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自分のコンプレックスやトラウマをテーマに写真を撮るということ|石打都さんのインタビューから学ぶ

みなさんは何をテーマに写真を撮っているだろうか。

または無意識にテーマにしてしまっていることはなんだろうか。

これをしっかりと自己分析することが自分らしい写真にたどり着く一番の近道だと僕は信じている。

最近このことを考える上でとても勉強になったのが、石打都さんのインタビュー動画だった。

とくに石打さんの最初の三部作におけるテーマの捉え方について、今回から数回に分けて僕なりに考えを書いておきたい。

写真は自分のコンプレックスやトラウマと向き合い、それを表現できる手段である

石打さんのデビュー作、写真集「絶唱、横須賀ストーリー」。

石打さんが幼少期に群馬から横須賀に引っ越してきたときの印象を語るシーン、唸るものがあった。

なんか、嫌な街だなぁ。
だから私、横須賀大嫌いだったのね。

嫌いと言ってもそれはかなり根深いというか、「次に進むためにしっかりと見なければいけないもの」、であったらしい。

写真を撮るっていうよりも、違うことをやる。
たまたま写真を撮っていたんだけど、写真のことを考えるんじゃなくて、写真を撮ってプリントをして、しっかりと定着させる。
ということは、過去をもう一回しっかり見るみたいなね。
自分の足元を見ないと次に進めない。
自分が悩んだり、辛かったり、悲しかったり、嫌だったり、そういう感情を全部表に出した写真。

たとえば横須賀という街はかつては日本軍の基地があり、戦後は米軍基地がある中で独特な街の雰囲気を作ってきたわけだけど、他のフォトグラファーはこの街をドキュメンタリー的に撮ってきた人が多い。
一方で石打さんは「個人的なもの」、イメージとしてのスナップ写真を撮ってきたようだ。

嫌いなものを撮るというのはそれまで僕の発想にはなかった。というより意識をしてこなかったと言うべきか。

でも、この話を聞いたとき、僕ははっとしたのであった。

僕はこの考え方がとてもしっくりくる

写真は個人的なコンプレックスやトラウマなどを表現する手段にもなりえるというこの石打さんの考え。

僕は「写真を撮る」という、この、誰のためにもならなそうな趣味、動画動画と言われているこの時代の中で写真を撮り続ける活動の意味を、この文脈の中に見いだせずにはいられなかった。

それはこれまでモヤモヤしていたからなのか、それとも理由をどうにかつけようともがいていたからなのか。

いずれにせよ、僕の頭の中にあった感覚が言語化されるというか、点が線となっていくのを感じたのだった。

僕のように気づきにつながる人がいる一方で、逆にしっくりこない人も多いかもしれない。
とくにカメラ好きの方、写真好きの方。

写真は記録である、絵画である、ドキュメンタリーである、ジャーナリズムである、広告やブランディングの手段である、など、人によって様々だが、多くの人が今言ったようなことと捉えているだろうと思う。

そういう違う考えが多くあるであろうことも想像しつつ、僕自身はやっぱりしっくりきている。

さらに今はもう少し考えを進めていて、もしかしたらこの考え方は多くの人にもしっくりくるかもしれないなどとさえ思う。それがこれからの写真の可能性、と言えたらいいな、と。

「僕が感じてきた母の価値観」が僕のコンプレックスである

なぜ京急の街を撮っているのだろう、なぜこれまでも街中のスナップ写真に興味をもっていたのだろう、その中でも何を探していたのだろう、高校生のときに森山大道の写真に心惹かれたのはなぜだろう。

それらの問いに対して、改めて自分の個人的な部分に照らして考え直してみた。そこで考えたのは

「僕が感じてきた母の価値観、これが僕のコンプレックスであり、スナップ写真を撮る原動力となっている」

ということだった。

僕は以前から母の考え方の様々な部分が嫌いだ。
かなり嫌いな自信がある。

たとえばそれは人種差別、学歴差別、経済格差や宗教に対する偏見、ステレオタイプ、さらにはそういった話の中での知ったかぶりだ。

並べてみると、時代錯誤も甚だしく、社会的人格を疑うようなキーワードだ。

そんなひどい母なのか、と言えば、それも一側面ではあるかもしれない。周りの人にはいい人に映っているかもしれない。

しかし僕はそれがとても気になってしまう。

もちろん僕自身の考え方や感じ方ではないと言い続けたい。一方でそういった人に育てられたのも事実。影響があるに違いなく、そう考えると穏やかではないレベルで、納得ができないのだ。

数日前、たまたまそんなことを考えていて、ちょうど昨日、彼岸ということで母と久しぶりに墓参りに出かけた。
車を走らせていると、京急線の駅が見えた。杉田駅とその商店街だ。

そこで母が核心をつくようなことを言った。

「どうもこういう街って京急の匂いを感じて嫌だわ。」

この瞬間、僕は合点してしまった。点が線となる以上の、その線が強烈に自分に突き刺さるような感じだ。

「だからだ。だから京急の街に感じる違和感や時代のズレ、その世界観が気になってしまうのだ」、と。

母が嫌いと言った「京急の匂い」。たぶんそれは労働者、不良、治安、娯楽、賭博、宗教などといったものだろう。

もちろん京急の街はそれだけではない。普通に暮らしている人がたくさんいるし、そういった世俗的なイメージとは真逆な一面もある。しかし、そういう「匂い」を感じるのも事実だと思う。

問題はこの匂いというやつが、「今」をちゃんと見て言っているのか、ということだ。

母の言う「匂い」は、彼女が過去に感じたもの、それもかなり個人的なものに感じる。それは母の個人的な過去の経験に偏っており、そのとき感じたものが今でもコンプレックスであり、トラウマなのだ。そもそもコンプレックスやトラウマというのはそういうものだろう。

それが、昭和から平成を通り過ぎ、令和になるまでもう一回りねじれて、僕の上に呪いのように覆いかぶさっている。

これが僕が感じてきた母の価値観であり、「今の」京急の街をスナップする原動力である。

話が長くなってしまったので、続きは次回。

母の生きた時代とともに、そのコンプレックスとはなんだったのか、それが僕にどう転換されてのしかかっているのか、さらにはそれが僕の写真のテーマにどう結びつくのか、お話していきたい。

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