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創業物語Ⅲ

予定とおり日本に帰国することになりました。
渡航するときは、もしかしたら5年くらいは日本に帰国できないのではないかと思っていたのですが。せっかくキャリアについて目覚めた私が帰国してどのような道をたどっていたのか転勤族の家庭の方のヒントになればと思います。帰国篇は3回にわけて掲載いたします。

社会的役割を意識した働き方

働く=賃金と考えがちですが、働くことには、家事であったり、育児や介護、ボランティア活動も入ってきます。
私たち家族はドイツから日本に帰国し、しばらく東京に住んでいました。帰国子女の受け入れをしている私立小学校ではなく、長女は公立の小学校へ編入、長男はサッカーを続けたいということでサッカークラブがある幼稚園に編入しました。公立の小学校に編入させたのは、彼女に様々な家庭環境の子どもに関わってほしかったからです。長男は初日から不登園になり、日本の幼稚園になじめずにいました。ドイツのモンテッソーリ教育の幼稚園とは、まったく園での生活が違ったのです。しかし、彼にはサッカーという打ち込めるものがあったからこそ、幼稚園に少しずつ行けるようになりました。

自分らしい社会的役割をさがすために

長男が幼稚園の間は、短時間でできることを探しました。それは、短期のバイトや内職に限らず、学校のPTA役員、地域のボランティア活動など、時間を見つけてはチャレンジしてきました。そんな中で私に「身元が保証できる人でないと頼めない」という仕事の依頼がきました。

下町の中小企業との出会い

新しい仕事は、身分証を提示し中小企業の調査をする仕事です。その時に、東京のある地域の企業を1件1件訪問し、経営者や社員の方々のお話しを聞きました。いろいろなことをお聞きしましたが、仕事内容が一番わからない部分でもありました。しかし、社員の方の説明だけでなく、その仕事をしていてどんなことを思っているのか、感じているのか、また先輩後輩、教育のことについて様々なことをお話しされ、そのことが強烈に印象として残っています。社員が楽しく話をしているところは、事業所も明るい。挨拶を必ず返してくださるところは、訪問してよかったと思えます。2回目は実際に仕事で使っているものを触らせてくださるところもあったのです。今まで、嗅いだことのない匂い、触ったこともない部品、聞いたことない専門用語。調査の仕事がこんなにワクワクするものだとは思いませんでした。それと同時に、何をしているのかわからない工場だけど、すごい技があるよということを数件先の工場の人も良く知らない。もし、お互いの事業を知ることができたら、新しいことができるのに・・・そんなもったいないと思う気持ちがどんどん高まっていきました。(続)


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