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誰のことばを信じるか

人によって世界の見え方が違う。
人によって世界の捉え方が違う。

同じものを見ていても、人それぞれ違う感じ方をする。
同じものを見ていても、色の捉え方が人によって違う。
かもしれない。

誰が正しくて、誰が間違っているか
という話がよく会話で出てくるけど、
その人にとっては、
それが正しくて、
また違う人にとっては、
それは間違っている。

見たものが一緒でも、違う捉え方をするくらいだから
それは聞こえかたも一緒だと思う。


言った、言ってない論争は今までに何度もあったし
周りでもたくさんあった。

結局、言った方は「言った」と主張をやめないから、
聞いてない方が、「聞こえていなかったこちらが悪かった」となる。
だけど、「聞こえていないということは、それは伝わってないから、
言っていたとしても、伝わったことになってない」と反論する。

この場合どっちが正しくて、どっちが間違っているのか。
どちらも間違ってないし、
その場所と状況にもよるのではないかと思う。


噂話もそうだろう。
「〇〇さんがこう言っていたよ」
「〇〇さんと〇〇さんがこんなことをしていたよ」
「あなたのこと、こう言っていたよ」
とかも全部そう。

現場を見ていたり、聞いていた人が
一部始終を確認したわけではなく、
ある部分だけ聞いていたり、見ていたり、
そう見えてしまったり、
そう聞こえてしまったり。
また人伝えに聞いたことは、どこかでニュアンスが変わっていたり。


その中で
ワタシは誰のことばを信じるか。
ワタシは信じたいと思う人や
その話題になってる本人の
直接のことばを信じたい。(と思っている)


例えば今後将来的にパートナーができたとして
その人が浮気や不倫といったことが
知り合いなどから人伝えに知った時。


何を信じるか。
誰を信じるか。


ワタシは本人のことばを信じたい。

それを経験した本人にしか、
それが事実かどうかもわからないし
相手にとってそれは裏切ったことだという認識がないかもしれないし
そこで話し合いをして
ワタシが何が悲しかったかも伝えたいから。

「嘘つかれてたらどうするの?」
と言われてしまうかもしれない。
嘘をつくような関係性だということに気づいて
そこまでの関係性だったということになるだろう。
(それすらも気づかないかもしれないけど)


都合がいいかもしれないけど、
自分にとってそれが心地よい選択で
意思を持った選択なら
ワタシはそれでいいと思う。

都合の良い人かもしれないけど、
自分が心地よかったら、
誰かの「それおかしいんじゃない?」
は、あまり響かない気がする。
(時と場合によるかもしれない)


最近
「この活動にはこんな裏があったらしいよ」
というようなことがあって、
全然納得できず、その活動に取り組めなくて
それを裏工作していると思われる人に
直接、モヤモヤとそれは違う気がする
と伝えたら、人伝えだったため、
ニュアンスが変わっていただけだった
ということがあった。

そこでその話し合いによって、ワタシは納得したらから、
今まで嫌だなと思っていた活動も
自分が納得したことによって、
むしろ前向きに楽しめている。
(ワタシはかなり単純かもしれないけど)

自分を納得させるために、
ワタシは直接その人に聞く。
自分が納得いくように。
これは、わがままかも知れないけれど、
納得したことで
自分の意思で決断したことになると思うから。


誰のことばを信じるか
まず自分のモヤモヤと向き合って、
その本人と話し合う。
それがワタシの目指したいありかた。

これは綺麗事かも知れないけど、
ありたい姿なので、思いっきり理想を言っても
誰にも迷惑はかけないだろうと思うから。


(写真とは全然違う内容になってしまった、、、)



211119_mayu


# no.4

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