見出し画像

「悪」とは何か

「悪」とは何か。「悪」は善ではないもの。「悪」は全ての人間が持つもの。これ絶対的宿命。「悪」は善と表裏一体にある。即ち、人間は、善悪を両方持ち合わせ、悪を使わず、善に生きることが全ての人間としての平等の課題なのである。「悪」とは何か。人間社会において、これを定義し分別することは未だ困難なこととされている。何故ならば、個々の人間や社会の尺度、物差しによっては、「悪」が善となり、善が「悪」となるあべこべが起きているからだ。また、「悪」でもない善でもないという“曖昧さ”が受容されている。これは人間社会が未熟であるが故に起きている典型事象。全ての人間は、このことに真摯に向き合い、「悪」とは何か、善とは何かの絶対的な分別が付けられ、日々の営みの中で善行が実践されなければならない。これが実相、真理の世界。人間は、この見えない神気の中で生かされているが故に、それがどれだけ小さな「悪」であったとしても、それを解消するための反動が起こる。これ即ち苦難の根源であり、自然法則。それは人間社会における法律や倫理に沿うものもあればそうでないものもあるから混乱が生じてしまう。ならば、この「悪」への分別をどう付ければ良いのか。それは純粋無垢な己の魂の中に宿っている。魂は完善。大宇宙と繋がっている。従って、己自身の魂に問い、生きることだ。しかし、人間には、魂を覆う“心”が存在する。その“心”が「悪」で塗れてしまっていては、魂からの答え(良心)をキャッチすることが出来ない。結果として、意識しようが無意識であろうが、「悪」が発揮されてしまう。「悪」が発揮されると宇宙からの反動を受ける。この真の仕組みが分れば「心磨きによって魂を輝かせ善悪の分別を付ける」という意味も理解出来るはず。“他人の振り見て我が振り直せ”の前に、己の日々の心掛けの方が何よりも大事ということだ。他人に問うな。自分と向き合え。己の“心”を磨け。さもなくば“心”がいつの間にか濁り「悪」を「悪」とも思わなくなってしまう。「悪」とは何かを知りたくば、澄んだ“心”で己の魂に問え。


そのことを肝に銘じ、今日も“心”を整え磨き実践に勤しみます。


有難うございます。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者