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自分を知るには人と話そう

ワタシは自分を知るということが苦手だった。
嫌いで、自分を知ることから逃げていた。


大学入学のときや節目節目で、
これからどうしていきたいかについて考えなければならない
そんなとき、自己分析をして
自分がしたいことを見つけることが
必要不可欠になっていく。

ワタシの嫌いな
「自分を知らなければいけない状況」となる。


当時は一人で今後のことをひたすらに黙々と考えるのが
特に苦手で、自己分析が本当に嫌いだった。

だけど、ワタシにも好きなことは
他人(ヒト)のことを知ることだった。


ワタシの大好きなことは
人と対話すること。
人の話を聞くこと。
人のこれまでの人生について聞くこと。
それについて質問することだった。

今考えてみれば、他人に興味があるふりをして
本当は自分のことを考えたくないし、言いたくなかったから
他人(ヒト)の話が好きと言っていたのかもしれない。

ワタシは
他人(ヒト)と話すことは大好きだったため、
特に高校生時代はずっと人と話していたと思う。


ヒトの話を聞いていると
やっぱり聞かれてしまう。
ワタシ自身の話を。
そしてワタシの意見を。

ワタシは
自分の意見に自信がなかった。
そもそも自分に自信がなかった。

自分のことを話すのが不安だったけど、
それに対してちゃんと受け止めてくれる存在が
ワタシの目の前や周りにはいた。


「自分のこと話して大丈夫なんだ」
そう思った。

人の話を聞いて、自分の話をした
その気づきは

ワタシ自信が考えていることが
相手に話しているうちに段々と見えてきたという
不思議な感覚だった。

人と話すことで自分を知ることができていった
この感覚がワタシにとってはとても心地よかった。
例えば話している相手の困っていることや楽しいこと
そんな話題の中に、自分とは違う部分や共感する部分を見ることができた。
それによって自分を知ることになった。
「この人こんな言葉を頻繁に使っているな。ワタシはあまり使わない」
「人に興味があると話していたけど、ワタシも人に興味ある。でも少し違う?ワタシはもっと人の心と行動が好きなのかも」
などなど

だからワタシは、自分で黙々と
自分自身のことを考えるといった
自己分析はあまりしない。
しないというか、得意じゃないから。

何かモヤモヤしたり、自分の感情がわからないとき、
これからの自分が不安な時、人と話す機会をあえて作っている。

最近では、
何気なく話したことが、自分の心にグサッと刺さったりと
話したいタイミングがわかっていたかのように、
受け取りたかった言葉を意図せず目の前に突きつけられたりすることから
話すタイミングも引き寄せている感覚があったりもする。

ワタシが話す相手は決まっているようで、決まっていない。
時と場合、事柄、内容によって、話せる人と話せない人が変わってくる。

ワタシはこの話せる人のことを依存先だと考えている。

依存先とは、決して悪い意味ではない。
依存先とは=話し相手であると考えている。
ワタシは自分を知るために
依存先を持つ。
依存先は安心して話せる場所でありヒトなのだ。

だから
ワタシはこれからもたくさんの依存先を
つくっていきたい。

依存先がたくさんあることで、
一人に負担がかからないし、
そもそも話す内容が違うのだから、依存先(話し相手)も違う。

そして、誰かにとってワタシの存在も
依存先(話し相手)であれば嬉しい。


自分が心を許せる依存先(話し相手)をどれくらい持っているかが
人生を豊かにしてくれるのではないかと
ワタシはなんとなく思う。

これまでワタシに出会ってくれた人たち
これからワタシに出会ってくれる人たち

人との出会いがワタシの人生を
より豊かにしてくれている。

ワタシはそう思う。


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# no3

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