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Sequel -1

A sequel to the story。後日談。これまでに書いたNoteの後日談もろもろ。過去Note記事は、文中クリックで読めます。

雲外蒼天

Prayerの冒頭で書いた夫アルゴの職場の人とディナーを食べた時の話。職場の人は、遠方から赴任してきた人で私は初対面だった。なのでお互いの自己紹介だとかこれまでの私たちの話をしていた時のこと。アルゴがスペイン巡礼路を歩いた話をし始めた。その時に出た話で私も初めて聞いた話。

When you keep walking, nothing but walking, of course, you feel tired and became a shitty mood.  Somebody walked the way before told me that when we walk, you need to see sky- do not look down on the grounds - I didn't understand the meaning 

歩き続けてるとさ、ていうか、歩くしかないじゃん。そうするともちろん、疲れるわけよ。んで、クソみたいな気持ちになるんさ。前にこの巡礼を歩いた人に、歩くときは下を見るな。上を見て歩けって言われたんだけど。その時は意味が分からなかったんだ。

but I realized that life is full of shit, this walk make me feel shit, and this road is a full of shit - like dog poo, sheep poo, cow poo, and sometimes human poo - which made me more shitty. It is nothing but shit, shit, shit!!

んでもさ、気が付いたんだよね。人生ってクソみたいだし、歩いてる時はクソみたいな気持ちだし、その上、この巡礼路の道はクソまみれなんだよ。犬のうんこ、羊、牛のうんこ、人間のクソだって見る。そんなもん見てたら、ますます気持ちが落ち込むしクソみたいな気持ちになる。そう!クソだらけなんだよ!(どれだけクソを連呼すればいいのか……)

One day I look up the sky, instead of looking down. I realized...…Yes, there are so many poo when you look down and that is only thing you would see. But simply look up, I saw a beautiful sky -  it is so beautiful and endless.  I think, this is a basic rule of the life.  it is simple but you are doing middle of something, you cannot notice.  Do not look down, keep look it up, and keep walking.

ある日、ふと思って道を見て歩き続ける代わりに、空を見上げたらさ。そう、すごくきれいだったんだ。下を向いてる時は、クソだけしかなかった。でも簡単なことさ。ふと上を向いたらさ、すごくきれいな空があるんだ。美しく、終わりのない空。俺が思うに、これってば人生の基本ルールなんじゃないかな。すごくシンプルなことなんだけど、何かしてる時は気づけない。下を向くな、上を見て、ただただ歩き続けろって。そんなん。

アルゴが巡礼路を歩いたのは数年前の話で、いろんな話を聞いてきたけど、この話を聞いたのは初めてだった。ずっと一緒にいるし、毎日、いろんなことを話すけど、それでも私の知らないアルゴというのはいっぱいいるのだなぁと思った。それに、折しもNoteで巡礼路の話を書いたところだったので、なんだか感慨深かった。

雲外蒼天(うんがいそうてん)
目の前の困難や試練(雲)を乗り越えれば、必ず青い空が待っているということ。


連鎖反応

ふと思いついて7月にNoteを初めて早3か月。つぶやきにも書いて、上に書いた話もそうなんだけど。Noteの記事を書くとなぜか反応するような、関連するようなことが起こることが多い謎。

基本的にNoteは過去に起こったことがほとんどなのだけど、例えば、片手片足の友人の話を書いたらその翌日にばったりその人に出会って、さらには自分の肩が外れて手が使えない状態になったり。アルゴの過去、音楽の話を書いたら、アルゴが唐突にアルバムをリリースしてその繋がりでイベント出演とか過去の友人たちとプロジェクトをすることになったりとか。祈りの話を書いた日に友人の訃報が届いたのも連鎖ではあるけど、これは起こらない方がよかった連鎖。

