頼まれ事は試され事。
頼まれ事は試され事。
誰に試されているのか、何を試されているのか、今一度、熟考した方がいい。
人生は真剣勝負の場。生涯、安穏と遊んで暮らせる程、実相はお主たちの都合に合わせて出来てはいない。
即ち、自分のペースだけでは生かさせてもらえないということだ。
なぜ、今、頼まれているのか。その背後には、どのような背景、意味、目的があるのか。自分にとって損か得か、面白いか面白くないか、簡単か面倒か、時間があるかないかなど、自分都合で応じていては、人生の好転は無い。
「そんなこと言ったって、こっちだって忙しいし、もっと暇な人がいるでしょうに」
「いやあ、そんな難しいこと、自分には出来ません。失敗したら迷惑かけちゃうんで」
「まったく興味ないんで、そういうの。もっと他の人に頼んだらどうですか」
「私にはムリです。ごめんなさい」…。
こうして人間は、折角の成長の機会を無碍にする。
「っていうか、そんな簡単に受けられませんよ。頼んだ方も、誰でもいいんでしょ?受ける義理なんてありませんよ。忙しいんで、選ばせてもらいます。そうしないと、こっちが潰れちゃうんで…」
人間、自分が余程可愛いらしい。
頼まれ事は自分のことではないから、適当にやっておけばいい。
受けてやったんだからと、それ相応の見返りをあからさまに期待する。
受けたのに、中途半端に対応し、約束も守らない。
挙句の果てに、受けて失敗すると、人の所為にする。
このような具合では、世の中、引き算だらけで、悪のエネルギーが蔓延し、崩壊していくのは、いかようにも想像出来る。
現代の人間は、あまりにもこの類が多すぎる。
だから末法の世となっていることを推して知るべし。
「だって、自分が大事なんで。自分優先でいかないと、馬鹿を見る世の中なんで」
…仕方がないっていうことか。
どこでどう間違ったか人間よ。
支え合いや相互扶助は、掛け声の建て前だけ。
本音が透けて見えている。
今に生まれてきている純真無垢の子供たちは、そうした大人たちの悪しき気を読んでいる。
これから人間淘汰が始まる。
今のうちに、頼まれ事は全身全霊で受けておいた方がいい。
甘き言い訳の思考は、天に全て見透かされている。
そのことを肝に銘じ、軽々しく物事を断ったり、いい加減に対応することをせず、謙虚に素直に正直に頼まれ事を全うします。
有難う御座います。
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者