビリの様なものか、デザインに惚れて衝動買いして正解だったと思い込んでいる。 数ヶ月前、惰性で写真をやってる様で投げやりな自分の写真が嫌いになった。その時期から比べたら

        • 新しい君と取り残された僕

          僕はカメラを買い替えた。 息詰まったらカメラを変えればいいなんて、誰かが言ってた気がする。 とにかく写真を撮れればそれでいい、写真を撮り続けるのを辞めない為にカメラをコロコロと買い替える。 少しカメラをぶら下げて生活する日々に戻りたくなってきた。