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Prayer (1)

In prayer it is better to have a heart without words than words without a heart. - Mahatma Gandhi

祈りでは、心のない言葉よりも言葉のない心を持つ方が良いのですーマハトマガンジー

「祈り」についてのお話。夫アルゴの職場の人と夕飯を食べた日のこと。バーで軽く飲んだ後、メキシカンレストランへと行った。ダウンタウンを歩くのは久しぶりだった。ダウンタウンには付き合い始めてから10年程、住んでいた。だから食事の後、もう1杯ということで、昔、よく行っていたバーへと足を伸ばした。

ダウンタウンには大きな公園がある。前に書いた話にも登場した夜は危ないから行くなと言われていたあの公園である。公園の前を通りかかると、何人かのホームレスらしき人たちと、その真ん中で真夏だというのに、キッチリとスーツを着込んだ人がいた。

絡まれてるのか……?と思っていたら、アルゴが大きな声でMr. Nova!!!と彼の名前を呼んだ。何、知り合い?と聞けば、アンタもあった事あるよ!と言われたけど、やたらと社交的なアルゴと違って、私は人の顔や名前を覚えるのが得意ではないし、そもそもえらい数の『友達、知り合い』がいるアルゴの交友関係の全てを覚えられるはずがない。

「アンタ、また祈ってたのか!」そう言ったアルゴにMr.Novaは「ああ、そうさ、それが私の使命だからね」と言ってほほえんだ。

『アンタ、また祈ってたのか!』って……どんな挨拶だよ、と思った。ホームレスらしき人たちに絡まれていたのではなく、彼は数人のホームレス達と手を繋ぎ、輪を作って祈っていたのだ。

無垢な笑顔。それをどれだけの大人が作れるのであろうか。彼の笑顔は、彼の眼差しは、まっすぐで、ひどく眩しかった。

Mr.Novaは教職についている。同時にPriestとして活動をしている。Priest、牧師さんである。だが彼は教会で祈るのではない。こうして街角に立ち、祈る。ボランティア活動をしながら祈る。彼はアフリカの国々にもボランティアで行っているらしい。

私達は特別に宗教や神様の存在を信じてはいない。アルゴはアメリカ人らしく洗礼も受けているし、幼い頃は常に教会に行かされていたという。何がクレイジーって彼は、新訳、旧約、どちらの聖書もほぼ、ほぼ暗記している。大人になってからは、イスラム教の勉強なぞして、アラビア語をしゃべったり、それなりにコーランの教えなどを読んだり、モスクへと行ったりはするし、豚肉を食さず、ラマダンの時期は断食を行う。だが、敬虔なイスラム教徒というわけでもない。更には彼は古典的なキリスト教の巡礼路を歩いているし、仏教系の書物をせこせこと読んでいる時期もあった。

私も幼い頃は母の付き合いで教会にいったり、父方の祖母やおばがガチの仏教徒(得度しており、僧侶の資格があった)だったので高野山へ連れて行かれたり、写経だの、読経だのやらされていた。アメリカに来てからは、最初に出会った寮のルームメイトが熱心なカトリック教徒だったのと、教会は何かと異邦人を助けるプログラム、例えば交流会とかホームスティイベントとか、そんなイベントがあったので教会へと足を運ぶ機会が何度もあった。

そんな私達だが、神様とか、宗教というものを100%信じ、そして敬愛とか畏敬の念とかそんな気持ちを持って接することが出来ないでいる。

思うに。信じる、祈る、そして救われるという過程を経るには私達の想いだとか、信念だとかは充分ではないのだ。だから、神様を信じ、誰かのために祈り続けるMr.Novaの笑顔がまぶしかったのかもしれない。

最近は何をしてるの?どうしているの?と聞いたMr.Novaにアルゴは、教職を続けながら、それでステップアップするために大学院に通うことになって忙しいよ、と答えると、「それは素晴らしいね。君のため、そして君が救うであろうたくさんの子供たちのために祈ろう」そう言って、おもむろに私とアルゴの手を取り、祈り始めた。

唐突に祈る。祈ろうと誘われる。なかなかに出会わぬ状況である。そうやって祈っていると周りにいたホームレスの人たちが私たちの周りにさらに輪を作って祈りだす。Mr.Novaは3分間ほどの祈りを捧げ、そして私たちに向かって、ありがとう、神様のご加護がありますように、と言った。

いや、ありがとうはこちらのセリフなのでは?と思って首をかしげていたら、突然、知らないおじさんが声をかけてきた。

「こんにちは。ねぇ、私の娘のために祈ってくれないか?彼女は18年前にこの公園で、オーバードースで死んでしまったんだ。私は娘の遺体を見たその日から毎日、こうしてこの公園にやってきているんだ。娘に会えそうな気がして」

そんな言葉に、Mr.Novaはもちろんですよ、と言っておじさん、そしてまだその場にいた私たち。さらにはホームレスの人たち、ただ通りすがりだった人たちまでも手をつないで、15人ほどが大きな輪を作って祈りをささげた。

なんで知らない人のために祈っているのか。というか、そもそも私はなぜ祈っているのか。そんな風に思う隙すらなかった。なんだか不思議な空間だったにも関わらず、ものすごく自然に、すぅっと祈りをささげていたのである。

18年前。もしかしたら私たちはその死んだという娘さんに会っていたかもしれない。もしかしたら私は死んだ娘さんと年が近いのかもしれない。ぼんやりとそんなことを思いながら、彼女が安らかでありますように、彼女を想う父親であるこの人にも安らぎがきますように、とMr.Novaは祈った。

なんだろう、この瞬間は……何が起こっているんだ……通りすがりの人たち、車の中から私たちを見る人たち。たくさんの人たちが不思議そうな顔でみていたけれど、祈りが終わるころには、おじさんはボタボタと涙を流しながらありがとう、と言った。

私は、そしてアルゴもなんだか、じんときて、涙が出てしまった。それはとても美しい風景だった。

あなたに救いが訪れますように。私はいつでもここにいます。また娘さんのために祈りを捧げましょう。

Mr.Novaはそう言った。世の中にはえらい人もいるもんだなぁとそんなことを思いながら、私たちはMr.Novaに別れを告げて家路についたのであった。

(続)




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