マガジンのカバー画像

本気で生きているか

643
人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
運営しているクリエイター

記事一覧

世の中、ぶっ壊した方がましだ!

この世の人間皆恵まれている。なぜか。それは、この世に生まれることが出来ているから。これほどの最良の機会はない。長い永い人生の中で、この時代に生まれ体験が出来るチャンスを得れたのだ。これ程恵まれたことはないであろう。増してや、己が願い望んで希望が叶ったのだから尚更だ。余程の感謝をし、有難くこの時代を生き切る以外に何があろうと云うのか。「私はなんでこんなに不幸なの?何も悪いことをしたわけではないのに…」「こんなつまらない世の中、ぶっ壊した方がましだ!」「何をやってもうまくいかない

スキ
3

意識とは何ぞや?

人間は、肉体が“意識”を得て人間となる。正確には「“意識”が肉体を得る」だ。即ち、誕生、“御目出度”。そして、人間は、“意識”が肉体から出ることで死する。人間、意識が入れば命を得て生き、意識が出れば死に朽ち果てる。人間は“見える”存在。だが、死すればものとしての肉体は無となり見えないものとなる(生きた証はその世の中で時として残るが)。“意識”は“見えない”存在。“意識”とは何か。これ、現代科学では未だに解明されていない。なぜならば、見えるものを信望する科学には、とうてい扱い切

スキ
2

いつでもそのことを教えてくれる

この世は自治の世界。何かに縋って(すがって)生きる世界ではない。縋るとは「掴まって寄りかかる、とりつく、依存する」という意。人間、どのような境遇にあろうとも、心も身体も自立して生きる。本当に出来ないこと、弱いところは、互いに補い合う。そして奉仕、施しを受けたならば、心から感謝する。それは互いに自立し合った者であるからこそ成り立つ。己の在り様を見直してみよ。持ちつ持たれつもバランスが少しでも偏っているとすぐに倒壊する。人と人の関係のみならず、人とモノ・金の関係、人間と自然との関

スキ
2

うねりは奇跡

「うねり」。うねりとは何か。うねりは、神秘。風ではない要因から発生する起伏運動のこと。高く低く波打って、緩く曲がりくねること。波長が長く、波の山と山が丸く大きく起伏する波。波が崩れる前の、水が盛り上がって移動している状態。更に云うと、波が水深の浅い海域(浅海域)に進入したときに、海底の影響を受けて波高、波速、波長が変化し、屈折、砕波などをおこす現象。人間社会においてもこのうねりは起こる。それは、世の中、世界、社会が変わる時に大きなうねりが発生する。うねりの発端は何か。良く変わ

スキ
2

“自分なりのモノサシ”では

人生は、善悪の積み重ね。万人、善悪の両方を持って産まれてきている。誰一人、これを無きものにすることは出来ない。これ宿命という。森羅万象は、全て表裏一体。善と悪も表裏の関係。あの人にも、この人にも善悪があり、極悪人にも善があり、聖人にも神仏にも悪ある。このような真実を受容したならば、己、何が出来るか。どう生きることが出来るか。「人間、悪が消えないならば、出ちゃって仕方ないよね。でもどうしたら悪が出なくなるのかなあ」「いやいや、私は、悪は一切ないです。生まれて来の方、悪いことなん

スキ
1

これで変われねば人生終焉

人類は、思想の時代は既に終わり、想念の時代となっていることを早く気付かねばならない。「想念の時代」とは、“本当のこと”、即ち“真理”“道理”に基づいた時代にあるということ。人間が拵えた自由奔放の思想に塗れた世界ではなくなっているということだ。このことへのポイントの切り替えが出来ていないまま生きている人間があまりに多いことか。21世紀に入り、全人類にとっての指針が出ているにも関わらず、過去の栄光にどっぷり漬かり、唯物科学を信望し続け、何を浮かれて宴をし続けているのか。今、世が乱

スキ
5

その道は何の道か

「人の道」というけれど、人間が通った道だから良いということはない。寧ろ、「人の道」ほど危ういと思った方が良い。人間は未熟。その未熟な人間が通った道は、「真の道」ではない。その道は、大概が甘い道、楽な道、弱い道、虚飾に満ちた道。一見良さそうなその煌びやかな道を、何も考えずにふらふらと跡を追い進むことほど、愚かなことはない。増してや自分が人の道を切り開くなどと考えるのは、愚の骨頂、傲慢甚だしい。人間は、未熟な状態でこの世に生を受ける。自分の足で歩けるようになる、即ち、自立のために

