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懐かしの卒業旅行

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。趣味に全振りしてゐる玉川可奈子です。
 仕事は安定の定時上がり、職場のことはプライベートには一切持ち込まないことを信条としてゐます。恐らく、一部の職員や幹部からは「モンスター」扱ひされてゐるでせう。しかし、組織の評価などくだらなくないですか?そんなものを気にして生きる「社畜」より、自分らしく生きる「モンスター」の方がより素敵だと思ふのです。

 今回の内容は、今から二十年前のことを思ひ出して書きます。

 二十年前…。
 私が明治大学(商学部)を卒業した時のことです。卒業も就職も無事に決まつてをり、あとは四月一日、入社の日を待つばかりとなつてゐました。当時の私は、向上心もあり、少なくともこれから就職する会社で「のし上がらう」といふ野心がありました。人より早く来て、掃除をするなどの「やる気」がありました(今はありません)。
 しばらく旅行には行けないだらうと感じてをり、少し変はつた旅をしようとして、長大な卒業旅行を実行しました。詳しく覚えてゐないこともあり、あらすじのやうな内容になつてしまひましたが、私の思ひ出といふことでどうかご容赦ください。

 旅の概要は以下の目次をご覧ください。また、最後までお読みいただけたら幸甚です。写真は、ネットから拾つてきたものばかりです。勝手に使はせていただきました。苦情、文句等は私に聞こえないようにお願ひします。

一、羽田空港から十勝帯広空港、大樹町、大樹駅、十勝川温泉へ

 一日目は、早朝の羽田空港から始まりました。私はあまり飛行機を好みませんが、帯広のあたりまで鉄道で行かうとすると時間がかかり過ぎるので、珍しく飛行機に乗りました。
 目的地は北海道。十勝帯広空港です。

 帯広は雪が積もり、東京との違ひをすぐに実感しました。
 空港からバスに乗り、目的地である大樹町に行きました。ほどほどに雪が積もつてゐました。よく晴れてもゐませんが、曇つてゐるわけでもない曖昧な天気でした。廃線となつた広尾線の旧大樹駅にも行きました。大樹町は小さな、しかしどこか懐かしい町でした。

 大樹町を散策後、バスで十勝川温泉に行きました。コーヒーのやうな色をしたモール泉で、お肌がツルツルになりました。私好みです。
 大樹町に行つたのは、私の師匠と関係があるからでした。夕食に帯広名物の豚丼を食べ、帯広駅近くの古いビジネスホテルに泊まりました。

二、帯広から登別温泉の湯巡り

 翌日は、帯広駅から根室本線に乗り、普通列車でのんびりと登別温泉へ向かひました。荒涼とした根室本線の車窓が今に忘れられません。
 使用してゐるきつぷは、青春18きつぷです。広大で、かつ接続の難しい北海道で青春18きつぷの旅は頭を使ひますね。当時の時刻表が残つてゐれば、旅程を再現したいものです。

 新得駅からは普通列車がないので、特急(確かスーパーとかち?)に乗りましたが、思つてゐたよりも自由席は混んでゐました。新得駅から新夕張駅間は普通列車が走つてゐない為、特急券がなくても特急に乗ることができます。なので、青春18きつぷのみでも乗れます。途中の、占冠駅とトマム駅間の楓駅を見たかつたのですが、一瞬だつたので見ることができませんでした。

 追分駅、苫小牧駅と乗り継いで、登別駅まで来ました。駅からバスで登別温泉に移動しました。登別温泉では、滝乃家に泊まりました。町の中の温泉はもちろん、ホテルの温泉にも嫌といふほど入りました。町の中の温泉から出たあとはあまりにも寒くて、風呂上がりに髪が凍りつきました。寒い寒い。

三、登別温泉から函館へ

森駅 いかめし

 登別駅から、再び普通列車に乗り函館を目指しました。途中の小幌駅は雪の中でした。長万部駅では有名なそば弁当とかにめしを買ひました。そば弁当は、コンビニのそばに比べたらはるかに美味しいのですが、量が少なく感じました。かにめしは、酢飯でないところに好感。酢が効き過ぎてすつぱいのが多い中、食べやすくて好きな味です。

