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『アルファ・ウルフ』

長年の親友だった女性ががんを患って残された時間は限られていると知った時、自分が友人として以上に彼女を愛していることに気づき、本にも描かれている大恋愛の末に9年連れ添った夫と離婚して、親友のパートナーとして残りの人生を共に生きていくことを決めた、『食べて、祈って、恋をして』の著者、エリザベス・ギルバート。

一昨年の9月に彼女がそのことを公表した時、なんてかっこいいんだろう!と感銘を受けました。これまでの人生を手放し、周りからの評価が変わるかもしれないリスクもあるのに、それでもただ自分の心にまっすぐに従った彼女を、心から祝福し、応援したいと思いました。

それから1年半ほどしてレイヤは亡くなったのだけれど、死が近づく中、レイヤがどんなふうに生きたかをギルバートが”The Moth"(様々な人がステージに立ち、自分の物語を語るライブイベント)で語ったものがすごくよかったので、思わず訳してみました。

聞きながらばーっと訳したので、まとめていたり意訳していたりだいぶ適当なところもありますが、お許しください。(訳すことに何か問題があったら、すぐ削除します)

英語がわかる方は、ぜひ聞いてみてください。
The Alpha Wolf: Elizabeth Gilbert

生きている限り、人はその人であり続ける。
人が病や老いなどで以前とは変わってしまったように見える時、それが近しい、愛する人であればなおさら、何かが失われたようにしか思えなかったりするけれど、そこに輝き続けるその人の魂の本質を見失わないように向き合っていければと思います。

*  *  *

『アルファ・ウルフ』

去年の夏、私はニューヨークのイーストビレッジを散歩していました。
日差しの降り注ぐ、とても美しい日。私の腕をとるのはたった一人の愛する人でした。

彼女は、死のうとしていました。文字通り、死が迫っていたのです。進行した癌が膵臓と肝臓をむしばみ、大きくなった腫瘍は体中に広がっていました。彼女は最近、化学療法をやめたばかりでした。がんが治る見込みはなかったし、それよりも、残された時間をできる限り楽しみたかったのです。それが、どんなささいな楽しみであっても。

この日の「ささいな楽しみ」は、重い体を引きずって何とか家から出て近くの公園まで歩いて行って、ソフトクリームを食べることでした。公園は私たちの家からたった4ブロックしか離れていませんでしたが、この時の彼女にとっては、キリマンジャロ登頂に匹敵するほどの大仕事でした。

彼女は杖にすがり、全体重を私にあずけていました。もっとも、大した重さではありませんでしたが。彼女はすっかり痩せてしまっていました。彼女の腰に腕をまわし、骨ばった体を感じながら、私の胸は張り裂けそうでした。

この日こそが、彼女の病気の進行におけるターニングポイントでした。いつか訪れると知っていた、心からおそれていたこと。それが今、現実となっていました。
彼女はあまりにも弱く、無力になっていました。かつては誰からも恐れられたこの人が、今や、完全に私に頼らずには生きていけない存在となったのです。

それは、ほんとうに胸が痛むことでした。誰であってもつらいことだと思いますが、彼女の場合は特に悲惨に感じられました。それがなぜかを説明するには、彼女が、私の大切なレイヤが、どんな人だったかお伝えしなくてはいけません。

レイヤと出会ってからの17年間、それがどんな集まりであっても、その場に一歩足を踏み入れた瞬間から、彼女はそこで最もパワフルな存在になりました。そうでないことは、一度たりともありませんでした。それがどんな場所であっても。

彼女は限りなくたくましく、強く、負け知らずでした。
シリア生まれ、デトロイト育ちの、スタイリッシュなブッチのレズビアン。パンクロックを愛する元ヘロイン中毒者であり、元犯罪者。ロックンロール・スター。芸術家。スタイリスト。作家。ほかにはない、驚きに満ちた魅力的な人物。

出会う人すべてにとって、レイヤは伝説となりました。強く、人生を生き抜く知恵に長けていたからだけでなく、あまりにも大きく、やさしく、愛情深いハートの持ち主だったからです。

レイヤには、大切な存在と見なした人たちを何が何でもまもろうとする激しさがありました。幸運にも彼女に愛された人たちはみな、彼女の腕の中に抱かれ、「小さな狼ちゃん」と呼ばれました。そう、まるで、私たちは子どもの狼で、彼女は大きなママ・ウルフだというように、私たちを導き、一緒に歩いてくれました。

彼女がそばにいれば、何ひとつ危ないことなどない。そんな風に感じさせてくれる人に出会ったのは、はじめてでした。それこそが、私が彼女と恋に落ちた理由でした。それまでの人生をすべて捨ててまで彼女とともに生きようと思ったのは、まさに、彼女の持つその力のためだったのです。

