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第17夜 生まれてきたことの奇跡 弥彦神社のおでんこんにゃく

 しょうゆ味がよく染みた三角形のおでんこんにゃく。新潟県・弥彦村にある「越後一宮」弥彦神社の門前で売られている名物だ。
 最近は、もちもちした皮が特徴の「パンダ焼き」や枝豆入りの「イカメンチ」などが弥彦グルメとして注目されているが、肌寒い時は熱々のこんにゃくが一番。売店の小さないすに座り、お酒と一緒にいただくのがいい。
 ほろ酔いの目でぼんやり鳥居を眺めていると、不思議な気分になってくる。一歩間違えば、私はこの世に生まれてこられなかったかもしれない-。弥彦神社は、そうした思いに駆られる出来事のあった場所なのだ。
 1956(昭和31)年1月1日、新年を祝う餅まきが行われた直後のこと。二年参りの参拝客が石段で折り重なって倒れ、124人が亡くなり、100人以上の負傷者が出た。戦後最悪とされる群衆雑踏事故である。
 参拝の列には、当時独身だった母が友人と並んでいた。混雑がひどく、列は全く動かない。母たちは諦めてそこを離れ、凍えた体を温めるため、近くの露店でお酒を飲んだ。初詣に訪れた神社で大惨事が起きたとは、自宅に戻るまで知らなかったという。
 ラジオでニュースが流れると、家族は大騒ぎになった。洋食器の磨き職人だった祖父は、母の友人の弟と一緒に弥彦へ向かった。犠牲者が横たえられた場所に行き、衣服と顔を確認して回った。母のものに似たコートを着た若い女性もいて、一時は覚悟をしたそうだ。
 祖父は昔気質で寡黙な人だったが、後で神棚を買ってきた。紙一重のタイミングで娘に生を与えてくれた神様に、感謝の気持ちを表したくなったのだろう。その後、母は小学校の教師だった父と結婚した。雪深いへき地校に着任した父と暮らし、私たちきょうだいを大学にまでやってくれた。今年で90歳になる。
 私が母からこのエピソードを聞いたのは、中年になってから。コラムに書いたところ、ちょっと不思議な体験をした。「実は、自分も危ないところだったんです」と話し掛けて来る人が、急に増えたのだ。乗るはずだった飛行機が事故に遭った、ついこの間まで住んでいた場所で災害が起きた、たまたま知人と一緒にいる時に脳こうそくの発作が起き、救急車を呼んでもらえて助かった-など。結構多くの人が「紙一重」を経験しているものだな、と思った。「同類」と感じた相手に、小さな打ち明け話をしたくなったのだろう。
 平穏な日常を送っているように見えても、私たちの足元には、暗くて深い穴が開いている。生まれてきたこと、いま生かされていること自体が奇跡なのかもしれない。おでんこんにゃくを噛みしめながら、思う。
 (写真は、弥彦村の弥彦神社。スキ♥を押していただくと、わが家の猫おかみ安吾ちゃんがお礼を言います。下記では「シスターフッド(女性たちの連帯)で醸した酒『そらとなでしこ』」を紹介しています)

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