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【Radical Compassion Challenge】「ゆるし」について(エリザベス・ギルバート)

4月26日~5月5日までの10日間、タラ・ブラックによるコンパッション(思いやり、慈悲)に焦点を当てたオンラインイベント「Radical Compassion Challenge」が開催されていました。
ゲストとのインタビュー、全部は聴けなかったのですが、聴くことができたものはどれもよかったので、印象的だったことをメモも兼ねて、書き留めておきます。
(今のところ、上のイベントリンク先から動画も見られます)

最初は、作家のエリザベス・ギルバート。
『食べて、祈って、恋をして』で有名になった人ですが、他にもたくさん本を書いていて、私は『BIG MAGIC』にすごく勇気づけられました。思わず訳してnoteにも載せた彼女がパートナーのレイヤの死に方(生き方)について語ったMothでのトークは、とてもパワフルです。

彼女のインタビューの一番のテーマは、「ゆるすこと」「慈悲」についてでした。

◎同じ「ゆるす」でも、forgiveness(許し)とmercy(赦し)は違う

forgiveness(許し)は「あなたが○○をしたけれど、私はそれを許しましょう」というように誰かが誰かに対して「与える」ものだから、どうしてもそこに立場の違いが生まれる。一方で、mercy(赦し)は、「私はあなたとともにいます。もう一人の人間として、人間であることがどれほど難しいかという葛藤を分かち合う者として。頭がおかしくなるほどぼろぼろになって混乱した一つの魂からもう一つの魂に対して、認めます。『私たちはみんな、この大変な体験をしているね』と」というあり方で、そこでは「ゆるすもの」と「ゆるされるもの」の立場の違いはない、と、エリザベス・ギルバートは言います。

私は他動詞のforgiveに微妙に違和感を感じることもあったので、この、あり方としての「ゆるし(mercy)」がとてもしっくりきました。

※ちょうど、この後でエックハルト・トールのQ&Aを聴いていたら、「私は昔は父をとても恨んでいたけれど、すべてはひとつであるということがわかったら、父の経験してきた苦しみが見えて、forgiveness(許し)が自然と生じた」と話していて、なるほど、「許し」は行為ではなく「生じる」ものだと考えると違和感はないかも、と思いました。

◎「ひどい言動の中に閉じ込められた善い人間であること、それを止めることができないことがどんな感じなのか知っているから」

数年前に亡くなったリズのパートナーのレイヤ・イライアスは、彼女にとっては「ゆるし」の先生のような存在で、それはレイヤ自身がドラッグに溺れていた時に、人を傷つけたり利用したり盗みを働いたり、ありとあらゆる悪いことをしてきて、それでも最終的にそれを自分でゆるす、という経験をしてきた人だったからだそうです。

だから、どんなに悪いことやひどいことをする人に対してもその奥にいるほんとうのその人自身を見て、ハートを閉じることを決してしなかった。
そして、よく上のセリフを言っていたのだそう。

「ひどい言動の中に閉じ込められた善い人間であること(being a good person trapped in horrible behavior)」

「悪いこと」をたくさんしてきた自分自身の内にある「善いもの」を見失わず、つながることができたレイヤは強い人だったのだなと思いました。
最後の最後には、自分をゆるすことが一番難しいような気がするのです。

自分をどこまでゆるせるか、自分の言動の奥をどれだけ深く見られるか、その分だけ、人は誰かのこともゆるせるのだと思います。

◎「自分は、どんなふうに自分に対して破壊的になる?痛みを紛らわすために何をする?」

それでも、レイヤは亡くなる直前、痛みに耐え切れずに薬を使い始めたことから、また依存状態に戻った時期があり、その時の言動はほんとうにひどかったそうです。

その真っただ中でも言動を超えてレイヤのハートを見ることはできた?と、いうタラの質問に、リズは少し考えて、「できました。でも、それは、友だちが『少しでも彼女を下に見る気持ちがあなたの中にあったら、耐えられないほどつらいことになるよ』と、言ってくれたからだった」と、答えます。

その人は、「レイヤに何か言ったり責めようと思う前に、自分の内側を必死で棚卸した方がいい。自分も同じようなことをしているはずだから」と、上の質問をしたのだそう。

そうして自分を見つめてみたリズは、自分がレイヤを失うことを恐れて悲しむあまり、レイヤ本人に慰めてもらうことに依存していたこと、それが、レイヤをすり減らしていたことに気づき、その時初めて、同じ「人間であること」を経験している者として彼女と向き合うことができたのだそうです。

