2019水瓶座の新月を越えて、超えて、今ここにまた1つの決意を(たぶんこれは「しばしの別れ編」)

人生が――つまり「時間」が有限だということを、日々心に留めて生きている人はどれだけいるだろう?
すべての人間に平等に与えられているものは「一個の命」と「一日が24時間」ということくらいで(あとは「死」もか)、どんなにお金があっても、その人の一日を100時間くらいにすることはできないし、どんなに暇を持て余していても、その暇=時間を本当の意味で売ったり譲ったりすることはできない。
今日のあなたの「一日」と、今日の私の「一日」は、どちらも同じ「24時間」(しかない?/もある?)で、しかし、その濃度みたいなものは人によって(どんなふうに過ごすかによって)異なると思うのだ。

……なんてことを、今またここで、考えていた。考えている。



「人生は短い」みたいなことは、不思議と子どもの頃から敏感に感じ取っていたし(というより“知っていた”という感覚)、「自分が本当にやりたいことは何なのか」みたいなことも、ずっとずっと自問自答し続けてきたしチャレンジもしてきた。それでも。やっぱりあの揺れ、『東日本大震災』というものを体験したときに味わったあの衝撃で、私はあらためて(本質的に、と言いたいがそれが適しているか判断できない)“目が覚めた”のだと思う。

「このまま、ここで死ぬなんて、絶対にいやだ!!!」

そんな魂の叫びを聞いてしまったからにはもう、同じように生きていくことなどできない・したくない。それが今の私が考える「命への謙虚さ」みたいなもので、では、どんなふうに生きるのか、何をして暮らしていくのか――そういうことをもっともっと真剣に自問自答し続けた結果が、今、ここ。


生き方のベースのようなものは地震の前から変わっていないのに、『東日本大震災』という単語を挟むだけで耳を傾けてくれる人が増えるのはなぜだろう? 同じことを語っても、なんだか“説得力”まで増す気がするし、それを利用する気はなくてもやっぱりどこかで利用しているような罪悪感みたいなものを感じないわけではない(←どこかにこれを記しておきたかった)。
だけど。私は誰かから何かを奪うためにこれを書いたんじゃないから。そして、あの震災はもう自分の人生にしっかりと組み込まれてしまっているから。その延長線上を、今の私は生きているのだから。
「読んでほしい」と素直に思う。
だから、ここに置いておく。置いていく。




というわけで、整えている。整えてきた(ここ最近はずっとそう)。
旅の前、準備のための大事なひととき。内側も外側も、整理整頓をしてスペースを確保するのだ。その大切さを知っている。


前回の「予告編」から、2週間弱。

自分がこれから何をしようとしているのか、ひとまずどこを目指そうとしているのか、それらは「予感」を実感したときにはもう心のどこかでは「確信」しているのだと思う。あとは、準備が整うのを、心の中に「覚悟」や「決意」ができあがるのを、静かに静かに見守りながら、観察しながら、じっくりたっぷり時間をかけて「調整」しながら待つ。
“気づいたときには、自然に動き出していた”くらいが理想的。



そうして私は動き出す。
高く飛ぶためには深く潜ることが必要で、深く潜るためには準備の時間が大切で。人生の「時間」を何に使うのか、何に捧げて生きていきたいのか、今の私には1つの『答え』があるから。魂ふるえた先で、ようやくそれを見つけた・辿り着いたから。

「やらなきゃ!」だと、ちょっと違う。
結局それが「やりたい」んだ。ただ、それだけ。

そしてそれは『物語』『本』『創作』。そこに私の魔法を込める。命を使う、そそぐ、生きていく。





というわけで(2回目)しばらくの間、『創作』の日々に戻ります。
(まずは3月末まで、どこまでいけるか、めっちゃ集中して潜る予定。決意。覚悟。……うん。全部、そろった気がする・している。すでに少しずつ動き出してもいるしね。オーライ、オーライ、このまま進め。進む。進もう! それを望んでいる自分がいることを知っている。感じてる☺︎/)

前にも言ったように、『本』にしたい(世に出したい)作品があるのです。
一度完成させてはいるのだけれど、新たに修正したい箇所もあるし、もう一度、“今の私”で取り組みたい。向き合いたい。磨き上げたい。
次々と新しい作品を生み出すことも重要なのだろうけど(それを私は否定しないけれど、よっぽどの技術がない限り、やはりそこにはかけただけの「時間」があらわれると思うし、私はそういう意味での薄っぺらい作品には興味がないのだ)、今の私はこの“今の自分にとっての最高傑作”を、もっともっと高めたい。極めたい。今のベストを尽くしたい。
そのくらい、この『作品』を(そして登場人物たちを)愛しているし、信じているのです(自分で自分の作品の『物語力』を信じられなくて、誰が読んでくれるでしょう。誰に「読んで」と言えるでしょう。時間は有限。読んでもらうということは、他人の時間を奪うことにもなるのだと、いつだって自覚して臨みたいものです。それは最低限のマナー、プロ意識だと私は思う)。

なので、たぶん「長文note」は書きません。
その時間があったら、全部『創作』に使いたいから。
(そのくらいの時間とエネルギーを使ってしまう私のnoteは本当に最高なので、新しい記事をアップしなくても過去の記事を全部、読んでほしいです。私を見つけて、出会ってほしい。私の魂の欠片たちが、たくさんここに息づいているから☆)


ではでは、しばしの間……アディオス!!!


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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