けれど、今、彼女は無力でした。

アベニューAの歩道を這うようにゆっくり歩きながら、私はそれをひしひしと感じていました。役割がひっくり返ったのだ、と思いました。今では私の腕の中に彼女がいる。彼女がかつてあれほど簡単に支配した世界から彼女をまもるのが、今の私の役割でした。

死にそうな病人の世話をしたことがある方はおわかりかもしれませんが、愛する人がひどく弱っている時、世界はとても危険な場所に感じられます。歩道の穴のひとつひとつが、彼女を転ばせるかもしれないし、スケボーに乗った子どもや大型犬がぶつかってくるかもしれない。

私の仕事は、レイヤを安全にまもることでした。彼女を包み込み、危なくないように導いていくこと。彼女が弱っていくのを見るのはひどく胸が痛んだけれど、ひとつだけ慰めになることがありました。私は思いました。

「私がいてよかった。私がいなかったら、だれが彼女をまもるの?」

ちょうどその時、すごく悪そうな風貌の男が自転車に乗って猛スピードで歩道を走ってきました。
明らかにドラッグをやっていそうな、髭がぼうぼうの、汚らしくて嫌な感じの男。ひどい顔で歯を食いしばり、ものすごい速さで歩行者たちをかすめながら、私たちに向かって一直線に飛び込んできます。衝突しそうになって、ぎりぎりのところで私はレイヤの腕をつかんで引き寄せてまもろうとしましたが、自転車のハンドルが彼女の腕に当たりました。彼女はよろけ、「ああ、ベイビー!」と私は叫びました。

次の瞬間、レイヤはくるりと身をひるがえし、男に向かって怒鳴りました。
「ふざけんな!歩道を走るんじゃねえ、このクソ野郎が!」
男はブレーキを軋ませて自転車を地面に放り投げると、自分の股間をつかみ、
「俺のモノをしゃぶりな!アバズレ!」
レイヤはすかさず、
「てめえにしゃぶるだけのモノがあったら、クソな自転車じゃなくて車に乗ってるだろうよ!クソッタレの負け犬野郎!」

ワーオ。
私はただ、茫然とそれを見ていました。
あのね、お二人さん。私、コネティカット育ちなんだけど。できればもうちょっと、お手やわらかにお願いできない?
でも同時に、レイヤを見つめながら思ったのです。どういうつもりなの?
その時のレイヤは、体重が40㎏しかありませんでした。あの男が殴りかかってきたらどうするんだろう?と、私は思い、それからすぐに気がつきました。そんなことが起きるはずはなかったのです。

レイヤは男の目をまっすぐ見据え、とてもはっきりと伝えていました。群れのボス狼(アルファ・ウルフ)は自分で、男はただの雑種犬だ、と。それは誰の目にも明らかだったし、誰よりそれをわかっていたのはその男でした。彼は目を落とし、自転車を拾い、すごすごと立ち去りました。

レイヤは杖にすがりながらのろのろと歩道を歩き続け、お目当てのソフトクリームを買うと、日の当たる気持ちのいい場所を見つけてくつろぎながら私に微笑みかけました。

「ベイビー、今日は気持ちのいい日だね」

私の頭の中にはストーリーがありました。レイヤが病気になった時、勝手に作り上げた、彼女は無力でまもるべき存在になるだろうというストーリー。それは、決して現実になることはありませんでした。

病気であるにもかかわらず、どんな状況においても、彼女は群を支配するアルファ・ウルフであり続けたのですから。

レイヤが無力になるという予想に基づいて、私は計画を立てていました。計画を立てるのが得意だし、レイヤのためになると思っていたから。でも、それはすべて水の泡となりました。
私はこう思っていました。
私には彼女が死ぬことは止められない。でも、彼女が静かに、穏やかに、可能な限りやさしく安らかな死を迎えられるようにすることはできる。

でも、それはレイヤが望むことではありませんでした。「穏やかに、やさしく」なんて、彼女は求めていなかった。だから、グリーフ・カウンセラーと会うよりも、甥たちとフットボールを見たがりました。私がオーガニックの食材で作った健康的で美しい料理のかわりに、オレオと煙草を欲しがりました。そして実際に、ほとんどオレオと煙草だけで「期限切れ予定日」(彼女はそう呼んでいた)より1年も長く生き伸びました。

もちろん、私は彼女のためにホスピスも手配しました。安心できる場所で最高のケアを受けてほしかったから。そして、レイヤはホスピスから追い出されました。毎週の巡回のために訪れた看護師を、部屋に入れようとしなかったから。口も利かず、顔も見ようとせずにがんばって、挙句の果てにホスピスから出て行ってほしいと言われたのです。
みなさんに、そして宇宙に尋ねずにはいられません。
ホスピスから追い出される人なんている?そんなこと、あり得るの?

