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それでは、いつかまたどこかで

島というのは、どこもなんとなく似た雰囲気がある。
そう書き出しかけて、そうでもないなと思った。
それほどたくさんの島を訪れたわけではないのに、全部に共通する雰囲気なんて、既に見つけられない。

プローチダ島は南イタリアにある小さな島だ。ナポリから水中翼船で30分ほど。切符の値段は忘れてしまった。同じ港から出るカプリ島への船は観光客で満員だけれど、プローチダ島を通ってイスキア島に向かう船には、地元の人がまばらに乗っているだけだった。切符もぎりのおじさんが、誰に教わったのか”Sayonara”と言いながら送り出してくれる。そこは”Kon-nichiwa”にしとかないか。これから行くんだしさ。

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昔、たぶん大学で映画作りのまねごとをしていた頃に、イル・ポスティーノという映画を観た。南イタリアのある島で生まれ育ち、島から出ることもなく、島を愛することもなく漫然と生きる青年が、越してきた詩人との出会いをきっかけに、常にそばにあった島の美しさに目覚め、生きる意味を見出していく。その映画が撮影されたのがプローチダ島なのだそうだ。

フェリーは15時頃島に着いた。ナポリに帰る最終便は17時発。海産物がおいしいらしく、泊まることも考えたのだが、翌朝早々にポンペイへ向けて出発する予定だったので諦めたのだ。わたしは貧乏性で、いつも行き先を詰め込みすぎる。
とはいえ小さな島だ。2時間あれば十分とまではいかないが、島の雰囲気は堪能できるだろう。


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インフォメーションセンターでもらった地図はおおざっぱすぎて役に立たず、街角に立つ”Marina Corricella”という標識に沿って歩き出す。建物にはカラフルな風車のようなものが飾られ、風でくるくるとまわっている。写真を撮っていると、入口に腰掛けたおじさんに声をかけられた。が、イタリア語は挨拶と数字しか知らないわたしと、英語を話さない彼では、コミュニケーションが成立しない。家に上がっていけというような話を丁重にお断りし、先に進む。
どこの国にもこういう「家の前に座っているおじさん」という人種が存在するけれど、この人たちは何をして生活しているんだろうか。もうリタイアしているのかな。東京にいると相当おじいさんな風貌の人でもスーツで通勤時間に電車に乗っていたりするので、リタイア層の見分けかたがよくわからない。


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石畳の細い坂道を上るわたしを、3輪バスが追い越していく。


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頂上に近いところまでくると、突然視界が開けた。見下ろすと、フェリーが着いた港とは反対側の港、コッリチェッラ地区が広がっている。入江に面して狭そうにひしめき合う、パステルカラーの家々。昔、漁師が帰ってくるとき、どれが自分の家かすぐ分かるように目立つ色を塗ったのがはじまりだという。なぜ海から自分の家を判別する必要があるのかとか、すべての家を同じトーンで塗っちゃったらまたわからなくなるじゃないかとか、気になることはたくさんあるが、目の前に広がる風景はとにかく美しい。パステルの家々の間を縫うように下って、港を目指した。

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港はとても静かだった。日が傾いてきた16時、舟はすべてつなぎ止められ、歩く人もまばら。イル・ポスティーノにも登場したカフェバーは、映画の名を冠したリストランテになっていて、そこだけが観光客で賑わっていた。写真を撮りながらぶらぶら歩いていると、網の手入れをしているおじさんと目が合う。挨拶し、カメラを掲げて首を傾げてみると、「Prego(どうぞ)」と言ってくれた。そのまま、特にこちらを見ることもなく手入れに戻った彼をレンズ越しに見つめる。絵本のような街、小さなボートで行われる、こじんまりとした漁。わたしが喜んでシャッターをきる”映画の中の世界”が、この人にとっては生活そのものだった。もしかしたらこの人も、イル・ポスティーノのマリオのように、島をほとんど出ることなく生きてきたのかもしれない。

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1隻だけ出航していく舟がいた。舟に乗るおじさんと港に佇むおじさんが手を振り合っている。この港ではいつもこうして見送ってくれる友人がいるのだろうか。たまたま、おしゃべりの後に出発することにしただけなのだろうか。

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わたしは急ぎ足の旅行者で、大きな街も、小さな町も、同じように表面だけを眺めて去っていく。
それでも小さな町を訪れると、静かな町角でふいに無防備な生活感に出会うことがあって、その光景は鮮烈に心の中に残り続ける。風光明媚な観光地の姿よりもはっきりと、高い解像度で。そして、画面の中ですべてが進んでいくわたしの生活に、うっすらと新しい色をにじませる。わたしはきっと、その色が見たくて旅に出るのだ。たとえ、その色が、瞬く間に褪せていく水彩のようなものだとしても。

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そのままぼんやり日が沈むのを見ていたかったが、船の時間を考えて戻ることにした。
路地をひとつひとつのぞきながら、来た道を戻っていく。かしゃんという音に下を向くと、レンズから離れたレンズキャップが、道に当たって弾んだところだった。あ、と思う間もなく、キャップは石畳の道をころころと転がっていき、路上駐車の車の下に入り込んで止まった。とりあえず覗き込んではみたものの、普通に手を伸ばしても届きそうにないし、周りを見回しても、車の持ち主らしき人は見当たらない。船の時間を考えると、持ち主を捜し、多分英語は通じないだろうその人に移動してくれるように交渉し、などとやっている時間はなさそうだ。仕方なく這いつくばる準備をしていると、一部始終を見ていたらしい、レモンイエローの服を着た小柄な若者に止められた。ちょっと待ってて、みたいな身振りをして、近所の店に入って行く。持ち主と知り合いなのかな、などと考えていると、彼は一人で店から出てきた。手にほうきを持って。そしてそのままわたしのところまで来ると、ほうきを車の下に突っ込んで、頭の部分で器用にキャップを引き寄せてくれたのだった。
「Grazie! Grazie Mille!!」勢い込んでお礼を言うわたしに、彼はいいからいいからみたいな手振りで応え、そのままさらりと送り出してくれた。最初から最後までサングラスはつけたままで、にこりともしないクールな若者。人懐っこい他の街のイタリア人とは少し違う、シャイで大人しく、でも優しい、この島の人の気質が少し感じられた気がした。

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レモンイエローの青年のおかげで無事にナポリ行きの船に乗れたわたしは、遠ざかる島を眺めながら、やっぱり1泊したかったな、と、自分の貧乏性を恨めしく思った。でも、まだ、行きたい場所がたくさんあるのだ。たぶん次も、その次も、わたしはこうして駆け足で、少し名残惜しく感じながら、知らない街を通り過ぎていくのだろう。

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何年か後、自転車に乗るようになったわたしは、プローチダの親切な青年が着ていたレモンイエローでぴちぴちした妙な服が、ロードレースのユニフォームだったということに気が付いた。
「難所」とされる石畳のコースを走る選手たちを見ながら、なんとなく、彼があの石畳の細い坂道を、自転車で上っていく姿を想像した。

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