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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2022年12月の記事一覧

人生観、生命観、死生観

人間の一生。ここで終わるのか。続くのか。己はどう考える?「え?人は死んだら終わりなんじゃないの?人生一度きりって言うし、私もそう思ってる。だから今が大事だって。今を悔いのないように思い切り生きようって思える!」「俺も、死んだらもうこの先は無いと思う。だから、自分の思い通りに楽しく生きなきゃ損でしょ?」「人間死んだら燃やされて灰になるだけよ。私の遺灰は、墓に閉じ込められるのはごめんだから海に撒いてほしい。千の風にのって大空を吹きわたっていたいから…」「いや、人は死んだら三途の川

人類が誕生した初発(神代)の時代は、北から南へ下った。

地球は、約3000年周期で区切りを迎える。今は、末法の世。間もなくその区切りとなる。次の世は来るのか否か。そのことは人間知る由もない。続く時は続くし、終わる時は終わる。この惑星にも宇宙にも寿命はある。地球は、人類という種が生きることが出来る環境を創り出すのに途方もない年月を費やしてきた。今はその奇跡の瞬間の僅かな時間の中で、人類は生きる機会を得ていることを推して知るべし。このことが分れば、我が物顔で地球を荒らすことなど到底出来るはずもないのだが…。地球も生命体。大切にされれば

“視える”ようになるためには

「0」「無」「零」の世界を“視る”能力、見識、感性は、大概の人間には備わっていない。なぜならば、人間は“未熟”だからである。ある意味、“視えない”ということは“人間らしい”とも云える。しかし、人間は、この「0」の世界を視えるようにならないと悟ることが出来ない。悟りを得ることが出来なければ、人間“人”に成ることが出来ない。己、この意味を理解出来るか?そもそも人間はなぜ存在するのか?何の目的で人間をやっているのか?そのことも分かった故の悟り。この真理の探究が人生の旅の目的。そのよ

善い人生を送る

善いもの(良いもの)を造る・作る・創る・生み出すことは、善に生きる、即ち“善い人生を送る”ことに繋がる。実相では、これ当たり前で普通の生き方。悪を(悪いもの、悪いこと)を造る・作る・創る・生み出すことは、悪に生きる、即ち“悪い人生を送る”ことに繋がる。実相では、これ当たり前でなく異常。それは、車や洗濯機などの家電、家、施設、おもちゃ、衣類、食品類、飲み物、料理、娯楽品、芸術、文学、科学、医療、農林水産業、公共品、公共サービスなど、物やサービス、事象全てに当てはまる。この人間社

天に帰ること

「人柄」「性格」「人格」について。 「人柄」とは、自然に感じ取られるような人間の性質、人間の品格。 「性格」とは、先天的な気質と後天的な影響とによる、人間の感情・意志などの傾向、そのもの特有の傾向・性質。 「人格」とは、個人の心理面での特性、人柄、人間の人としての主体、独立した個人としての人間性、固有の人間としての本質的な在り方。 実相を知る・分かる・悟る中において、今世、何よりも自らの“人間性”を高めていくことが大切であることに行き着く。なぜならば、人間が人に成るための

今の街行く人々や、身近な人々を良く観察してみよ

人間には、過去の積み重ねがある。初発でなければ。どれだけ輪廻を繰り返しているか人間様々。従って、この世に生まれた時点で、差がある。平等ではない。なぜならば、過去の積み重ねがあるから。その回数や中身は人それぞれ。この繰り返しの経験、体験による智慧の度合いにより、今世における一人ひとりの生き様に滲み出る。当人が忘れ思い出せずにいたとしても、今世における大筋の運命がセットされている。己、今の街行く人々や、身近な人々を良く観察してみよ。それぞれの人間には、それぞれの過去の積み重ねがあ

自由になる方法

人間は、地球という惑星の籠の中で暮らしている。その籠は、超大宇宙の中のほんの僅かな空間。即ち、制約を受けているということ。実相の広大さからすると、自由であるように見えて実は自由ではない。なぜか。その自由の範囲は、人間の中身(真理の理解度、人間性、宿命三題への取り組み状態、個々の使命への到達具合)によるということだ。従って、人間、中身が良くなっていけば、その制約も解かれ、より自由になっていくという仕組みになっている。反対に、人間としての中身が悪くなっていけば、その制約もより厳し

騙されちゃ駄目だ!