家でレオン(映画)見てたら、たまたま読んでいた漫画にレオンネタが出て、さらに同日、レオンが出てくる小説をNoteでみたり(とても素敵なお話)、Noteを通じて交流を始めた方とのうれしい交流や意外な共通点がいくつもあったり、リアルの友人がNoteを始めたり。あと多分、Noteの設定だかネットの追跡関係なのかもだけど、自分の好きだった小説や作家さんのお話のNoteを見つけたり、夫アルゴの巡礼路の話を書いたら、今からまさにそこを歩き始める方のNoteに出会ったり。なんというか、興味のあることに触れる機会が増えたり。

引き寄せるというか、毎日の小さな出来事に明確なつながりの点と点を見つけて、お!みっけ~!(嬉。実際のところ、本当ににちゃぁ……とニヤニヤしているので気持ち悪い感じは否めない)となることがたくさんあってよき感じだなぁと。そういう点と点を沢山拾い上げて、たくさんの線を書いていければ、Noteを始めた甲斐もあるってものなのだぜと思う今日この頃。

連鎖反応(れんさはんのう)
ある反応がきっかけで、別の反応を発生させて、次々と反応を引き起こしていく化学反応のこと。または一つの出来事がきっかけで、次々と別の出来事が発生すること。


適材適所

犬たちは今日も元気。現在、我が家には私のここでの名前の由来になったりんご(5歳)まめ(4歳)そして大五郎(6か月)の3匹の親子ヨークシャーテリアがいるのだけど、みんな元気。最近は大五郎のいたずらがひどいので、ワル五郎と呼んでいる今日この頃。ワル五郎さんは、父:りんごの血を色濃く引いているのかとにかくデカい。ヨーキーとは思ないほどでかいのだけど、おっとりとした気のいい男の子。まだパピーちゃんなので、鏡に映った自分に吠えたり、散歩中に遊び始めたりと何かとかわいらしい。

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大五郎の姉と妹もとても愛され、元気に育っている。アルゴ従妹の家に行った末っ子のミラ。

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大層な溺愛ぶりで従妹家族だけでなく、アルゴおじおばまで含めての溺愛ぶり。従妹の娘ちゃん(17歳)の犬となったのだけど、小さく、とてもおとなしいのでどこに行くのにも一緒でとにかく大事に大事にされている模様。この子は、まめ(母)似のせいか、体も小さいまま(=標準サイズのヨーキー)の様子。

そして姉のレキシーちゃん(と、りんご&まめ)

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夫アルゴの同僚の家にいった子。同僚はリタイア目前のおばぁちゃんなのだけど、「私とレキシー、しょっちゅう喧嘩してるのよ!」と言いながら笑っていた。レキシーはとにかく活発で常に注目してほしい派の犬。2週間ほど前に遊びにきたのだけど、相変わらずクレイジーで元気な女の子。散歩に出ると、びよん、びよん、とまるでくまのプーさんに出てくるティガーのようにあちこちジャンプしながら前に進む。こちらもまたおばぁちゃんとその息子家族に溺愛されている。レキシーもまたりんごの血が濃厚らしく、標準より大きめサイズ。

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3月にはこんなに小さかった犬たちが、今ではそれぞれのおうちで愛されて幸せに育っているので、本当に感慨深い。動物ってほんとすごい。

従妹宅へ行ったミラは甘えん坊の子だったから四六時中、ティーンエージャーの従妹娘が構い倒しているし、姉のレキシーは元気で常に飛び跳ねているので、おばあちゃんが毎日の生活にハリがでた!と言っていたので、配属具合がまさに適材適所だったのかもと思う今日この頃。そして、涙のお別れだったけれど、お別れしたレキシーとミラにも定期的に会えて、犬たちもお互いのことをよく覚えているようなので、めでたし、めでたし、といったところ。犬たちにはこれからも元気もりもり、幸せに育っていってほしいものです。

適材適所(てきざいてきしょ)その人の能力・性質によくあてはまる地位や任務を与えること。

(終)

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