◎「もし、もっと早くみんなが私のことを見捨ててくれていたら」

ある時、リズがレイヤに「薬物依存だったときに、周りの人にこれをしてほしかったっていうことはあった?」とたずねると、レイヤは「もし、もっと早くみんなが私のことを見捨ててくれていたら、もっと早く立ち直れていただろう」と、言ったそうです。

「周りの人が全員離れていって、誰もいなくなってはじめて、変わることができた。それまでは、一人でも助けようとする人がいる限り、人を利用し続けて変わろうとしなかった」

その体験を踏まえ、レイヤは家族や大切な人が依存症で苦しんでいる人たちに対して、「いま、あなたの前にいるのはあなたの知っているその人じゃない。バンパイアだ。だから、逃げるんだ。一人残されたら、その人は変わるか、死ぬかするだろう。どちらを選ぶか、本人に決める自由を与えてあげるんだ」と、アドバイスしていたそうです。

実際、リズは、死の直前にジャンキーに逆戻りしたレイヤに対して最終的に「あなたのことは愛している。でも、愛以外はもう何もあげられない。一人で死ぬことをあなたが選ぶなら、このまま変わらずにいたらいい」と、最後通牒をつきつけました。それをきっかけにレイヤは依存状態を脱して、それから三ヶ月、それまで想像もできなかったような穏やかな日々を過ごして亡くなったそうです。

目の前に苦しんでいる人がいたらどうしても救ったり変えたりしたくなってしまうけれど、ノーを言うこと、離れることが最終的に誰かを救うこともある。

人間の持つ、変わることも死ぬことも選べる自由と力を尊重し続けること。それが真の「思いやり」なのだろうと思います。

実践するのは、ほんとに難しいけれど!

◎ハートを開いていられる距離を保つこと

「すべての人を愛するのは大切。でも、離れたところからのみ愛せる相手もいる」。

元夫との関係に悩んでいたリズに、インドの先生が言った言葉だそうです。

「誰に対してでも、安全な距離を保つことは大切。そして安全な距離っていうのは、ハートを開いておける距離のこと」と、エリザベス・ギルバート。「誰かに対して憤りを感じる時は、境界線を越えられたということ。それに気づいたら、もう一度、ハートが開けるだけの距離を確立するの」

それに対して、タラが「安全だと感じられないとハートを開くことはできないから、それは欠かせないことね」とうなずきながら、「同時に私たちは安全に依存する傾向もある。何が起こるかわからない不確かさというリスクをおかしても、ハートをまた開いて他者にふれられることをゆるしていくことこそが、難しいけれど最も美しいあり方なのかもしれない。だから、十分な安全を確保するとともに、安全にしがみつきすぎないようにしないといけないのよね」と、言っていたのも印象的でした。

「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方がいい」なのよね…と、武田鉄矢を思わず口ずさみたくなりました。

ハートを開いて近づきすぎて、傷つけて、傷ついて、こわくなって離れすぎて、でも、また少しずつ近づいたりして。人間でいるってほんとうにばかみたいで、しんどくて、美しいなあ、と思います。

そんなことを繰り返しながらも、少しずつ、もっと多くの人に、もっといろいろな状況で、ハートを開いておける強さを身につけていけたら素敵だなと思うのです。

◎「私」の呪縛から解き放ってください

最後に、リズが紹介していた依存症からの回復を支えるための「12のステップ」のステップ3の祈りがとてもよかったので、載せておきます。

God, I offer myself to Thee –to build with me and to do with me as Thou wilt. 
Relieve me of the bondage of self, that I may better do Thy will. 
Take away my difficulties, that victory over them may bear witness to those I would help in your name.
神よ、私をあなたに捧げます。あなたの望むように私を使い、創造してください。
私を「私」の呪縛から解き放ってください。あなたの意志を実現できるように。
私の苦難を取り払ってください。それを乗り越える私の姿が、私があなたの名の許に助けていく人たちにとっての証となりますように。

(最後の“in your name”の部分は原文だともっと長いのですが、リズが言っていたとおりに書き写しました)。

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リズとレイヤ。



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