それから、最期の時間を過ごすための美しい、素晴らしいマンションも用意しました。必要なものもすべて整えて。ドアマンもいるし、エレベーターもあるし、車椅子で動けるスペースも、ヘルパーが必要になった時に泊まってもらえる部屋もある。日の当たる素敵なスペースも作っておきました。
でも2週間だけそこに住んだ後、レイヤは、NYにはもう住みたくない、デトロイトに引っ越したいと言いました。家族と過ごしたい、昔なじみとパーティーをしたいから、と。亡くなる2ヶ月前のことでした。

がんを患い、弱り切ったはずの私の恋人がさっさと別の都市に引っ越していった時、私がしたこと。それは、これまでと同じでした。彼女についていったのです。子どもの狼みたいにちょこちょこと、必死で。これまでの人生をすべて投げ出して。ママ・ウルフとはぐれないように。

そんなにも強いレイヤでも、膵臓がんには勝てませんでした。
がんは進行を続け、去年の11月には医師から覚悟をしておくように告げられました。すでに告知された余命は超えていたけれど、本当に、もういつ逝ってもおかしくはないからと。

残された時間が長くないと知ったレイヤは、世話をしてほしいと、10年前に結婚していた元妻のジジを呼び寄せました。その前にすでに、20年前に付き合っていたステイシーにも連絡をしていたし、もちろん私もそばにいました。

つまり、これまでの30年間、10年ごとにレイヤを心から愛してきたブロンドの美女3人が、彼女の下にかしづいて何でもしてくれるという状況だったわけです。
これが、レイヤにとってのホスピスでした。このチャーリーズ・エンジェル的なシチュエーションに彼女は満足していました。

そして、私たち3人は文句も言わずに従いました。だって、みんな彼女に首ったけだったから。彼女にはそのくらいの魅力とカリスマがあったのです。死にかけていた今となっても。

レイヤはどうにか、クリスマスまで生き延びました。どうやってかはわかりません。彼女にとっては大切なことだったから、何とかやり遂げたのです。

クリスマスイブとクリスマス当日、レイヤはソファーから起き上がることができませんでした。意識もはっきりせず、しょっちゅうまどろんでいました。それでも私たちが同じ部屋にいることはわかっていたし、私たちが彼女を愛していることも伝わっていました。
レイヤは、幸せそうでした。

クリスマスの夜、12時に私たちはレイヤを寝かしつけました。朝の4時、私は痛み止めを飲ませるために彼女を起こそうとしましたが、彼女は目覚めませんでした。
こんなことは、はじめてでした。
私は1時間ほど彼女の隣に横たわり、待ってみました。それからまた1時間くらい、今度は何とか彼女を起こそうとしてみたけれど、何の反応もありません。
窓の外、吹雪の中にだんだんと朝日が差し始めたころ、彼女の呼吸が乱れ始め、唇と手が青白くなっているのに気がつきました。

私にはわかりました。
その時がきたのだ、と。

ステイシーとジジを呼びに行って、告げました。
「今よ。早く来て」

その後に訪れたのは、このうえなく美しく、調和に満ちた時間でした。
レイヤを心から愛した3人の女性たちは、それぞれが何をすべきか正確に知っていました。まるで、台本があるかのように。まるで、私たちはそのために生まれてきたかのように。

私たちは一緒に寝室に入り、ジジは神聖な音楽を流し、ステイシーはキャンドルに火をつけました。3人でひとつになってベッドに横たわり、レイヤの体を包み込んで、ひとりひとり順番に彼女に、もしまだ私たちの声が届くなら、最後に伝えたいことを語りました。私たちがどんなに彼女を愛しているか。彼女はどんなに素晴らしい存在か。彼女の人生がどんなに輝かしく、偉大なものだったか。彼女を愛し、愛されたことで、すべてが変わったこと。彼女の存在はいつも私たちの心を支配し続けるだろうということ。私たちは決して、彼女を愛することをやめないだろう。いつまでも、世界に彼女の名を伝え続けるだろう…。

沈黙が訪れました。まるで遠い宇宙の一部につながる入り口が開いたかのように、無限の感覚が流れ込んできます。私たちはみな、それを感じていました。彼女が静かに連れ去られようとしていることを、感じていたのです。

次の瞬間、レイヤが目を開けて言いました。

「いったい何やってんだ?」

私たちはあわてて、「何にも!」
「何してたの?」
「何でもないわ。看取ろうとなんて…」
「看取る?」
「全然。全然そんなことない」
みんな、あふれ出る涙をシーツでぬぐいながら。
「ベイビー、どうしてジジとステイシーが私たちのベッドに一緒に寝てるんだ?」
「寝てない。全然、寝てない。郵便を届けにきただけよ」

