はじめまして。私と夫はさいたま市で保育園と学童、幼児教室を経営しています。なぜ私たち夫婦は創業に至ったのか。どのような背景で教育事業を始めたのか。
私たち夫婦に訪れた転機とともに、会社を経営するに至った理由を告白したいと思います。
私たち夫婦の結婚から出産までの道のり
私たち夫婦は大学を卒業して、新卒で入社した生命保険会社で同期として出逢いました。夫は新潟県長岡市の営業拠点に、私は東京の本社に配属になりました。
入社2年目の夏頃から付き合い始め、遠距離恋愛を続けていました。入社4年目には夫も東京本社の、しかも隣の部署に異動してきました。
お互いの仕事も充実していたし、いつでも会える距離で生活できるようになって二人の交際も順調に続いていきました。
そして入社5年目のときに結婚しました。
その後、長女を授かり、出産しました。
長女を妊娠したばかりの頃、夫と産後の働き方について話し合いました。
もともと私は出産後も働き続けたいと思っていましたが、当時の私は共働きの家庭で育った経験がなく、共働きの家庭の子育てをイメージすることができませんでした。
だから私が働き続けることで子どもに寂しい思いをさせてしまうのではないかと急に不安になり、夫に「保育園に通っていて寂しくなかったの?」と思わず尋ねました。
すると夫は「保育園が寂しい場所だったら、こんなに自己肯定感の高い大人は育たないでしょう。」と満面の笑顔で答えました。そして、夫はこう話し続けました。
そうして、私たち夫婦は長女を出産後も共働きとして当然に働き続ける予定でした。しかし、長女の保育園がどうしても見つからず、なかなか復帰の目処が立ちませんでした。
夫、創業を思い立つ
そして、2016年11月も終わりの頃、夫が家に帰って来ると唐突に私に言いました。
「保育園が見つからないなら自分たちで創ろうよ。」
夫のあまりの突然の提案に私は返す言葉がなかなか出てきませんでした。「夫が仕事を辞める??」「そもそも保育園って作れるの??」「保育園を開園するのにいくらかかる??」「資金はどうやって工面する??借金する??」という疑問と不安が頭の中をグルグルと周っていました。
だからといってこのまま何も行動しなければ、仕事に復帰できる見込みもなく、考えれば考えるほど、私たち夫婦が共働きを続けていくために夫からの予想外の提案が現実的な解決策のようにも思えてきました。
そうして夫は2016年12月に会社に退職届を提出し、2017年1月に退職。
2017年3月に会社を設立して、同年7月に認可外保育所「彩の調こども園」をさいたま市に開園しました。
保育園のその後
創業から間もなく5年。保育事業が拡大していく過程で、私も保険会社を退職し、今は夫の事業に参画しています。
さまざまな困難にぶつかりながらも、その度になんとか乗り越えながら、現在ではさいたま市内で保育園4箇所を運営しています。
そして、2022年4月には認可保育所をさいたま市内に2箇所開園する予定です。
長女は2021年3月に私たちの保育園を無事に卒園し、小学校に入学しました。
こうして、私たちの創業物語はひと区切りがつくはずでした。
学童の創業
しかし、私たち夫婦は長女の学童が見つからない「小1の壁」に直面しました。でも、もう私たちが進むべき道は決まっていました。
2021年1月、今度は私が代表者として会社を創業し、同年7月に民間学童「ガクモン」を開校しました。
こうして私たちの創業物語は、予想外の展開ではありましたが、第二幕が上がりました。
私たち夫婦の仕事、それは「起業家」だと思います。
むしろ「起業家」でありたいと願っています。
登山家が山を登る理由は「そこに山があるからだ。」というように、起業家である私たち夫婦が事業を興す理由は「そこに社会の課題があるからだ。」というシンプルなものです。
自分たちが選んできた「起業家」という山をこれからも一歩ずつ着実に登って行きたいと思います。
#この仕事を選んだわけ