Daisuke Kaneko

思考の記録。 #イトマ

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最近の記事

AIと人間どちらを信頼するか

思っていること、言っていること、やっていることをAIは一致させているから信頼でき、人間は一致させていないから信頼できないから信用関係止まりになるのではないか。 という問いを頂いたので、考えてみる。 AIという定義は幅広過ぎて怒られそうなのでざっくりと定義すると、落合陽一氏などが想定するデジタルネイチャーのレベルのAIなのか、身近なAIとしてのchat GPT的なAIなのかでいれば、今回は後者のイメージを定義する。 そもそも僕らは、これら3つを完全に一致させることはできない

    • 地方も都市も高齢者問題

      NHKの高齢者問題の討論番組を見ていて思ったこと。 2050年には、人口の約半数(45%近く)が単身世帯になることを、国立社会保障・人口問題研究所が発表し、その際に、男性の約6割、女性の3割が生涯未婚で単身であると予測を出した。 25年後の話というより、今も大きな問題になっており、明確な解決がないのが現状である。 高齢者は、賃貸に移住することが難しい問題。 単身の場合は、死後の処理の対応や滞納の責任を誰が取るのかが難しい。 個人情報やペットの問題も加味すると、八方塞がり

      • なぜ充実していることを他者に伝えたいのか

        これは、自分の中にもある要素なので何となく気持ちは分かるが、多くの人と共通しているのかは分からない。 構造的に、それをすることで生き残ってきた歴史があるのかもしれないと思うと、生きて行く為にはある程度必要な姿勢なのかもしれない。 ここでイメージする充実していることを他者に伝える手段は、SNSである。 SNSにおいて、ありのままの自分を提示することは不可能であるという前提のもと考えたときに、投稿する人たち(それ自体が収益になっているインフルエンサーを除く)のモチベーションの大

        • 義務教育とは

          今年のテーマは、「義に務めるとは何か」な気がする。 そして、半年前に義について書いていたものを読み返して改めて書いてみる。 まず、定義として、義とは、個人や社会の価値観や文化によっても異なる解釈がされる場合はあるが、一般的には、他人への尊重や公正さ、誠実さ、公共の利益の追求などが要素とされる。 また、義のある社会は、道徳的な判断や行動を通じて社会的な秩序を維持し、他人との関係を健全にする役割を果たす。 つまり、義に務める(義務)とは、「道徳的判断や行動を通じて社会的秩序

        AIと人間どちらを信頼するか

          ふるさととは

          ふるさとについて昨日解像度が上がった為、メモ。 ふるさととは何か、という議論をこれまで何度かしてきたが、一度もしっくりきた事がない。気軽にふるさとという言葉を使う人にもあまり会わないが、会ったしたら違和感があった。 “ふるさと納税“を実施し始める際に、ふるさととは何かを総務省が定義しようとしており、それらの資料を見てみても何か腑に落ちなかった。 自らが育った場所、両親家族が住んでいる場所などが主なふるさとのイメージとなっていたが、それは分かるが、その場合は、「地元」や「

          ふるさととは

          絶望感と自己嫌悪

          役に立たない、むしろ迷惑、という存在だと強く感じる自分。 体調が悪かった以上に本当に息苦しく、本当に生きるのが辛かった。 このような感覚が、仕事場や家庭を埋めている、これからもこれで埋まるのだと思うと、おそらく鬱になるか、自殺するかのような流れになるのだろう。 そんなに嫌なら死ねば良いんでしょ、と気軽に思う。 これが飛躍だということはわかっているが、死なないと解決しないけどなと思う。 このような感覚になるなら体調が悪いことを隠して無理して動けば良かった。 でもきっとこ

          絶望感と自己嫌悪

          何が伝えたいのか

          伝えるという分野における本はたくさんあるし、どれもきっと正しいと思う。 伝えることが上手いのは天性のものだと思う人もいるのだろうが、一人一人のその時の表情をしっかりと見て、自分が伝えたいものを伝えようとしてみること以外に大切なことは無いように思う。 言葉が詰まったり、内容を忘れてしまったりしても、 そもそも何が伝えたいのか、そこだけを毎回思い出すようにしている。 つまり、話が全てときに変わってしまっても良いと思っているし、むしろそのようなイレギュラーを楽しみにしている。が

          何が伝えたいのか

          閉塞感から

          社会課題として現在最も解決したいと考えているのは何か、それを一言で表すと、という問いから出てきた言葉。 何が問題かといえば、自分の中で問わない社会であることが問題である。 問わない社会の何が問題かといえば、問わないということは、この社会に自分の意志を反映することはできない。 自分の意志が反映できないということは、この社会からの価値、必要性、役割が代替可能な存在となるし、自分自身もやり甲斐、生き甲斐を感じにくい。 また、問わない社会は、正解(ぽい)ものを選び取っていくゲームと