 森駅ではいかめしを買ひました。途中、今はなき流山温泉に入りました。お客さんは私だけでしたので、お湯を独り占めしました(なほ、私は独占欲が強いです)。

 函館駅には夕刻前に着いたので、谷地頭温泉を路面電車に乗り訪ねました。函館駅近くのビジネスホテルに泊まりました。

 函館では二泊したので、翌日は湯の川温泉や土方歳三終焉地、そして朝市を訪ねました。好物であるイカがとても美味しかつたです。湯の川温泉では、あまりの湯の熱さに湯あたりを起こしました。

四、函館から不老ふ死温泉へ

不老ふ死温泉の混浴露天風呂
海の目の前で素敵。夕べには日本海に沈む夕陽を堪能できます。

 函館駅では、「北の家族弁当」を買ひました。これが、さまざまな海の幸を使つてゐて美味しいのです。

 函館から青函トンネルを潜つて本州に帰りますが、ここも普通列車がなく、木古内駅からスーパー白鳥に乗り蟹田駅、そして普通列車を乗り継いで青森駅に着きました。
 青森駅からリゾートしらかみに乗りました。旧・青池編成でした。初めて秋田駅行きの五能線に乗りましたが、その車窓は日本海に夕陽が沈み行く絶景でした。そして、夕陽に照らされた岩木山も美しいものでした。

 ウェスパ椿山駅で降り、送迎バスに乗り黄金崎不老ふ死温泉に行きました。夜の誰もゐない波打ち際の露天風呂は真つ暗でしたが、満天の星と波の音が素敵でした。
 温泉も素敵でしたが、それ以上に料理が豪華で美味しかつたです。部屋からは日本海が望めるし、大切な人と来たいと心から思へる宿です。

五、不老ふ死温泉からムーンライトえちご

 翌日は、昼過ぎまで不老ふ死温泉に滞在してゐました。温泉と日本海を堪能したところで、艫作(へなし)駅から五能線に乗りました。

艫作駅 当時はこのやうな感じではありませんでした。

 五能線はリゾートしらかみで来てばかりでしたが、普通列車でも風情があつて良かつたです。岩舘駅あたりの車窓も昨日同様の絶景でした。

 東能代駅、秋田駅、酒田駅と普通列車を乗り継ぎ、村上駅からムーンライトえちごに乗り東京に一旦帰りました。この後、ダイヤ改正により上りのムーンライトえちごも新潟駅発になりました。車両は485系でした。
 東京到着までに、青春18きつぷ五回分の全て使ひ切りました。しかし、まだまだ旅の途中です。

六、ムーンライトながらから南紀に乗り白浜温泉、寝台特急なは

ムーンライトながら 373系

 東京に帰つてきました。ここまででもそれなりの旅程ですが、旅はまだまだ続きます。

 家で少し休み、就職する会社の新卒同士の飲み会の後、ムーンライトながらで再び旅立ちました。当時は373系で運行してゐました。私の好きな車両です。可愛く、無駄のないデザインが魅力的です。
 ところで、私が就職するこの会社は小売業で、主に食品を扱つてゐるところです。早い話、スーパーです。なかなかのブラック企業で、ハラスメント紛ひなことが常態化してゐました。一年で辞めますが、この時は自分が一年で辞めるとは思つてゐません。

 ここからは青春18きつぷではなく、周遊きつぷ(鹿児島ゾーンだつたでせうか)を利用しました。
 ムーンライトながらは、いつも名古屋駅直前の尾頭橋駅あたりで目を覚まします。今回もさうでした。眠りに着くのは、検札が来て直後くらゐでせうか。小田原駅のあたりで眠くなります。私は、小田原駅から尾頭橋駅までの時間を「ながらタイム」と呼んでゐます。

