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「すばらしき世界」にみる命の純粋性の尊さ

特によかった映画やドラマを批評するシリーズ第2弾である。
前回の批評は下記の通り。

https://note.com/kanegonhawai/n/n708f9bd641d5?sub_rt=share_pw


今回の批評は「すばらしき世界」である。

下町の片隅で暮らす三上(役所広司)は、見た目は強面で
カッと頭に血がのぼりやすいが、まっすぐで優しく、
困っている人を放っておけない男。

しかし彼は、人生の大半を刑務所で過ごしてきた元殺人犯だった。
社会のレールから外れながらも、何とかまっとうに生きようと
悪戦苦闘する三上に、若手テレビマンの津乃田(仲野太賀)と
吉澤(長澤まさみ)が番組のネタにしようとすり寄ってくる。

やがて三上の壮絶な過去と現在の姿を追ううちに、
津乃田は思いもよらないものを目撃していく……。

|FILMAGA(フィルマガ) (filmarks.com)よりあらすじを引用


「感動とは本来言葉で言い表す事ができない」というが
本作品を視聴し改めてその事を感じさせた。


役所広司演じる三上は様々な背景から
殺人を犯し刑務所で過ごす事になるが
全く反省する様子なく刑務所を出所するところから
物語が始まる。


社会復帰のための生活準備や就職活動に悪戦苦闘する
毎日。融通の利かない社会,すなわち現実が
彼を襲いかかる。三上自身も不器用な男であった。
正義感は強いものの感情コントロールが苦手であり
大声を張り上げたり暴力を用いて物事を
解決しようとする。彼の生い立ちや彼が生きてきた世界は
孤独と暴力渦巻く世界であったためそれ以外の方法を
学ぶ事が出来なかった。ある意味、社会に
傷つけられたが故の性格,行動傾向である。



不憫で不器用でどこか普遍的だからこそ
感情移入をさせられる魅力的なキャラクターだ。


そして当然「暴力によっての解決」はコンクリート
ジャングルを生きる我々の世界では
許されない。


三上は妥協しながら、必死に自分自身と戦い
ながら、そして周囲の人間との「つながり」
を使って社会と向き合っていくのだ。



そう、この物語は硬い融通の利かない社会の
中から垣間見える、わずかなそれでいて暖かな
柔らかい人間模様によって何とか
現実を生きていこうとする物語なのだ。



追い詰められている時、私たちは社会がとても
残酷にふるまい、まるで私たちを攻撃しているかの様な
錯覚や妄想に陥ってしまう。
(実際にその様な側面はある)




しかし、社会には様々な制度が存在する。
また、善意や工夫が存在する。




人間のもつ不器用な「善」の側面を
美しく描いているのがとても印象的である。




例えば三上を助けるケースワーカーは、
初期は刑務所から出所したばかりという
背景や生活保護の支給は昨今
審査基準が厳しい事からも、当初は消極的な関りで
あった。(三上にも怒鳴られている)



しかし、三上の生活に直接触れる事で積極的に
お金の手配や相談
社会制度の紹介等、ケースワーカーの役割を果たすのだ。



三上から運転免許の補助金を要求され
「それは難しい」と交渉すると三上に
また怒鳴られ懇願され途方に暮れるのだ。




それでも、上司に相談して何とか融通を利かそう
とする姿は福祉分野あるあるではなかろうか?



福祉の分野に携わっている人間は時として
役割を超えた関りの中で
対象者と共に悩み,悲しみ,腹を立てて,喜ぶ
伴走者
となるのだ。


ちなみに、三上(役所広司)と深く関わる
キーパーソン的な存在が津乃田(仲野太賀)
であるが、具体的な援助をおこなっていた
影の功労者は間違いなくケースワーカーだろう。
(実際に彼のおかげで就職できたわけである)