スキ
2

最後に残るのは

末法の世。人間、どう生きるか。末法の世は、人間の想像を超えた天変地異、天災が起きる。地球も生きている。そして、「悪」が出る。次々とこれまで鬱積してきたものが“悪”となって吹き出てくる。そして、モノ金は、飽和状態となり、何を作っても、何を得ても満足できない時代となる。従って、最後に残るのは、人間性、人柄、良心、感性、そして完善なる行い。どのような絶大な権力があろうとも、一生に使い切れない財産を持とうとも、これまでの既存価値で賞賛された名声も、どれだけの最新技術や科学や知識をもっ

スキ
3

それを自由と称し浮遊し続けている

何かが足りない。何が足りないのか?何かが足りないから、心が満たされない。不安が拭えない。苛々が収まらない。ものごと思うようにならない。この「何か」が足るに至るには、どうすれば良いのか。何か条件でもあるのだろうか。この何かに対し、モノや金を想像したものには、残念ながら一切何も訪れない。条件すら提示されない。どう頑張っても人生好転しない。モノや金ではなさそうだと感じるものでも、よろよろ、ふらふらと、外ばかりが気になり、目に見えるから何か良さそうだからと言って誰かの言うことや幻想ば

スキ
2

“考える葦”だけでは片手落ち

「人間は、考える葦」ということをある哲学者が言っている。その意味は、「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、人間は頭を使って考えることができる。考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」としている。確かに人間には、“思考”する能力を持っている。しかし“葦”のような存在でもある。葦はアシともヨシとも読む。アシは悪に通じるのを忌み、「良し」に言い替えることも出来る。即ち、人間、良くも考えるし、悪くも考える。であるから、善悪の分別を知り、善に徹する生き方が大切なので

スキ
3

人間卒業

「人間」であり続けること、「人間」として生き続けることを望むのであれば、それなりの覚悟が必要だ。人間としてどう生きるか。即ち、人間としての役割を果たし、この世における人生の目的に、どう真摯に向き合って生きるか。そもそも「人間」は未熟。未熟であるが故に、「人」に成長するための多くの試練に耐えて行かねばならない。その自覚と責任と忍耐を持てるか。この世で「人間」として生きているということは、その約束を持って産まれてきている。その約束が今度は守れるであろうと許しを得て来ているというこ

スキ
2

自立せよ。

この世界の戦国の世は悲惨であった。目にする史実などは、金持ちや権力者の道楽により脚色され、現実は、我欲と我欲のぶつかり合いの中に、大義名分などは微塵もない。末端では雑兵が「乱取り」と呼ばれる略奪行為(放火や刈田による略奪、一般民衆や農民を奴隷として拉致するなど)がどこの国でも行われていた。さも、その時代の庶民は厳しい生活をしているように思うだろうが、実は現代は、昔よりも更に悪く、その憫然たる様は、闇の中で見えなくされ、その怨念の鬱積がどんどん溜まっている。即ち末法の世。なぜ、

スキ
4

人生、何が起こっても、大概のことは乗り越えられる

失敗や恥をかくことに恐れを成すことはない。人間は、万人が“未熟”なのだから、出来ないのは当たり前。私は未熟、あなたも未熟、みんな未熟なのだ。もし完璧な人間であれば、人間やっていない。一見、完璧なようで見えて、大概が未熟さが透けてみえる。なぜならば、自分を無理に取り繕っているからだ。人間の舞台は、失敗や恥をかくためにある。その大小や、捉え方の違いはある。良い時もダメな時もある。しかし、それが実相の舞台。だから、何も躊躇することはない。逃げる必要もない。堂々と思い切って、ありのま

スキ
5

大きな認識の齟齬

人間、人生の後悔の臍を噛みたくなければ、心しておかねばならないことがある。それは、真実を求め学び、そして悟り、己の人生に思う存分に活かすこと。ここで大きな認識の齟齬がある。「学ぶ」とは、人間かく云う表にある見えている一般的な学問だけのことではない。物事には“表”があれば、かならず“裏”がある。物事は、全て表裏一体が原則。この世の“表学問”だけでは、片手落ちであることを推してしるべし。この真意がどれほど伝わっているか。この目には見えない“裏の学問”は、見えないから“無い”わけで

スキ
3