私は二人をベッドから押し出し、ジジは慌てて音楽を止めに走ります。

「何か、キャンドルの匂いがするんだけど?」
「しないしない。私のシャンプーよ」

「ヘンなやつらだな」と、レイヤはベッドに起き上がり、煙草に火をつけて、
「ベイビー、今日の日付は?」
「12月26日よ」
「よし」と、レイヤ。「ルルレモンが60%オフなんだ。セールに行こう」

だから、私たちはそうしたのです。

数時間後、ルルレモンの試着室では、美女にかしづかれたレイヤが流行のアスレジャーウェアをとっかえひっかえしていました。彼女が迎える気満々だった「近い将来」に着るために。

誰かに言われたことがあります。
もっと早く理解していればよかったと、心から悔やむけれど。

「『死にかけている人間』なんていない。いるのは、『生きている人間』と『死んだ人間』だけだ。生きている限り、感覚や知覚が少しでも残っている限り、人はそれまでのその人と同じであり続けるのだと、私たちは心にとめておかなくてはいけないし、そうであることをその人に認めなければならない。人生を終える時に自分自身でいられること、これまでと変わらぬ同じ自分でいられること。これ以上に大切なことなんてない」

この一節が、すべてを説明していると思います。
なぜ、レイヤがあれほどまで強固に、私のストーリーを拒絶したのかを。

彼女の死がどんな風になるのか、どうあるべきか、私がつくり上げたストーリーを、彼女は決して受け入れませんでした。がんだと告知された瞬間から、死ぬその時まで、彼女は全身で主張し続けていました。

「私はあんたのストーリーなんかじゃないよ、このクソ女。台本なんて書かせるもんか。私を誰だと思ってるんだ?レイヤ・イライアスだよ、クソッタレ!これは私の人生、私の死だ。私は私のやり方でやる。あんたが嫌だといってもね。これが私のやり方なんだから」

レイヤが亡くなったのは、クリスマスの数日後でした。
穏やかな最期とはいえませんでした。さぞ意外だと思いますが(笑)。

レイヤは闘いながら逝きました。壮絶な闘いでした。
その時ですら、私の頭の中にはまだストーリーがありました。彼女が旅立つ時は、こうであってほしい。ふわふわした夢のようなロマンティックなイメージで思い描いていました。レイヤの私への最後の言葉。やわらかな枕に頭を横たえた彼女が、私を見上げてささやくのです。「愛してる」とか。「これまでずっと、ありがとう」とか。

みなさん、結果は想像がつくでしょう(笑)。

レイヤ・イライアスの私への最後の言葉はこうでした。

「ノー、ベイビー。ノー」

私は、バスルームから死の床となるベッドに歩いていくレイヤを手伝おうとしていました。

「ノー、ベイビー。ノー」

彼女の輝かしい人生の最後の数歩。

「ノー、ベイビー。ノー」

彼女はほとんど脚を動かすことすらできませんでした。

「ノー、ベイビー。ノー」

彼女は言いました。

『自分で、やれる』

ようやく、私は理解したのです。ほんとうに、最後の最後でだったけれど。
レイヤは、私の手助けなど求めていませんでした。私の同情も、計画も、もちろんストーリーなんて、まったく求めていなかったのです。レイヤが私に求めていたのは、たったひとつ、私が自然に、何の努力もせずに彼女に与え続けてきたもの。心からの献身と、畏怖の念でした。

彼女はただ、私に同じ部屋にいてほしかった。彼女と恋に落ちたまま、見ていてほしかった。彼女が人生の最後を駆け抜ける姿を、離れたところから、驚嘆と恐怖に、でも何よりも驚嘆に身を震わせながら、ただ、見ていてほしかったのです。

そうやって、レイヤはこの世界から去っていきました。まったく穏やかではないやり方で。嵐に沈む船のように激しく、猛威を振るう自然のように。とても、彼女らしく。

あの、最期のおそろしく悲惨で苦痛に満ちた数時間、私が彼女のためにできたことは何ひとつありませんでした。まったく、何も。ただ、自分の無力さを、彼女を手放さなくてはいけないこと、彼女が去っていくのを見ているしかないことを、完全に受け入れるしかありませんでした。レイヤは息を引き取るその瞬間まで、悶え苦しみ、闘い抜きました。暴力的で、美しい光景でした。彼女は、勇敢でした。

レイヤが逝った時、私は狼のように雄たけびを上げました。

私は決して、やめることはないでしょう。世界に彼女の名を伝え続けることを。

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