しかしながら、三上と津乃田の絆が垣間見える
入浴シーン等も号泣ものなのでぜひ
視聴して頂きたい。


福祉分野に関わる立場としての感想である。


命の純粋性の尊さと障碍者雇用の問題【ややネタバレあり】


ここからが【ややネタバレ】なので視聴したい方は
「イイね」だけ押して頂きバックして頂きたい。



さて、無事就職できた三上を待っていたのは
弱者にはとことん厳しい現実である。



人が相対する以上必ずパワハラやいじめが起こるのだ。
戦争がなくならない様に、いじめやパワハラもなくならない。



同調圧力の基に私たちはいじめやパワハラの現場を
見て見ぬふりをする。そして、心が死んでいくのである。



基本的に社会は「ふつう」の人が好きだ。
「同質性」や「操作可能性」を求めるのが社会である。



そこから外れた「扱いずらい人間」とは操作困難な
「使えない人々」である。



計画性や予測可能性を基盤とする社会にとって、操作可能な
人間とは予測しやすい優秀なパーツなのだ。



それに「反する人間」や
「そうしたくても頑張りきれない人間」は社会から
排他的に扱われる救いのない世界だ。
(見えない形での差別や偏見がそうである)



障碍者雇用という名の下に
「包摂的」に誰もが働ける社会を目指している
ものの、障害に対する理解が本当に浸透している
かは疑問である。

(障害の理解がないまま、法定雇用率を遵守するため
雇用する職場も間違いなく存在する)


そして、金銭的に安い労働で働かざる得ない事からも
潜在的な差別は確かに存在する。
(映画でも表現された「雇ってやっている」
 「俺たちは我慢している」と言うニュアンスの発言)


物語に話を戻すと三上はその様な、知的障碍
を持っている少年がいじめを受けている現場を目撃する。



正義感の強い三上は暴力で殴り掛かる衝動に駆られるが
必死に抑える。(ここで「他者のつながり」が生きてくる)



そして、その後に加害者側の
「言い分」や「からかい」に同調する選択を行うのだ。

※その時の役所広司さんの演技は天才的だと思った。



三上は腑に落ちず,何とか考えない様に会社を後に
しようとした時、いじめの被害者(知的障碍をもった少年)
に声をかけられる。そして,加害をものとも
しない満面の笑みでコスモスを渡されるのだ。


※コスモスの花言葉は「調和」「謙虚」


三上や映画の視聴者はこの少年の「純粋性」に触れ
何かに感動させられるのだ。三上は
被害に遭いながらも「他者に与える」
という選択が出来た少年の「命の純粋性」に感動し
涙するのであった。

その後に流れる
カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲を背景に
ある人物と三上の電話越しの会話は
号泣ものである。

※ぜひ音楽を聴きながら記事を読んで頂きたい。


残酷な世界に触れ、同調圧力の前に屈し
それでも、残酷な世界を何とか受容し
強く生きていこうとする。そして心配させまい
とする三上のセリフもまた「純な心」を
彷彿とさせるのであった。


奇抜な考えや創造性や知性が評価される昨今
において「純な心」「純粋性」は
人の心の原点でありとても価値があるものだと
再認識した。



例え誰かに何かを与えられないない人生かもしれないが
それでも「純粋性」とは無力な人間がもつ
最大の武器である。この資質は他者を感動させ
援助行動を駆り立てる。純粋に生きていない人間が
「純粋性」という資質に触れる事で自分自身を省みて
感動するのだ。

現代を生きる私たちに最も必要な資質かもしれない。


「純粋性」は一見損ばかりする心の様に誤解されがちだが
これほど自然で安楽な心はないであろう。


何の飾りのない間違いのない事実に沿った思考・行動
感情,「純粋性」を保ちながら「瞬時に開けた心」
を、いわゆる「素直さ」の感じを大切に生きる。


考えようによって楽な生き方なのかもしれない。
コスモスを渡す彼の姿は「純な心」を
確かに感じさせるのだ。三上はその姿を見て
何を感じ涙したのかを深く考察するのも面白い。


最後に何故「すばらしき世界」なのか?

物事が上手く進まない妥協だらけの人生だが
それでも、心配してくれる仲間がいる。


困った時にすぐに全力で走って駆けつけてくれる。
そして話を聞いてくれる仲間がいる。


心の痛みを聞いてくれる仲間がいる。
学び共に成長してくれる仲間がいる。
傷ついた心を癒し勇気をもたらしてくれる仲間がいる。


その様な存在が私たちを取り巻き
損得勘定抜きに互いに支え合う循環の中に
生きている。そうあるのであれば、この世界を
「すばらしき世界」と言わずして何と言おうか。


是非興味があれば見てみてちょんまげ!!


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