          分からないということを分かるために分かろうとする必要がある

          偶像崇拝はするなという規律があるのに偶像崇拝をする。 文字化するなという規律があるのに文字化して経典にする。 お金の恩恵、お金があることを前提としているにも関わらず、お金を無くそうとする。 布教するためには 活動を継続させるためには お金を信仰の対象から外すためには 色々な理由があり、それがやり方が間違っているとは言わないが、どうしても分からない。 分からないということは分かっているが、 分かっていると思っている人は本当に分かっているのだろうか 分かろうとすればするほ

          分からないということを分かるために分かろうとする必要がある

          雑草は人間とずっと一緒だった

          ホモサピエンスがアフリカに登場したのが約20万年前で、移動し始めたのが10万年前後。 雑草の祖先として現在確認されているものは約10万年前。 これは厳しい氷河期が落ち着いた時期であり、人間も同時に移動を始める。 また、数万年経つと、氷河期がまた始まり、今から1万年前程度には、また氷河期が終わる。そしてその氷河期と共に、農耕が始まる。 つまり、雑草は人間の誕生や移動と常に共に存在し、逆に言えば、人間が活動を終えて仕舞えば、弱い植物として淘汰される存在かもしれないということであ

          雑草は人間とずっと一緒だった

          農と笑

          昨日書いて思ったが、農は作業自体は現実なのだが、どこまでいっても理解ができないフィクション的な過程があり、それが自然と多様な妄想を生む。 すぐには作物ができないからこそ、豊作を願った様々な祈りや儀式が生まれる。 これはいわゆるフィクションと現実の狭間で、行われているものであり、非常に虚実皮膜な気がする。 そしてそこで行われていたものが、遊び(芸)に転化され、笑いとなる。 天照大御神を岩戸から出した方法が、舞と笑いだった事からも、神話の世界でも、エンターテイメントが重要だとさ

          笑いとは何か 後半(日本文脈)

          日本的には笑いとは何だろうか。と考えた時に、一番はやはり、“間“である。 その“間“がおかしなやつを“間抜け“と言ったりする。 日本のお笑いは、「間」を非常に重視する。 「天丼」という手法も、「いじり」という手法も、間を間違えば、全く面白くない。 文章では、なかなか間が表現できず、日本のお笑いは伝わらないだろう。 つまり、日本では、西洋的な“笑い“そのものを重視するというよりも、 手段的な“遊び(余白)笑い“があると思う。 なぜこのようなお笑いが日本で生まれるのかを考え

          笑いとは何か 後半(日本文脈)

          笑いとは何か 前半(西洋文脈)

          「お笑い」という言葉が一般化している現代において、“笑い“とは何なのか、社会的にどのような役割を担っているのかなど、これまで考えたことのあることを色々書いてみる。 そもそも、“笑い“を問いとして捉えていたのは、ギリシャ時代からで、プラトンやアリストテレスも笑いについて言及している。 簡単にいえば、プラトンは、人間の無知(自己認識の欠如)から生まれるものであり(教養がないから意味が分からず笑っている)、アリストテレスは、他人を見下すことで生まれる快感が笑い、といったように、よ

          笑いとは何か 前半(西洋文脈)

          理不尽さを学ぶ為には

          理不尽さの適切な経験は、人を成長させ、視野を広くする。 しかし、“理不尽さ“として提供する場合、それはもう理不尽さではない。 つまり、理不尽さの適切な経験は、偶発性が必要。 「頑張ったから成功した」 「計画通り実行したら成功した」 というケースは、実際の場合ほとんどない。 特に新しいことを実施する場合は。 (もしある場合は、素晴らしい指導者や親が環境を整えてくれているなどはあるかもしれないが、それはそのようなサポートがなければ成り立たない。) 新しいことをやるというこ

          理不尽さを学ぶ為には

          生きる意味は

          自分が生きる意味は分からない。 ただ、今自分が生きているのは確かな気がする。 ではなぜ自分は生きているのかといえば、多くの関係性(人間関係、歴史、資源など)があって生きてる。言葉や文字を発明した人から、タブレットを生み出した人まで、数多の人がいて今、キーボードを叩きながら思考している。 それができているのは、自分のおかげだろうか。 どんだけ今を構成する要素を見積もっても、自分のおかげで生きている確率は0.0000000000000000000000000000001%ぐら

          生きる意味は

          『植物に死はあるのか』稲垣栄洋氏

          のなるほどと思った部分メモと感想。 (要約ではない) ①植物はどうして動かないのか 結論、自分で太陽光エネルギーで生きる為のエネルギーを作っており、動く必要がなく、むしろ動くことが無駄なエネルギー消費だから。 ただ、厳密に言えば、ソクラテア・エクソリザという植物は、根っこをタコのように動かして太陽の光の方に移動する植物(1年間に数十センチ程度だが)もいるので一概には言えない。 ②植物と動物はどう違うのか 葉緑体があるかないか、細胞壁があるないか、が簡単な区別だが、これを横

          『植物に死はあるのか』稲垣栄洋氏