“資源”とは何か?人間の辞書には「生産活動のもととなる物資」とある。これには“人間のみの~”だったり“人間の為の~”とは書いていない。即ち「“あらゆる生命の”生産活動のもととなる物資」が本義。人間は、これを勝手に「人間中心」に置き、我が物として扱っている。従って、だから「自然から得る原材料。産業のもととなる有用物。土地・水・埋蔵鉱物・森林・水産生物など。天然資源」という傲慢な定義になってしまう。「資源は、人間が“業”のために使うもの」これが全ての超大宇宙の災いの根源である。こ

さも自負の善人の如く

人間は、清浄と汚濁の世界に生きている。人間は汚す。しかし人間は清めることも出来る。汚すのは簡単。汚れるのはあっという間。なぜならば、放っておくだけでも汚れ続ける。これは人間が生きているからだ。一方、清めるのは簡単ではない。そして清浄の状態になるには余程の時間と労力が掛かる。自然や動植物たちは、この実相を理解している。であるから無理はしないし、自分の立場や役割を弁えて生きている。なのに人間は否。自分で汚し壊し荒らしていることを意図して行い続けている。最も厄介なことは、「私は汚し

「地球意識革命・未熟者の道の啓き方~人生のメタノイア(視座転換)についての基礎編」第17回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:藤井啓人氏 〔2023年1月13日(金)20時~〕

「地球意識革命・未熟者の道の啓き方~人生のメタノイア(視座転換)についての基礎編」第17回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:藤井啓人氏 〔2023年1月13日(金)20時~〕チケット: https://scic230113.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/1961600944047969 ■日時:2023年1月13日(金)20時~22時(オンラ

「悪」とは何か

「悪」とは何か。「悪」は善ではないもの。「悪」は全ての人間が持つもの。これ絶対的宿命。「悪」は善と表裏一体にある。即ち、人間は、善悪を両方持ち合わせ、悪を使わず、善に生きることが全ての人間としての平等の課題なのである。「悪」とは何か。人間社会において、これを定義し分別することは未だ困難なこととされている。何故ならば、個々の人間や社会の尺度、物差しによっては、「悪」が善となり、善が「悪」となるあべこべが起きているからだ。また、「悪」でもない善でもないという“曖昧さ”が受容されて

進むべき道が、己自身の光によって照らされる

人間の臓器は、肺・心・脾・肝・腎の五臓と大腸・小腸・胃・胆・膀胱・三焦の六腑によって構成されている。いわゆる五臓六腑。そして、人間の身体には、約60兆個(現代科学では約37兆個とされる)の細胞が存在する。この細胞内には、一つの核(細胞核)が存在する。この核の中に直径1〜3μm程度の核小体がある。即ち“仁”(核仁)。ここに“魂”が宿っている。人間が生きている時、この“魂”が一つひとつの細胞の中に宿る。人間死すれば“魂”は、体から一切抜けていく。己、この真理、理解出来るか?顕微鏡

人間の中身には“空洞”がある

人間の中身には“空洞”がある。生物学的な話をしているのではない。同じく、地球にも、宇宙にも“空洞”がある。それは「未完」であることを意味している。何かが足りないから“空洞”になっている。人間で云えば、これを埋めることが人生の目的。即ち、“完成された人に成る”ということだ。“空洞”を埋めるにはどうすれば良いのか。「“空洞”って心のすき間っていうヤツだろ?そりゃ、カネがない、仕事がない、人間関係の悩みがあるって的な将来に対する不安がそうさせてるんだろ?それは人間弱いからだよ。人間

一旦立ち止まって

人間、崩れることのない幸福と繁栄、平安を望む。望むがそうはならないのはなぜか。このことにいくら神頼みをしようが金を積もうが、何かを止めて新しいことを始めてみたところで、そうならない真理がある。「それは、一生懸命にもっと努力をしろってこと?」「毎日毎日怠けずに、いやな勉強を我慢してやるしかないか。勉強していい点取って、いい大学に入れないと、いい会社に入れないから。そうならないと幸せになれないって親が言うから…。」「やっぱり今の会社でいい業績上げて、褒められるような仕事をして、昇