 ながらを名古屋駅で降り、名駅近くのネカフェで時間を潰した後、ワイドビュー南紀1号に乗りました。少し前まで日本海の絶景を堪能してゐたのが、今度は太平洋の明るさです。
 紀伊勝浦駅で普通列車に乗り換へ、白浜温泉に行きました。万葉の古へ、斉明天皇や持統天皇の行幸が偲はれます。海の目の前の露天風呂、不老ふ死温泉とは違ふ「陽」の美といふべき景色と湯を楽しみました。

白浜温泉

 白浜駅から特急くろしおで大阪に出ました。そして、新大阪駅から熊本駅まで短縮された寝台特急なはに乗りました。寝台車ではなくレガートシート(座席車)で一夜を明かしました。三列で一人一席の座席で、リクライニングも深いです。
 二日連続の夜行列車ですが、今では絶対にできません。肉体的に…。

寝台特急なは

七、熊本から九州新幹線つばめ新八代から鹿児島中央 妙見温泉など

 目を覚ましたら、博多駅のあたりでした。終着の熊本駅では朝食にさくらうどんを食べました。馬肉を使つたうどんです。下関の味一ほどではありませんが、美味しいですね。
 そしてリレーつばめに乗り、新八代駅で乗り換へて開業間もない九州新幹線つばめに乗りました。

 乗る前に、亡き父が「八代と鹿児島の間が一時間切るのか…」と嘆息してゐたことを思ひ出します。

 アツといふ間に西鹿児島駅ではなく、鹿児島中央駅に着き、そこから隼人駅に出て妙見温泉や霧島温泉などを訪ねました。

 鹿児島では、駅前のビジネスホテルで三泊しました。
 また、鹿児島中央駅には「風は南から」の「風」を大書した長渕剛の字があり、素敵でした。

風は南から

八、指宿、知覧、市内と桜島の温泉巡り

 翌日は、知覧、指宿を訪ねました。知覧では、富屋食堂を見、知覧特攻平和記念館を尋ねました。この時、いつか大東亜戦争のことを文章に書きたいと思ひました。「太平洋戦争は侵略戦争」、「戦前は暗黒だつた」、「特攻隊は犬死に」など、かうした気違ひじみた風潮をどうにかしたいと前々から思つてゐましたが、その想ひを強くしました。

 知覧からバスで枕崎駅まで行き、指宿枕崎線に乗りました。JR最南端の駅である西大山駅では開聞岳を仰ぎました。指宿では、砂湯に入りました。現地の黒木動物総合病院では、ペット用の砂湯もあるとか。興味があります。
 指宿枕崎線の宮ヶ浜駅は長渕剛ゆかりの地です。後に九州バス旅行をした際、訪ねました。

 鹿児島市内に戻つてから、観光案内所のおばさんにどこの温泉が良いか聞き、湯巡りをしました。西田温泉といふのがオススメだと聞き、行つて来ました。駅から近く、湯も良い湯でした。

 そして桜島に渡りました。フェリーターミナル近くのマグマ温泉は、熱くてアレがダラダラと出ました。温泉界のど真ん中を行くやうなアレで、ラックリできました(WJとは無関係)。

 この五ヶ月後に、再び桜島に戻つてきます。もちろん、長渕剛のオールナイトライブです。その日に合はせて祖母に病気になつてもらひ、強引に夏休みを取得しました。

九、人吉、鹿児島市内巡り、別府

 さらに翌日は、人吉に行き、温泉巡りをしました。秘境駅で知られる、大畑駅や真幸駅、嘉例川駅にも立ち寄りました。人吉の温泉といへば、元湯が一番のお気に入りです。

 最終日は、長渕剛の個展を見て、本人を間近で見ることもできました。日豊本線で、大分県の別府まで移動しました。別府では、別府保養ランドや竹瓦温泉に行きました。

 竹瓦温泉では、綺麗な外国人の先客がゐました。一緒に入つてゐて、目で「熱いね」と伝へあひました。
 別府保養ランドは泥湯で、お肌がツルツルになります。ただ、混浴なのでチラチラ見るおつさんがゐるのが気持ち悪いです。そんなに裸が見たければ、AVでも見とけ。ヴォケ!と心の中で言ひました。

