川柳徒然 かの後家が来たと楽屋の窓で言ふ 柄井川柳の誹風柳多留四篇②
江戸時代の浮世絵では、役者絵や相撲取りの絵がポスター感覚でよく売れた。写楽の役者絵なんかがヒット。もちろん川柳でも芝居や相撲が題材にされた。
江戸時代に柄井川柳が選んだ「誹風柳多留四篇」の古川柳紹介。
読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、前句を記す。
自己流の意訳を載せているものもあり、七七のコメントもつけているものもある。
かの後家が来たと楽屋の窓で言ふ
342 かの後家が来たとがくやの窓でいふ おもしろい事おもしろい事
「あの後家がまた来たぞ」と楽屋で外を見ながら噂する。歌舞伎の楽屋だろう。ひいきの役者を見にまたやって来た。前句で「おもしろいこと」だと言っている。
役者だろうが音楽家だろうが、今でも熱狂的なファンは、どこまでも追っかける。結婚していたらなかなかおっかけもできないだろうが、後家となり、一人になったので自由に時間を使える。何度も好きな役者を見に行ける。それだけお金もある未亡人なのだろう。
唐辛子辛いと言ふにそれ見たか
400 とうがらしからいといふにそれ見たか よこに成りけりよこに成りけり
「横になる(よこに成りけり)」のは気分が悪くて寝込んでしまったのだろうか。その原因はトウガラシをなめたから。大人ではなくて小さな子だろう。「辛いからやめなさい」と言うのになめて大騒ぎになったようだ。「それみたことか」と言っている。
トウガラシ「辛い」と言うのになめる子が
ついには寝込み親大あわて
米の飯まで食わせたと泣いている
403 米のめし迄くわせたと泣いて居る かくれこそすれかくれこそすれ
前句は「隠れこそすれ(かくれこそすれ)」。ここでは亡くなったことを言っているのだろう。
当時の農民の主食はヒエやアワだった。米は年貢に取られるだけ。栄養をつけさせようと、そんな貴重な米まで病人に食わせたのに亡くなってしまったと泣いている。
あれもしたいこれもしたいと思うだけ
亡くした後に悔やむ日々かな
けどられた下女は嫌みを聞き飽きる
420 けどられた下女はいやみを聞あきる かくれこそすれかくれこそすれ
こちらの「隠れこそすれ」は、人に知られないように秘密にする意。
奥様に知られないようにご主人といちゃいちゃしていた下女は、奥様から何度もイヤミを言われる。はっきり証拠をつかまれたらクビだろうけど、まだそこまではいってない。だけど、けどられた(気づかれた)。二人は怪しいと思われているのだろう。
親子や夫婦、未亡人まで、それぞれの生活と思いは、現代の我々とそんなに違いはない。人が生きるということは、ただ知識を得るだけでない。喜怒哀楽を感じながら、いろいろな思いを抱きながら人の中で生活することだ。