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この世界であと何年生きていられる?
お主、なぜ、今、ここにいる?
なぜにこの時代に生まれてきた?
何のために?
己、この問いに答えられるか?
「そんなこと分かりません!分かっていたらこんなに苦労なんかしていないですって!」
「ん~、分からないですね。たまたまでしょうか。」
「それは、自分が望んだからです。この時代には、自分自身が成し遂げたいことがある。そう思って生まれてきたんだと思います!でも、それが何なのかは分かっていません…」
「え?生まれるって、自分の意思でそうしたの?もしそうならば、この時代を選ばなかったです。なぜって、こんなにつまらない世界にいたって何も起こりはしないから…」
「もし、この時代に生まれ出たことに意味があるとするならば、それは人生楽しむため!ですかね?だって、最初からなんでも揃ってるし、平和だし、テキトーに生きててもなんか大丈夫だし…そのうちなんかもっと楽しいことあるんじゃないかって何となく期待とかはあるかも。」
「こんなに悲惨な時代に態々生まれてきているのだから、きっとここから何かを学べってことなんじゃないかと思います。それが何なのかは分かりませんが…」
「おめえ、意味わかんなこと言ってんじぇねえよ!親からただ生まれただけ。そこに意味なんかねえって。意味があったら親を怨むよ。こんなきたねえ世界に生みやがってって。」
「はい!分かってますよ。いろいろ経験するためでしょ?いろいろなところに行って、たくさん人と出会って、美味しいもの食べて、めっちゃ遊んで、あー楽しい人生だったって言って終わる。それ以外になんかありますか?」…。
そう。
多くの人間、生きている意味など、ちゃんと考えたことがない。
この人生が何のためにあるのか。
そして、なぜこの時代にこうして生きているのか。
実相の究極の解。
それは、千載一遇のチャンスをものにするということ。
この長い永い連綿と続く輪廻の中で運よくこの時代に転生が出来ている理由。
それは、この時代が、人間から“人”として仕上がる最高の機会であり、それを得るために生まれてきているということだ。
そのことを分って生きている人間は極僅か。
もし、このまま、何も悟れずにあの世に戻ったとしたならば「自分は何と云うことをしてしまったのだろう。やっとこの貴重なチャンスを掴み取ったはずなのに、そのことを忘れて、いい加減にダラダラと意味もなく生きてしまった。ああ、もう一度、もう一度だけチャンスを下さい!お願いします!!!」
ということになる。
そのように後悔したところでもはやどうにもならない。
己、この世界であと何年生きていられる?
明日は本当に来るのか?
その保障は?
今何をしている?
そのことが本当に己の人生にとって必要なことなのか?
立ち止まって、良く考えよ!
もっと根本から、真剣に。
己、もし今日までの命ならば、何をどうする?
「何をいまさら」というあきらめの境地か?
いや、人間は、最後の最後でも、一瞬にして悟ることが出来る。
人生に気付ける。
それは、それほどに今を真剣に生きたならばということだ。
そのことを肝に銘じ、この頂いた命、一瞬たりとも無駄にせず、この世に生まれた意味のために生きます。
有難う御座います。
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者