 別府駅から、宇佐駅で乗り換へ、関門海峡を渡り下関駅で降りました。駅近くの安いホテルに泊まりました。

十、祖母を迎へてから、長門湯本、ムーンライト山陽

 翌朝、下関駅で東京から帰つてきた祖母を迎へました。祖母は山口県の人。寝台特急あさかぜに乗つてきました。山陰本線を人丸駅まで行き、駅近くのお寿司屋さんに行き、別れました。
 私は、長門市駅に向かひ、美祢線に乗り長門湯本温泉に行きました。

 その後、津和野を観光しました。石見人・森林太郎の旧宅を見ました。津和野駅からきのくにシーサイドを使つた萩・津和野号に乗り下関駅に帰りました。車内はプロレスリング・ノア並みにガラガラでしたが、たまたま近くに座つてゐたおばさんと会話が盛り上がりました。

 下関では、味一の肉うどんを食べたのは言ふまでもありません。私は、下関駅のうどんが駅にある立ち食ひそば(うどん)の中で一番美味しいと思つてゐます。
 ここの肉うどんは、さっぱりした出汁ですが、肉うどんのつゆが混ざることでより味が美味しくなつてゐるやうに思ふのです。
 ムーンライト山陽に乗るまで、時間も余裕もあつたので、駅近くを散歩してゐました。

ムーンライト山陽

十一、卒業式欠席、有馬温泉、河内長野の同級生と合流

 下関駅から八時半頃、ムーンライト山陽に乗りました。翌朝、有馬温泉に行きました。金の湯、銀の湯ともに堪能しました。風呂上がりのサイダーは格別です。

 帰りに、秘境駅で知られてゐた神戸電鉄の菊水山駅へ行きました(現在では廃止されてゐます。平成三十年三月二十三日廃止)。
 以前、北海道の小幌駅で降りたことがありましたが、菊水山駅も負けず劣らず大自然に囲まれた「すごい駅」でした。駅近くをしばらく散策してました。

 この日は大学の卒業式が日本武道館で行はれてゐました。今は亡き、星野仙一先輩が卒業式に来たさうですが、私は参加してゐないのでよく知りません。
 余談ですが、卒業式の日。ある同級生から電話が来ました。

 先方「可奈子ちゃん、今どこにゐる?」

 当方「ごめん、私、卒業式出てないよ。今、有馬温泉にゐるの」

 先方「えー、そうなの。じゃあ…、そのうまく言へないけど、俺可奈子ちゃんのこと好きで云々」

といふ淡く切ない?やりとりがありました。「ごめん、今はさういふの考へてない」と伝へました。
 以降、彼から音沙汰はありません。有馬温泉だけに。
 難波駅近くのホテルに泊まり、すぐ寝ました。さすがに疲れも溜まつてゐました。

十二、吉野の桜

 翌日、大阪で大学の同級生のFに会ひました。難波駅のあたりで待ち合わせしました。友人の家を起点に、奈良県の吉野の桜を見に行きました。最高の桜の花を堪能しました。また、犬鳴山温泉などにも連れて行つてもらひました。大楠公(楠木正成公)ゆかりの観心寺にも行きました。

 友人の家の裏の竹林で採れた筍のお刺身、生まれて初めて食べましたが、とても美味しかつたです。吉野の桜も感動しましたが、筍にも感動しました。

十三、近鉄で名古屋へ ムーンライトながら

 帰りは河内長野駅から難波駅に出ました。ちやうど、大阪場所が行はれてをり、ドルジこと横綱朝青龍関が全勝で優勝しました。
 難波駅から近鉄特急に乗り名古屋駅に行きました。名古屋駅に着いたのは遅く、特に何かをするでもなく、ムーンライトながらに乗り東京に帰りました。

 …今、思ひ出してもすごい旅だと実感します。そして、またいつかこのやうな長い旅に出たいものです。確か、この時の荷物ですが、千円で買つたトートバッグに収まる程度の量でした。ミニマリストの片鱗はこの時にすでに発揮されてゐますね。
 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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